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十八

 ある時期を境に、萬谷からの呼び出しが目にみえて減った。

 ほとんど毎日のように、日によっては都内へ二度、三度と往復さえしたのが、週に一、二度になったかと思ったらまったく呼ばれない週もあり、まもなく常態化した。

 これまで千田から連絡をとることは基本的になかったが、さすがに気になって電話をかけ探りを入れてみるも、今日はいい、今週は大丈夫だ、とのつれない返答ばかり。千田はあせった。

 萬谷の売買を参考に購入した銘がらは、今や軒並、値を下げている。全額で五百万を投じた株券の価値は半値を割っている。この先、株価は戻るのか。今さら百万単位の損失などだしたくない。

 五度目か六度目に萬谷の事務所へ電話したとき、株式投資はどうするつもりなのか聞いてみた。電話口の中年男は、恐れていた事態をさらと語った。


「株からはあらかた手をひいたよ」


 青ざめる千田。そのこけた頬とは正反対の、恰幅のいいほがらかな声が受話器の向こうで笑う。「これからは不動産の時代だ。安全性に上昇率。特に土地はいいぞ。株や投信なんかよりずっと旨味がある」


 機嫌がいいのか萬谷特有の無駄話はとうとうと電話線と伝って流れるが、千田の耳は右から左だった。頭に残ったのは、鞍替えした不動産投資に千田のソフトウェアは必要ないという事実。いるものは億単位の元手と人脈。真似ようにも千田にはどちらもない。


「アノ……、『和洋裁』と『舎雄』は今後、上がると思いますか? あと『雛瀬』と『SORA』と『アルタイル』。上がるとしたらいつごろ……」


 手持ちの株券のうち、特にふくみ損の広がりが大きい銘がらについて千田は尋ねた。


「キミィ、まだそんなモノつかんでいたのかね」男の返答は無情だった。「とうの昔に損切ったよ、キズの浅いうちに」


 上場廃止にならなければ値が戻る確率はゼロではない、そんなモノがあるのかどうか、いつあるかわからない株券(モノ)を待つほどワシは気長じゃない。そういったことを言い萬谷は電話を切った。

 視界がいっぺんに暗転した。

 都内に越して毎夜毎夜、トルコ通いにテレクラ遊びにふけるどころの話じゃない。


 それからの千田は、絵に描いたように坂を転げ落ちた。

 萬谷頼みだった相場の予想をみずからたてるため、株式投資の書籍を読みあさった。五経新聞をとり、テレビを買って常に東証平均株価を気にし、ゴフティーでは投資関連のフォーラムの常連ユーザーとなった。資金を稼ぐために時給五百二十五円の薄給をかけもちし、大学へはほとんど顔をださなくなった。送りの学費に手をつけ、とうとうサラリーマン金融(サラきん)に手をだした。

 勝算はあった。さんざん株について学び、情報を仕入れ、ついには投資セミナーで極秘情報を入手した。相場で長年生き残ってきたベテラン講師が『コレが上がらなければ私は引退しクビをくくる』とまで断言した超優良銘がら『SYYS』。これを上がりはじめの段階で仕込めたことは幸運だった。やはりここをおさらばすることになりそうだな、と千田は、しみったれたアパートでひとりほくそ笑んだ。日に何度も株券を手にしてにやにや眺め、株価の上昇する日を待ちわびた。


 SYYSは、ある日、前ぶれなく急落した。

 千田は戸惑ったが、安値で買い増しできるチャンスと前向きにとらえ、手持ちのほかの株券を損失確定させて処分。その金でさらに買った。急落後、じりじり上げ下げし気を揉まされたが、ついに反発。新聞の株価欄にきらめくストップ高の印を鷹揚に見おろし、千田は、〝伝説の相場師の唯一の弟子〟だと壮語する講師の目利きに感謝した。二十万ものセミナー代を払った価値はあった。

 そして、翌週。

 SYYSは再度の反落をみる。連日、株価チャートに滝のような断崖絶壁を描いたのち、上場廃止。あっというまに消えてしまう。千田も運命をともにし、相場から退場となった。


 結局、残ったものは、紙くずと化した株式証券と一千万円を超える借金。大学は学費の滞納で退学となり、親からは勘当された。トルコどころか普通の風呂にもろくに入れず、サラ金を返済するため、常にずれる置き時計で寝起きし、朝から晩まで働く毎日。

 千田が神仏のようにすがったくだんの講師は、知る人ぞ知る、いわゆる〝逆指標〟。三流相場師くずれであると知ったのは、後日のことだった。豪語していた〝はずれたら引退しクビをくくる〟との言が本当だとしたら、月に五回は首を吊っていることになる。そのていどの三流三文の相場師もどき。いくら罵倒したところで、50Hzの時計と同じ。あとの祭だ。

 自分たちカモが支払った高い〝授業料〟でうまい飯を食い、いい女を抱いているのだろう。こっちは食うにも窮しているというのに。


 そんな、ガスや水道を止められたこともある貧乏暮らしの千田が、極力、滞納のないよう努めた〝ライフライン〟が三つあった。

 電気代、電話代、そしてプロバイダーの接続料。

 根っからのパソコンオタクの彼にとってパソコン通信は数少ない生きがいのひとつ。ハードウェアやプログラミングの情報が日夜やりとりされ、対面よりはいくらかましな文字でのコミュニケーションが可能。美少女キャラのエッチな画像もダウンロードできる。株なんてガラでもないことをするんじゃなかった。

 オンラインの狭い世界にひたり続けていれば、同じく狭い大学で無難にモラトリアムを消化。借金とりの、夜となく昼となくおかまいなしの電話や訪問におびえることもなく、如才のない歯車としてそれなりに暮らしていけただろう。同じ歯車でも今は自転車のそれだ。止まればたちまち倒れてしまう。


 風呂なしの代わりとばかりに蒸し風呂のような室温と湿度。汗と疲労にまみれて千田はPCの電源を入れる。薄暗い部屋を、黒い画面に浮かぶ白い文字がかすかに照らす。お気に入りのイラスト作者が新しい画像をアップしていないかチェックして寝よう。近々、新作を投稿するとの発言を先日、フォーラムで見た。アップロードしていなければ待ち遠しいし、していればダウンロードする時間がもどかしい。ちょっとしたおみくじ気分でモデムの信号音が鳴りやむのを待つ。でるのは吉か凶か。その前に、まずは市内の電気店が運営する草の根BBSからまわる。巡回はいつもここからだ。

 ずらずらと並ぶ、最初の画面を構成する見慣れた文字列。その中に、おや、と。千田は、見慣れない表示に目を、自動巡回(オートパイロット)を、とめる。


 電子メールだ。

 オンラインでも人づきあいの不得手な彼は、掲示板へ多少の書き込みをすることはあってもチャットやメールのやりとりはほとんどない。この小規模BBSでは皆無だ。誰だろう。

 送信者は〝GUEST〟。いたずらかなにかか。ちらと見て削除し、ゴフティーで画像投稿用の掲示板をチェックしよう。草の根BBSは従量課金制ではないが電話代はかかる。こちとら、ひまなし金なしだ。一秒だって惜しい。

 五秒とたたないうちにオンラインの塵と消えるはずの一通の電子メールが、しかしながら「……?」五秒後も五十秒後も「なん……だ? コレは……?」五分後も五日後も、長くメールボックスに残ることになろうとは。


 いったい誰が《《こんなモノ》》を……?


 この思いがけないおみくじが、小吉や中吉、凶などではないことはほどなくして察する。だが、大吉なのか大凶なのか、はたまたもっと理解を超えたほかのなにかであるのかを千田哲也が理解するのは、少し先の話だった。

おもしろかったら応援をぜひ。

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