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アンと綺麗なお姫様  作者: 深
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第1話 下っ端のアン

 




『ナタリアお嬢様は、目も耳も悪いらしい。』



 それは、アンが10歳になって、仕事にも慣れ始めてきた頃に流れた噂だった。


 アンはハルヴァン一家のメイドである。ハルヴァン一家というのは、とっても裕福なハルヴァン商会の会長一家のことだ。家が貧しかったアンは8歳の頃に奉公に出されてから、ずっと洗濯や掃除などの雑用をこなして生活してきた。

 アンを除く使用人達はアンよりも年上で、お喋りや噂話が大好きだった。けれどアンがその会話に混ざることはほとんどなく、賄いの時間もアンは隅の方で話を聞きながら1人黙々と食べていた……丁度、今の様に。


「ねえ、ナタリアお嬢様が目も耳もお悪いって噂は本当かしら。」

「どうかしらねぇ。なんたって、生まれてから3年間ずっとお部屋から出されてないでしょう。」

「目や耳のどちらかが悪い方っていうのはたまにいらっしゃるけど、両方って……ねぇ?」

「せっかくこんなに裕福なお家に生まれたって、それじゃお気の毒よね。」


 ……お嬢様は目も耳も悪いから、裕福でも幸せじゃないんだろうか。アンにはわからなかった。アンはお金が無かったから家族と離れて奉公に出た。隣の家のナジャや、他にもよく一緒に木の実拾いに行ったイグマやマリーだって、ここにはいない。

 お嬢様はきっと、毎日美味しいご飯を食べて、掃除や洗濯なんてすることもなく、夜になればふかふかなベッドで寝るのだ。お嫁さんに行くまでは、お母さんやお父さんと離れる事だってない。アンはそれが気の毒だとは思わなかった。目が見えなくて耳も聞こえないということがどういう事なのかも、アンにはよくわからなかったけど。

 そこまで考えて、アンは首を左右に振った。たとえお嬢様が幸せでもそうじゃなくても、アンには関係のない事だと思ったからだ。10歳のアンでは幼いお嬢様のお世話をすることはない。毎日屋敷の端で雑用をしていたって、お嬢様に会うことすらないだろうから。いや、無いはずだったのだ________この日までは。



 アンの朝は早い。次の日、アンはいつも通り屋根裏部屋の、少し軋む音はするけれど、実家の物よりは幾分上等なベッドで目を覚ました。屋根裏部屋に辿り着くには階段をたくさん登らなきゃいけないし、部屋はあまり綺麗ではないし、狭いけれど……アン1人のために与えられたこの部屋は、アンにとってとても嬉しいものだった。

 アンは体を起こして伸びをすると、部屋に1つある窓を開けて息を吸った。そうすると春の朝の匂いがアンの身体に入り込んで来て、晴れやかな気持ちになる。それから、アンは仕事着として支給されているワンピースを着た。膝丈くらいの、汚れが目立たない黒い服。これも質素だけど丈夫で、実家で着ていた服よりも良い物だった。


 身支度が済むと、アンは階段を降りる。朝から屋敷中の洗濯物をするのがアンの仕事なのだ。勿論アンだけで洗濯をするわけじゃないけれど、一度に洗える量はそんなにないので、それぞれの洋服は週に1回くらいの頻度で洗われる。屋敷の井戸には手押しポンプがついているから、力の無いアンでも水を汲める。それを沸かして使うのだ。

 一緒に洗濯する人はアンの他に2人いるけど、アンが来るのが1番早い。井戸に着くと、アンはまず顔を洗った。洗濯の係じゃなくても顔は洗えるけど、仕事ついでに洗えるのは楽だった。



 そして、さあ湯を沸かしに行こう、そう思った時だった。



「アン!! ああ、やっぱりここにいた。 旦那様がお呼びなの。 洗濯は良いから、さっさと旦那様のお部屋に行ってちょうだい。」


 メイドの1人に声をかけられた。アンは不思議に思った。一緒に洗濯を行う2人は、いつもアンがお湯を用意したあたりにやって来るからだ。すると案の定、声をかけて来たのはいつものメイドではなくて、メイド長のサーシャだった。


「旦那さまが……?」


 アンは首を傾げる。旦那さまということは、ハルヴァン商会の会長ということである。サーシャならまだしも、下っ端も下っ端なアンが呼ばれる事なんてありえない。それも執務室などではなくてお部屋、つまりは寝室だ。一体何の話があるというのだろうか。


「ほら、旦那様はお忙しいんだから、お待たせしないように!」


 サーシャに叱咤されて、アンは慌てて走り出す。会長の寝室には井戸のある裏庭から勝手口を通って屋敷に入り、階段を登って二階へ行かなければならない。アンは二階のフロアに入る事も滅多になかったから、二階は少し緊張して音を立てないように歩いた。



「……し、失礼します。アンです。」


 小さな声を震わせて、アンは寝室のドアを二度叩く。


「ああ、入ってくれ。」


 男の人の声が帰ってきた。おそらく会長だ。アンは会長と面会するのは初めてだった。


「旦那さまがお呼びだとききました。どのようなご用件でしょうか。」


 ドアを開けて入ると、アンは会長にたどたどしい口調で尋ねた。部屋には会長の他に会長の奥様がいた。会長は恰幅のいいおじ様という感じで、奥様は肉つきが良いけれど、身体が細くて女性らしい人だった。


「ああ、君が礼儀に疎いことくらいはわかっている。楽にしていいから、とりあえずもう少し近くにきてもらえるか。」

「は、はい……」


 アンがおずおず前に出ると、改めて会長が口を開いた。


「突然だが、君に任せたい仕事があってな。」

「はあ……。」


 アンに出来る仕事など、アンには雑用以外何も思い浮かばなかった。


「君に、ナタリアの世話係兼友達になってほしい。」

「え……?」


 アンは言われたことが理解できなかった。アンのような幼い雑用メインの下っ端がお嬢様の世話係というのもあり得ない事だったし、友人だなんてさらにわけがわからない。


「いや、理解し難いのも最もだ。友達など親に言われてなるものでもない……普通なら。」


 アンが混乱していると、会長はそんな風に言ってうんうん頷いていた。残念ながらアンにとっての問題はそこではないのだが。しかし、何を言っているんだというアンの視線をよそに、会長は話をつづけた。


「私がこんなことを言うのにも勿論理由があってな。既に知られているかもしれないが……ナタリアは生まれつき目も見えないし、耳も聞こえないことがわかったんだ。」

「………」


 アンは無言になった。確かにそんな噂は聞いていた。けれど、それがなんでアンがナタリアの世話係兼友人になるなんて話に繋がるのだろう。



「まあ、生まれてすぐにナタリアがそうであることはわかっていた。それでも、何か治療法はないかと探して……3年かけても見つからなかった。」


 会長は顔に諦観の念を浮かべて話した。


「ナタリアはおそらく、一生このままだ。対等な立場では友人を作る事も難しいだろうし、私達夫婦もいつも一緒にいてやれるわけではない。しかしこのままでは、誰ともコミュニケーションの取れないナタリアは、本当の意味で孤独になってしまうと思う。」


 そこで会長は言葉を切って、アンの瞳をじっと見た。


「だから君に、ずっとナタリアの側にいて友人として味方になってもらいたい。仕事と割り切ってくれても構わない。君は使用人の中で最もナタリアに年が近いし、サーシャから働きぶりも真面目で信用できるときいている。だから君を選んだんだが……どうだろうか。」


 真剣な顔でどうだろうかと言われて、アンは困ってしまった。

 アンには、目も耳も聞こえない上に、商会のお嬢様であるナタリアの友人なんて自分に務まる気がしなかった。

 だが、アンはハルヴァン商会のメイドである。実家に帰ることなんてできないし、会長から頼まれて断ることなんて出来るはずがない。



「あの……お仕事ならなんでもします。ナタリア様のご友人なんて……お世話係もわたしに務まるとはおもえませんけど。」



 アンがそう伝えると、会長は微笑んで頷いた。





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