歌石の力
「剣と力を強化した?」
左近は尋ねる。春香は指揮杖をしまうと、得意げに教えてくれた。
「姉さんが歌っていたでしょ? あれは強化の歌魔法。私の筋力と剣の強度を上げたの。天狗面も同じように歌っていたけれど、姉さんの方が歌はうまかったから、勝てたわけ」
自然を改変する歌石の力。単純に肉体を強化することもできるのか。ん? だったら……。
「なぜ俺を強化してくれなかったんだ?」
とても不満そうに左近は尋ねた。実際、左近は不満タラタラだ。これじゃあ殴られ損じゃないかと思っている。
「ふふん。素養の問題よ。左近は歌魔法の素養が無いから、私が歌を奏でても穴の空いた桶に水をいれるようなものだわ」
春香は得意そうに鼻を鳴らす。左近はイラっとして、眉を顰める。口をへの字にして訊ねた。
「強化されるにも、歌が上手くなくてはいかんのか?」
「そうよ。リズムに乗れることが重要よ」
「りずむ……『りずむ』とはなんだ?」
「左近には無理って意味だ。はーはっはっは!」
春香は高笑いをした。左近は春香に気づかれないように舌打ちをした。確かに歌は上手くないのだが、こうもバカにされると面白くない。
ガヤガヤと町衆の視線が集まることに気がついた。そういえば、宿場町のど真ん中でどんぱち行っていたのだ。
後のことはあまり考えていなかったが、さぁてどうしたものか、と顎を撫でる。
「私は神祇省の者です。 不逞の輩を始末しました」
何事か考えているようだったが、周囲の状況に気がついた夏樹は言った。宿場町の顔役が人混みから現れ、夏樹と話をする。話はおおむね順調のようで笑みも溢れていた。
とりあえず、夏樹に任せておけば、大丈夫だろう。これが春香だけだったらゾッとする。
左近は周囲を見回した。特別、監視されているような視線は感じない。さっきまでは誰かに見られているようだったが、今日のところは完全にひいたのだろう。
まぁいいさ。襲ってくるのであれば……殺せばいい。降りかかる火の粉は払えばいいさ。
「皆さん、お騒がせしました。おケガはなさいませんでしたか?」
春香が指揮杖を抜いてひどく丁寧な口調で尋ねた。小さな子供がやってくる。左近の発砲した際に転んだようでひざ小僧から出血していた。
左近は、春香が丁寧な態度を取っているのに驚いた。春香のやつ、あんなまともな対応をすることができるのか……。なんで俺にはああじゃないのだろうか?
「お姉さんが治してあげよう」
お姉さんという部分をやたら強調して春香は言った。春香が歌を奏でると、子供の傷はふさがり傷跡も残っていない。春香の周りには徐々に人垣ができた。春香が奏でる歌は、たいそう心地いい。
ケガをしていない連中も春香の歌声に惹かれてやって来る。仕方のないことだ。
肉体強化、回復、自然改変。
この三つが歌石の力なのだろう。肉体強化に関しては、万人が恩恵を受けられるものじゃばいが、回復程度なら誰でも受益できるわけか。左近は静かに分析をした。
「まったく……春香は」
夏樹はやれやれと頭をおさえ、左近の近くへやってきた。声に少し怒りと呆れが混じっている。
「歌石も無限にあるわけじゃないのに……」
「そうなのか?」
「そうです! 使用限度があります。無限に使用できれば、戦争など起きません!」
夏樹はため息をつく。春香の音楽祭は日が暮れるまで続いた。
日没と時を同じくして春香の指揮杖が割れた。歌石が限界を迎えたようだ。
あらかた治療し終わると、春香は英雄のように町衆からもてはやされたのだった。さぞご満悦そうな春香の笑顔は可愛らしかった。
★
十九時発の汽車が、本日の最終便である。駅舎はわずかに灯りがともるだけで薄暗い。隙間風がふき若干寒いが、左近は特別気にはしていなかった。
木造の駅舎に左近の声が響いた。
「はぁ〜。これはすごい。確かに、太くて、硬くて、黒光りしておるわ」
左近は初めての蒸気機関車を見て感嘆の声を上げる。左近の反応が面白いのか、紳士風の男性が笑い声を漏らした。淑女風の女性は顔を赤らめる。
この世界の蒸気機関車は、石炭ではなく燃焼した歌石で走る。大量の薪や石炭は必要なく、歌が上手い者が乗っていれば動くという代物だ。
「あ、歌姫様……。どうしました?」
歌い手兼運転手の男性が春香に尋ねた。他人から歌姫と呼ばれているのか……。恥ずかしくないのか? 左近はちらりと春香を見る。
春香は右手を上げて応じていた。当たり前といったようだ。
運転手は渋くて良い声をしていた。蒸気機関車の運転は、力仕事に代わりはないので、運転手には歌い手の男性が多いらしい。
春香は歌い手の中では最高位の「歌姫」に位置するらしく、歌い手の中ではちょっとした有名人である。
「歌いすぎて……喉が痛い……の」
ボソボソと春香は話し、それっきり静かになった。夏樹は予定を少し乱されて怒っているようで、春香の喉を治す気はない。
「さて。予定がだいぶ狂いましたが、明日には京につきます」
客車の扉を開くと、木造の椅子が設置されていた。夏樹は四人がけの椅子に腰掛けため息交じりで言う。
夏樹の隣に春香が座り、春香の対面に左近は腰掛ける。窓の外を左近は興味深く見渡した。
甲高い汽笛の音が二、三度あがり、ゆっくりと汽車は動き出す。
おお、と左近は思わず呟いた。よくこんな馬鹿でかい車が動くものだ……。つい百年前には想像もできなかった。左近は「ほふぅ」と息をついた。
お尻が落ち着いたのか、夏樹は背嚢から帳面を取り出すと文字を書き始めた。
「汽車の中では静かにしてくださいね」
帳面に万年筆で記録を残しながら、夏樹は一同に伝える。左近と春香はコクコクと頷いた。
「京に着いたら、左近殿は私たちの屋敷に来てください」
「えー!? 一緒の屋敷に左近を……けほっけほっ……泊めるのですか? 神祇省の檻にでもいれてればいいのに……」
「何か問題でも?」
夏樹が帳面から視線をあげて、春香に尋ねる。春香は小さくなった。小さくなった妹の姿に満足したのか、夏樹は帳面に視線を落とす。
「左近殿は戸籍がありません。まずは戸籍を作りましょう。あと、戦争に参戦するために軍籍も必要ですね。ああ、その前にその着物姿も改めてもらわないといけませんし、常識も必要ですね……」
思いついたことを帳面に記載していく夏樹を一瞥し、左近は走り出した汽車の車窓から流れる夜景に視線を戻す。馬に乗ったときと同じ速さで汽車は進む。この速度がずっと維持されているのだから、すごいものだ。
黒々とした世界にたまに、思い出したかのように灯りがともっている。灯りを目で追いながら、左近はぼんやりと考えた。
まぁ、しばらくは、ほんの何十年になるかはわからんが暇つぶしはできるだろう。小うるさい春香がいればとうぶんは生きることに飽きることもないさ。
左近は自虐的に笑った。
序章終わり。