二十 MK5《火星人が解読する五秒前》
「まさかおまえが《《そう》》だったとはな」
博は、相手から目を離さぬよう、注意深く言った。
彼女はごく軽く、にこ、と笑んでみせた。笑ったのは目尻のみ。口もとは、普段そうであるように、無感情にむすばれていた。もとより感情など有していないのかもしれない。自分たち人類とは異なる論理・倫理・哲学に生きているのだろう、たぶん。
口ぐせのようにたびたびあげる言葉が、実は、自身の出自を示していたとは。Martian、すなわち《《火星人》》、立花千尋。
その長い黒髪が束でまとまり、何本かの手足を形成するかのように浮いていた。
「最初から解いていたわけだ。小半助教授の暗号」
「ええ」彼女は、こともなげにうなずく。「五秒とかからず」
たたえた笑みのようなものを顔から消した。千尋はいつもの、なにごとにも無関心でいるかのような表情に戻る。〝五秒とかからず〟か。
日本じゅうの知恵を動員してもびくともしなかったというのに。まるっきり、あいつの言う〝チートスキル〟じゃあないか。
姪に思いがおよんで、ぎくり胸が跳ねた。だめだ、《《こいつを近づけてはいけない》》。
ほとんど正体のしれない奴を、もはや葵のそばに行かせるわけにはいかない。
「おまえがよく口にするあの天才も、同じ火星の出身か?」
時間稼ぎで博が言及した人物に、千尋は少し苦笑う。「あなたたちの水準では、異常なまでの知性の持ちぬしだった」
私たちの基準からすると、首がすわるころの知能に相当するかと――千尋は、逆だつ毛束を左右ひとつずつ〝お手あげ〟のように広げてみせた。核爆弾の製造に関われる乳児はあまり想像したくない。――そもそも哺乳で生育するのだろうか。
「さて、私にはやらなくてはならないことがある」
腕のような髪をいくつも浮かべる女は――性別の概念が存在するのかは別として――どこかへ行こうとする。止めなくては。
「暗号の答えは?」黒い腕を生やす背へ問う。「どうやって解いた?」
火星人が足を止める。ゆっくりと振り返るさまはホラー映画じみた絵づら。浮遊する髪がいつ伸びて絡みついてこないか気が気でなかった。
「〝ゴンヴェイのチェーン表記〟」
権兵衛のなんだって? 戸惑う博に、羽織るカーディガンのポケットから情報端末を出し、短いなにかを書いて見せる――取り出したのがスマートフォンではなくA4サイズのタブレットだったのは、この際、気にしてはいけないのだろう。きっと火星の技術だ。青タヌキの五次元ポケット的な。たぶん。
5↑↑↑↑↑5
「これは巨大な数字を簡潔な記法であらわしたもの」
数字と複数の矢印。
意味はさっぱりだが、ネットかなにかで見た気がしないでもない。
千尋はその下に暗号文を表示させ説明する。
てんせいし たらちーと
すきるをご ひゃくごじ ゅうごこも
(りゃく)
たいきおい でうっかり せかいをほ
ろぼしてし まいました
「ひらがな五十五文字による構成は、矢印記法で記述される巨大数を示唆している」
――ん
『この〝5↑↑↑↑↑5〟があらわす莫大な値、無数の桁の羅列から、特定の間隔で数字を拾っていく』
――さん
『その周期が〝5↑↑5〟、すなわち〝5^5^5^5^5〟』
――グさん
『このサイクルで現れる数字にそって暗号文の文字を拾っていくと、パスワードは――』
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