三十二 三十年前の邂逅
またぞろ、おかしな客によるおかしな行動が繰り返された。
デートなのかデイトナのカットソーをおそろいで着ている男女はそろっと、夫の甲斐性なしとの話題とスフレチーズでストレス解消する主婦連中はじろっと、新たな動きを注視する。
初め、(おそらくはどこぞの田舎から出てきたウブな)娘が、グループから離れた入口付近のテーブルにひとりついた。次に、グループとは別に来店した女性客が、娘と対面に座る。ちょっとした注目の的となるも、特段、変わったことが起こらないとわかると客たちは興味をなくした。が、次なる動きがある。
例のグループの一員とおぼしき別の少女が、例の席へ向かう。またなにかあるのか。店内の関心がふたたび寄せられる。
最初こそなにやら揉めている様子だったが、ほどなくしてうちとけたようでなごやかに歓談――近くにいた者たちの耳には名古屋がどうのとの話が漏れ聞こえ、田舎娘は中京からのおのぼりさんと目された――再度、見向きの対象から外れる。
そうして早々、想起されることのなくなりかけた問題児テーブルは、みたび、衆目を集めるにいたる。
ふたりの少女とひとりの女、彼女たちを擁する卓は、いつのまにやらただならぬ気配。関東のエビフライが食えたものではなかったのか。それとも、田舎のエンゲル係数からみた都会の外食費が気にくわないか。
いよいよ混沌をきわめる円満ならざる角卓に、エントロピーを増大させる食わせ者が加わる。
それは、女たちの戦いが本番に突入したというべきか。
彼女は、細くて長い指を〝プランF〟の発動トリガーにかけ、ターゲットを捕捉する。「驚いた……、《《本当に小半助教授なんですね》》?」
立花千尋は、心底、そうであるように刮目し、声をかけた。
店の奥手、博たちの席からはその表情はうかがえない。震えがちなトーンを懸命に抑えんとする声色は、手にとるように心境を伝える。
二〇二〇年の時代において、伝説的数学者としてにわかに名の知れわたった才女。今から三十年ののちに勃発するパンデミック、その趨勢を、まったくの無自覚に掌中に収める最重要人物。ハイリターンにしてハイリスクの対峙。一手の失着が詰みとなり、女史は罪をつくらせる。できることなら、是が非でも、穏便に運びたかった。ゆえに声もうわずろう。
数学者は、髪と背丈の長い女を見上げる。うろんげな目つきは、警戒と敵意を隠そうとしない。次から次へと現れては不穏な言動をみせる不審人物。おまえたちはぜんたい、何者なのだ。険しい双眸は、口ほどに難詰する。彼女の放つ必至を、彼女は、必死で受けきらねばならない。
「ああ、すみません。私はこの子たちの友人でして」弁明の開始と同時に、座席の入れ替えのため母子を立たせる。「パソ通で知りあった人と会うと聞いて保護者代わりに」
隣へ座らせていただいてよろしいでしょうか、と疑問文のていで、葵をフランの席へつかせようとする。
自身でもかなり強引だとは思った。右耳のワイヤレスイヤホンで、大丈夫なのか、とリーダーが危ぶむが、もちろんフランの前で不用意な応答はしない。平静をよそおい、ほら、ほら、と長い両腕で葵をうながす。
少女は、窓がわへ押しやられたかと思えば今度は反対がわ、フランの席へ移るようにとの指示にも頓着しない。「あたし、次はここに座るんだって。そっちに移動してもらっていい?」
疑念をたたえ表情からあふれ出させつつも、フランは不承不承、飲みものとともに壁がわへ移った。千尋は小さく拳を握る。
そうだ、小半久美子にいちばん詳しいのは自分なのだ。実際のところ不安はあったが、うまいかたちに誘導できた。これで退路は遮断した。ひとまずは悠々と席につ――ずごごごごご「あっ……」
店じゅうに響く音で椅子を引いてしまった。
集まる視線が痛い。
ははは、とがらにもなくそら笑いでごまかし、ぎくしゃくとした動きで着座。どうも、と小さく会釈する。
目をはっきりとあわせられない。博たちには、音声と小さな後ろ姿だけでも、普段のクール然とした千尋ではないことがみてとれた。彼女自身も、らしくない醜態をさらしてしまっていると理解していた。
ああ、無理だ。おちつくなど、とうてい。
今、眼前に本物が、《《本物の小半久美子がいるのだ》》。
これがどれほどの緊張であることか。たとえ博であろうと、ほかの者には五ミリと伝わらないだろう。自分だからこそ、いっそオーラめいたオカルト的な空気すら感じとれる。――いや、あるいは博なら。
「ええと、わけがわからないことだらけで混乱されているかと思います」オーラ的なものがまぶしくて目をあわせづらいなか、まずは不信感を解きにかかる。「私たちはけして怪しい者ではありません」
怪しい者の定番フレーズに、小半久美子は、騙されるものかとねめつける。
「あたしたちね」弁明を続ける千尋に割り入り、彼女の対面、女史のかたわらの少女が、いらぬ蛇足を加える。「令和から転生してき――」
「陽子さん」
目線もくれず隣へ合図を出すと、
「痛った!」むかいのラノベ娘は悲鳴をあげる。「ちょっ、ママ、足踏んだっ?」
はすむかいに座る母親は、娘のアイスコーヒーをなに食わぬ顔ですする。「アー、おいし」
ぷりぷり憤慨するラノベ脳用に、千尋はすかさず、すみません、とウエイトレスを呼ぶ。「プリン・ア・ラ・モードをもうひとつ」
「ハッ……! 最強モードのやつ!」
目の色がころりと変わるのでそちらはよしとし、小半久美子の顔色をうかがうように尋ねる。「小半助教授もグラスを代えられますか? でしたら私もごいっしょさせていただいて同じものを」
小半久美子は口をむすんで答えない。かまわず千尋は、ミルクティーのアイスをふたつ、と注文する。陽子さんは、と隣に問うと「私はこれがあるから」娘のだったコーヒーを示す。子の飲み残しは責任持って処理するということらしい。
店員が背を向けると、千尋は改めて小半久美子へ向きなおる。自身のなかで少し肩の力が抜け、先ほどよりは顔をあわせられるようになってきた。相手はまだ、温度差がアイスとホットていどに断絶したままだが。
守りを固める女史への次なる一手を、千尋は編む。
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