十七
その後の顛末からいうと、千田は多額の借金を負った。
萬谷に騙された、というわけではない。すべては彼の自業自得によるものだった。
話は、途中まではおもしろいほど順調に運んだ。五目均衡表という手法は多少込み入っていて、また、その有用性も千田にはぴんとこなかったものの、チャートを表示するコードはわけなく書けた。これへ萬谷独自の味つけをくみとって反映するのには少々骨が折れたが――とにかくマイペースな男で、言わんとするところがいちいちわかりにくかった――あとはメモていどの仕様書らしきものをてきとうに作り、コーディングし、バグをつぶし、コンパイラーとデバッガーをとおし、動作テストで洗い出したバグをつぶして一丁あがり。大学とアルバイト先を一日、欠席・欠勤すれば一昼夜で形になった。
「オオーッ、コイツァー、スバらしい!」
都内のぱっとしない雑居ビル――萬谷は所有物件のひとつだと言っていた――にある事務所で、作成したソフトウェアをお披露目すると、クライアントはいたくお気にめしたようだった。千田が提供したPC-9805――勤務先のパーツショップで型落ちした売れ残りを投げ売り同然の五万円で譲り受け、五倍の値段で売りつけた――とあわせて大満足。中古ショップなら五万でも売れないようなPC-8805を五十万で売りつけた、くだんのお知りあいのコンピューター会社よりは、はるかに良心的だろう。
株式投資だって要は似たようなものだ。値が上がると見込んだ銘がらを安いうちに買い、高くなったら他人に売りつけ、つかませる。あとはより上がろうが下がろうが知ったことではない。
萬谷という男は、話はマイペースで要領をえないし、〝マイコン〟についてはずぶの素人だが、こと相場観は人並以上のセンスを有していた。
できあがったソフトを千田も試してみたが、成果はゴフティーに公開したジョークソフトとさして変わらず、星占いで売買するがごとしの無意味。これが萬谷にかかると不思議なほど高い精度で値動きを先読みし、百発百中とはいかないまでも百発七十五中ほどの勝率を誇る。
なにより萬谷は、致命傷を確実に回避する。相場においては勝率以上にトータルの損益が重要だ。極端な話、十回の取引で九回利益を得ても、一回でそれを吹き飛ばしてあまりある損失をだしてしまえば負け。逆に九回連続で五十万失ったとしても、一回、百万の利益をあげれば逆転ホームラン。勝者だ。萬谷は、いうなれば、失点を抑えつつコンスタントにヒットで稼ぎ、ときどき長打も放つ優良プレイヤーだった。
ただ、その変則的な売買手法をもとに予想しようとすると、データの入力のみならず、毎回のようにプログラムの変更を要した。千田も初めは、例の萬谷の知りあいのコンピューター会社が提示した料金は、ぼったくりまがいに吹聴した方便とみていた。が、実際に請け負ってみると本当に実行ファイルへ手を入れなけばならなかった。相場に影響をおよぼすできごとが起こるたび、早朝だろうが真夜中だろうが祝祭日だろうが、講義中だろうがバイト中だろうがおかまいなし。二十四時間、自宅の電話とポケットベル(萬谷に持たされた)に連絡が入り、都内の事務所へ呼び出される。なるほど、一回、五千円の端金で四六時中呼びつけるクライアントを、企業は相手にしないだろう。しかし、いち学生のこづかい稼ぎにはじゅうぶんすぎる金額だ。
毎回、都内の事務所まで出向くのは手間だったが、実働時間は長くても小一時間、ほんの数行の値を(萬谷が言うところの〝ピコピコ〟っと)書き換えるだけの五分とかからない場合もめずらしくはない。それで丸一日ぶんのバイト代に匹敵する謝礼をちょうだいする。あとはトンボ返りで戻るなり、秋葉原へ寄ってパーツを物色するなり、へその下方面がやいやいごねればトルコ――おっと、どこかの芸能タレント(千田はテレビを持っていないため、ニュースキャスターなどはよく知らなかった)がものいいをつけて改称にいたった、入浴料が不自然に高額な浴場で、ひとっ風呂浴びるなりすればいい。
実入りがよくなって、並行していたパーツショップとかけ持ちのアルバイトのうち、後者はほどなくして辞めた。前者のショップも、たびたび抜け出すことへ風あたりがきつくなってゆき、二年半、世話になったが、しまいにはこれも退職。
困ったのは大学だ。しだいに出席日数が危うくなってゆくも、友人知人にとぼしい千田は代返を頼める者もなし。教授陣への人脈も同様で、得意分野の成績をカバーするのにもこと欠く始末。経済面で休退学することはあっても、学業でそのような事態になることは想定していなかった。
いっそのこと退学してしまおうか。大学など、しょせんは社会にでるまでの猶予期間。一流企業を目指すなら別だが、中堅ていどなら中退でも困りはしない。実家の親は難色を示すだろうが、サイドビジネスの収入を知れば――
そのころの千田は、萬谷の依頼に応じるだけではなく、その情報をもとにみずからも株取引をおこなうようになっていた。
一介の学生が株券の売り買いを始めるには少々ハードルが高かったし、自身の予想を挟むとたいてい失敗するなどの苦労はあった。だが、軌道に乗ってしまえばおもしろいほど稼げるようになる。取引の規模が五万円から十万円へ、十万円から二十万円へとふくらんでいき、いっとき、二百万円ぶんの株券を購入したときには興奮して眠れず、大学も就職もどうでもよくなった。時給五百円そこらのアルバイトで、預金通帳の目減りをちまちまおぎなっていたのがバカらしくて、せんべい布団の上で苦笑いした。
こんな小汚いボロアパートはひきはらってしまおう。都内の一等地のマンションに住んで、テレホンクラブやデートクラブで女をとっかえひっかえしてやる。ツキがめぐってきた。世のなかのすべてを思うままにできるような気がした。
そしてもちろん、そんなものは幻想だった。
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