2話 『水曜日と鳥籠』前編
だいぶ間が開いてしまった………
「はぁっはっ、はぁ、はぁ━━……疲れた………」
あの光景が記憶から引き出されたものだと気付いた後、思わず逃げてきてしまった。
(知らない記憶が存在する、のは怖いなぁ)
(でも流石に今はもう心臓も落ち着いてきて──)
(───ないね……ま、あそこから全速力で走って来たから当然だけど)
心臓は未だに早鐘を打ち続けているが、頭は大分冷えてきた。
疲れたが、結果的に走って正解だったかもしれない。冷静に考え直せる。
だが考え直したところで事実は変わらない。
取り敢えず、ドアの前に突っ立って無いで散歩に行くか。
「ただいまっ…………と、ごめんな遅くなって」
鞄を置きながら玄関で待ち構えていた柴犬のまれにリードを付ける。この子は家の二代目の犬だ。初代はほまれと言って、僕が幼い頃から飼っていたが四年前に亡くなった。それから丁度一年ほど経って父が、この子を拾って来たのだ。「この子はほまれから取ってまれにしよう!」と、なんともまぁ適当とも取れる名付けをしたのも父である。
「ごめんって。ほら行こう?」
まだご機嫌斜めなまれに声を掛けて外に出る。
いやはや、この子は拗ねているところも可愛い。――捨て犬なので――推定3歳だがまだまだ幼い顔をしている。この顔には本当に癒される。勿論、顔だけでなく仕草や歩き方、佇まいからして可愛い。この子に惚れない奴など居ないだろう。うん。それぐらい可愛い。
そんな風に惚気けている間にいつもの公園に着く。神社の石階段を下り近くにある大きくも小さくもない公園だ。
「やっぱり暗いな。リードを外すのは止めようか」
街灯があるとはいえ、暗くて危険なのでリードを付けたまま公園を一周して神社へ行く。いつも通り参拝して踵を返す。
が、少し気になったのでこの辺りにも列を成す金木犀の方を向いた。
「…………此処からでもあの場所へ行けるのだろうか……」
誰に問うわけでもなく、ぽつりと。
しかしある事に気付き、自嘲する。
「『此処からでもあの場所へ行けるのだろうか』、か」
「これの向こう側にあるものを指しているとは思えないね」
───自分があの場所をこの向こう側にあると信じきれていないこと
───自分がそれ程あの場所のことは恐れていないこと
───それどころか、あの場所へ再び行くことを望んでいること
そして
───今も視線で金木犀の列を無意識になぞっていること
───「何か」がそこへ行きたいという思いを彷彿とさせていること
(「何か」が何なのかは相変わらず解らないけどね)
そう考えつつもやはり、金木犀の列へ目線を寄越し、
やがて僕の視線はある一点に吸い込まれる。
それは恐く、偶然であり必然であったのだろう。
「 見 つ け た 」
帰り道でもそうした様に――場所は違うが――
その一点に身体を滑り込ませる。
当然リードを握ったまま。
○◆○◆○◆○
「…………やっぱり、夢じゃないよね…………」
半分がっかりして呟くも、半分は安心した。
(僕の頭がおかしくなった訳ではない。これで僕の見間違いや幻覚だったら病院に行こうかと本気で思った……)
「…………まれもそう思うよね?」
僕が問い掛けてみれば、彼女はこちらを見上げて首を傾げた。
あぁ可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いぃ……本当にどうしてこんなにも可愛いのかな、まれは。あぁ今すぐ抱きしめて撫でてあげたい…………
っと、そうじゃなくて、まれを愛でるためにここに来たのではない。
ここには確認に来ただけだ。
僕が見たものは確かにあったんだと。
そしてそれは確かにあった。
表情こそは違えど、植物そのものは変わらない。
先程とうって変わり、闇という光を纏っている幻想的で優しい美しさを醸し出していようと。
注意して見れば分かる。
目の前に広がるこれは、僕が先刻見た庭だ。
あれは幻ではなかったんだ。
それだけ。
だから早く帰ろう。そう思うのに。なんで僕は帰らないんだろう?
もう確認したじゃないか。もう家も安心できる場所になった筈なのに。
身体がここに居たいと言ってる。
ここに居たいと思ってしまう……
「キュゥン?クゥーン……」
まれの声を聴いてはっとする。
「そうだね。帰らないと」
まれに『帰らないの?』と言われた気がした。
そうだ。父やまれも居るんだから。帰らないなんて選択肢にない。何を迷っていたんだろう。
さっさと帰ってご飯を食べよう。
そう言いながら帰路につく。
ただ、庭から出た時にはたと足を止めた。
ここは全て金木犀の木で囲われている。
この美しい景観を隠すように。
穢れを絶つように。
ここは他と違うんだ。穢れは赦さない。
造作者の主張が聴こえる。
美しいものは逃がさない、とも。
美しいものを穢れた外界から護り、
金木犀の中に囚えて放さない。
これではまるで、
「『鳥籠』に容れられているみたいだね………… 」
サブタイトルの通りこれは後編もあります。
本当は分けるつもりは無かったんですが間に合わなくて……
まだまだ続くので最後まで読んでいただけると嬉しいです!!