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どうもありがとう短編集

わすれもの

作者: しろきち

続けた短編は、一旦終了です。


読んでくださった皆様、本当にどうもありがとう。

ここは、東京都港区南青山にある商業施設、ブラウベルク。

滝沢真司はこの日、注文していた指輪を受け取るため、宝石店を訪れていた。

どこかのCMの名残りなのか、いつの間にやら定説となった、

給料の三か月分の金額を使い、婚約指輪を用意していた。


「滝沢様、いらっしゃいませ。本日は、お受け取りでしたね」


宝石店の従業員、白木瑶子が出迎える。


「あぁ、白木さん、こんにちは、昨日、電話もらいましたんで」

「はい。ではご確認をお願いします。今、お持ちします」


白木が、手袋をし、ビロードのトレーに乗せて持ってきたのは、

真司が選び、刻印を注文した指輪。

シンプルなプラチナ製で、小さなダイヤモンドが埋め込まれた物。

指輪の内側には、真司が三週間悩んで決めた刻印がある。


「滝沢様、刻印はこちらで、間違い御座いませんか?」


『My future be with you』


「はい、注文通りです。大丈夫です。」

白木が丁寧にケースにしまい、店の袋に入れ、手渡す。

「お待たせいたしました。本日はご来店ありがとうございました」


「ふぅ~。なんでこんなに緊張してんだか」


指輪は手に入れた。だが本番はこれからである。

プロポーズをするという事を改めて認識し、真司は平常心を保てなくなる。

「落ち着け、俺。今日渡す訳じゃない。落ち着け。

 すうぅぅぅ、はぁぁ~。大丈夫、まだ慌てるような時間じゃない。

 取り敢えずトイレだな」


個室に入り、ドア上部にあるフックに、大事な指輪の入った袋を掛け、

便座に座る。冷静になるために来たにも拘らず、頭に浮かぶのは、

プロポーズのことばかり。

10分はそうしていただろうか。スマートフォンが静寂を破る。

表示されているのは、勤務先の上司の名前。出ないわけにはいかない。

仕方なしに通話をしていると、ドアがノックされる。

真司は通話をしたまま、急いで個室を出る。

上司への説明をしながら歩いているうちに、施設を出て、駅近くまで来ていた。



§

ようやく空いた個室に入り、座った男。ふと、頭上にぶら下がる袋を見て、

前にいた男の忘れ物と悟る。あとで、従業員に渡せばいいと考え、用を足す。

トイレを出て、誰に渡そうかと思ったところに、

ちょうどよく警備員が通り掛かる。


「警備員さん。これトイレのドアに掛かってたんですけど」


「忘れ物ですか。これはありがとうございます。どの個室ですか?」


「一番奥です。多分、俺の前に使ってた人じゃないですかね、

 電話しながら、出て行ったんで」


「そうですか。少々お待ち下さい。」

警備員は電話をかけ、何かを確認した後、男に向き直る。


「お客様。拾得物法に則って扱うための、

 書類のご記入をお願いしたいのですが、ご足労願えないでしょうか」


法律の名前を聞いてしまうと、断るわけにもいかず、男は了承する。

「では、こちらへお願いします」


警備員に付いていくと、小さな会議室に通される。室内には別の警備員がおり、

椅子を勧められる。


「お客様、お呼びして申し訳ありません。警備責任者の大石徹です。

 遺失物法よる、お客様の権利についての説明と、書類作成が必要なもので、

 手短にしますので、ご協力下さい。

 まず、お客様には、二つ権利があります。一つは落とし主が現れなかった場合。

 これはご存じですか?」


「半年で、もらえるんでしたっけ?」


「三か月ですね。

 その間、落とし主が現れなければ、所有権はあなたの物になります。

 現れた場合は、この品物の金額の10%を請求する権利が

 あなたと、この施設に発生します。

 なので、あなたが権利の主張をどうするか、決める前に、施設側と、

 お客様で、この品のおおよその価値を確認する必要があるのです」


「確認しないと駄目なんですか?」


「本来、10万円の請求する権利があるのに、説明されなかったとしたら、

 不満に思いませんか?

 これはこちらの都合で申し訳ないのですが、説明を正確に行わないと、

 あなたの権利を侵害するということになってしまいまして。

 色々と不都合があるんです」

 

「はぁ、そうですねぇ」


大石は袋を開ける、中には指輪のケースが一つ。

さらにケースを開け、指輪を確認する。


「おそらく、エンゲージリングですね。相場でおおよそ30万から50万円、

 だとすると、お客様が請求できる権利は3万から5万円です。

 どうされますか?」


そう聞いた後、大石は無線で人を呼んだ。


「エンゲージリングって、プロポーズする時に渡すやつですよね?」


「そうですね」

「それを取りに来ないなんてないでしょう?普通。」

「おそらく、来ると思われます。来ない場合もあります」


「なら、取りに来なかった時だけってできます?」


「失礼します」

真司を案内してきた警備員が再び現れる。


「権利の話しは聞いていただいた。先に記入を進めておいてくれ。

 テナントに確認に行ってくるから」


「すみません。私、これからこの宝石店に行って、金額を確認してきます。

 権利の行使は、あなたの自由です。書類上、権利を主張する旨を、

 書いたからといって、請求するしないは、強制されません。

 あなたがお決めになることです」


「隊長、映像は確認できてます。店舗入り口と、トイレ前。一致してます」

「プリントは?」

「どうぞ」


「お客様、あなたが仰っていた人物の服装や、

 印象は覚えてらっしゃいますか?」


「ジーンズに黒い上着… 背は、俺くらい、175前後。かな」


「眼鏡などは掛けていましたか?」

「いいえ。」

「わかりました。では、書類の記入をお願いします。浅野、頼む」


大石は真司が忘れた袋と、

浅野と呼ばれた部下が持ってきた写真を持って退室する。


「ふぅ。」

「お客様、済みません。ウチの上司が堅苦しくて。疲れませんでしたか?」

「いや、こういうの初めてなんで、緊張するというか…」


「こんな制服に正面に陣取られたら、みんな、そうなりますから。

 では、お名前の欄から、お願いします」



§

大石は、真司が指輪を購入した宝石店に到着していた。

「えーと、隊長さん。でしたよね。どうされました? 戒報ですか?」


戒報とは、この施設での隠語であり、警戒情報の略である。

すなわち、盗難等を警戒すべき人物の来店を知らせに来たのかとの質問である。

事情を知らない客などが聞いても、

会報や、開放と認識するであろうと、この表現が選ばれている。


「あ、いえ、違います。これは先ほど届いた拾得物なんですが、購入者は、

 この男性で間違いないか、確認したくて伺いました。白木…さんでしたね」

大石は指輪の入った袋と、写真を渡す。


「あ、はい。この方は、滝沢真司様です。つい先ほど、お渡ししたばかりです。

 このエンゲージリングは滝沢様が購入され、刻印の注文を頂きました。

 担当したのは、私ですので、間違い有りません」


「そうですか、この指輪と同じ物の金額を教えて下さい。

 それと滝沢様の連絡先はわかりますか?」


「そうか、権利の話しですね。金額は約100万円ですね。

 連絡先わかります。どうしますか?」

「お願いできますか?」

「承知しました」


大石の制服のどこかで、電話が鳴っている。

制服の胸ポケットから、スマートフォンを取り出す。

「あ、これじゃない。こっちか」

 反対の手で、腰のケースから館内用PHSを出し、通話する。

「白木さん、連絡の必要は無いみたいです。ご本人から電話あったそうです」


白木の反応は無い。ただ一点を見つめている。

「白木さん? どうされました?」


「隊長さんのスマホについてるメダル、見せてもらえませんか?」


「あ、これ。はい、どうぞ。これお気に入りなんですよ」


「これ、どこで手にされたんですか?」


「ずいぶん前に、もらったんですよ。女性から。

 以来、お守りとして付けてるんですよ。ははっ」


メダルを眺めていた白木は、顔を上げ、恥じらいながら告げる。


「…… それ、私です。そのメダル私が作ったものです。10年前です」


大石の眉毛がピクリと動くが、動揺を見せることなく応える。


「白木さん、閉店後にお話しさせてもらえませんか。

 今はこの指輪の件を優先します」



§

「ほう、緒方龍之介さんですか。かっこいい名前です。羨ましいですよ」


「そうですか?面倒ですよ、いろいろ言われて。

 小説書けとか、海が好きとか。

 それより、浅野さん、聞きたいんですけど」


「なんでしょう?」

「隊長さんが、落とし主が来ない場合もあるって、言ってましたよね?

 そんなことあるんですか?」


「無いとは言い切れませんね。どこに忘れてきたか判らないとか、

 事故、病気、仕事で来られない可能性もありますし、

 婚約指輪自体がいらなくなってしまうことだって、有り得るでしょう?」


「プロポーズをしない? 振られたとか?」

「可能性としては。ですがね」


「俺なら絶対渡すけどなぁ」


「そういうお方がいるという事に聞こえますね。ますます羨ましい」


「憧れってヤツですよ。10年会えてませんから」


「それは凄い。会えたら、さぞ、嬉しいでしょうねぇ」


「会えたら絶対に、その機会は逃したくないんですよね。

 次いつ会えるか分からない事ってあるんですよ」


龍之介と、浅野が世間話に花を咲かせているところへ、

赤い顔をした大石が戻ってきた。浅野の顔が急に引き締まるも、

すぐに上司の見慣れぬ赤面に、怪訝な物へとまた変わる。


「隊長? こちら緒方龍之介さんです。権利は一切放棄されるそうです」


「報奨金は10%で、10万円になるそうですが、よろしいですか?」


「はい、構いません。だってプロポーズがうまくいってたら、

 お金いるでしょう? ご祝儀ってやつですよ」


「それは素晴らしいですね。

 落とし主は、今、こちらに向かっているそうです。

 よろしければ、緒方さんから、渡してあげて下さいませんか?」


「じゃあ、ぜひ! ねえ、隊長さん。施設が請求する権利は使うんですか?」


「ご心配なく。当施設は請求権を行使しないと決まっております」


その時、別の警備員に連れられ、滝沢真司が入ってくる。


「滝沢真司さんをお連れしました」

三人目の警備員は隊長に近付き、小声で報告をする、

「運転免許証で本人確認済みです」

大石は、頷いてから、真司に向けて話し出す。


「滝沢さん。彼があなたの忘れ物を届けてくれた、緒方龍之介さんです」

 

龍之介は袋を真司に手渡す。

真司は指輪を確認し、心底安心した表情をみせる。


「あぁ! ありがとう。本当に、どうもありがとう!

 この指輪を渡せなかったらと思うと……

 この御恩は決して忘れません」


「いやぁ、返せてよかったですよ」

「まったくです。こんな忘れ物は中々ないですよ。ほっとしましたね」

「滝沢さんが、こちらにサインをすれば、手続きは完了です。

 緒方さんも当施設も、拾得物に対する報奨金請求権は放棄いたします。

 安心して下さい」


「みなさんのおかげで、指輪を取り戻すことが出来たんですね。

 本当に、皆さん、どうもありがとう」

真司の目には、薄っすらと涙が浮かんでいる。


一同が部屋から出る。龍之介は知らずにいたが、

そこは防災センターの前であった。

防災センターでは建物への入退館者の管理を行っている。


真司と龍之介が外への扉を開けた時に後ろから、明るい声が響く。


「おつかれさまでーす。本日のイベントスタッフは全員、退館しま~す」


外は雨が降り出していた。


まとめ回になってしまいました。

彼らのその後を想像して頂けたら嬉しいです。


落とし物を拾った方は、権利の話しをきちんと確認した方がいいですよ。

携帯電話は権利が発生しないそうです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 短編シリーズ完結お疲れ様です。 最後もほっこりする良いお話でしたね。
[良い点] なるほど。 かつて名前が出ていなかった人に名前が出てきたわけですか。 10年前の縁が繋がった瞬間です。 お幸せに。 [気になる点] さて、指輪を無くした滝沢さん、誰に?あるいはどちらに…
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