宿場町の戦い
「私は歌う。雨とともに生きる歌を。私は望む。雨の喜びを」
春香が歌を奏でながら指揮杖を振る。左近の着物や体に付着した返り血が指揮杖を中心に集まりひとつの赤黒い球になって地面に落ちた。同時にパラパラと温かく心地のいい温度の水が降って来る。この奇怪な現象に左近は声を漏らした。
「ほぅ。便利だな。それに温かい……」
「天候の改変は、歌魔法の初歩だ」
春香は得意げに答えた。
すっかり汚れが吹き飛んだうえ、水浴びもできた左近は顎を撫でながら呟いた。
「こういうこともできるぞ!」
春香は歌を奏でながら、左近の着物に触れる。ボロボロだった着物が綺麗に再生していき、まるで新品の着物のようになった。また左近は驚き子声を漏らす。
「どうだ。歌魔法は便利だろ?」
「便利だな。うむうむ。俺でも使えるかな、歌魔法」
「あっはっはっはっは。冗談は顔だけにしてくれよ、左近。歌魔法は歌のうまさが必要なんだぞ?」
春香は心底面白い冗談を聞いたかのように腹を抱えて笑う。歌の才能があるとは思わない。しかし面と向かって春香に否定され、左近はわずかに傷ついた。眉をしかめる。
「あ~。お腹痛い。姉さん、左近を小ぎれいにしてやりましたよ」
笑いをこらえつつ、春香は夏樹に告げた。左近は夏樹を一瞥すると、こちらも笑いをこらえているようで、ますます傷ついた。そして少し拗ねた。口をへの字にしてつぐんだ。
「左近殿、京へ向かいましょう」
「うむ」
「拗ねていますか?」
「いや……別に」
夏樹は年相応の笑みを浮かべた。子供以上に離れた小娘に笑われ、左近としては立つ瀬がないので、拗ねるのをやめた。
三人は山を下りて、神祇省のある「京の都」を目指すことにした。
★
京の都まで、徒歩で二、三日程度はかかると左近を経験上知っている。
すべて春香に吹き飛ばされた左近は手ぶらだが、春香と夏樹も大した荷物を持っていない。二人は軍服に外套を羽織り、小さな背嚢を背負っているだけだ。
武器は腰に指揮杖と拳銃、そして剣をぶら下げているだけだった。
左近が適当な宿場町で馬を調達しようと提案したが、春香に鼻で笑われ一蹴された。左近はイラっとして眉を寄せる。
「京までは汽車で行きます。汽車に乗れば、すぐに着きます」
「汽車とは何ぞ?」
夏樹が説明しようとするが、いたずらっ子のような笑みを浮かべた春香に遮られた。見てのお楽しみらしい。左近は鼻を鳴らした。
「知りたい?」
春香がニヤニヤと笑い聞く。左近はうなずく。
「太くて、硬くて、黒光りしているものだ。これ以上は乙女の口からは言えないなぁ」
春香は頬を朱色に染めて、夢を見る乙女のように呟いた。
「余計、わからなくなったんだけど……卑猥なものなのか?」
春香は満足そうに笑うと「見てのお楽しみだ」と話を切り上げる。
くそ、気になる……。左近は春香の口にした卑猥な「汽車」を想像する。
★
左近が足を止めたのは、とある宿場町の真ん中だった。春香が不審げに左近を見上げた。夏樹は心配そうに左近を見る。
「どうしました?」夏樹が尋ねた。
「疲れたのか?」春香が鼻を鳴らした。
左近はきょろきょろと周囲を見回す。大きな街道を挟んで、両側には宿屋や商店、茶屋がところ狭しとならんでいる。視線を走らせる。商店ではこの宿場町での作られている人形を販売しているようだ。
茶屋では可愛らしい娘が、忙しそうに団子やお茶を運んでいる。
宿屋の前では、客引きがしのぎを削り、客引きに勤しんでいた。向かいの宿屋には負けないぞ、と言わんばかりに競っている。
旅装束の人々や宿場町の住人であろう町人が、道をせわしなく往来していた。
左近は少し考えた後に、いたって真面目な顔をして、小声で答えた。
「見られている。さっきから数人から見られているな」
夏樹はそれとなく、春香はあからさまに周囲を見回す。
「宿屋の客引きに見られているんじゃないのか? もしくは私が可愛いから視線を集めているんだよ。これは仕方ないことなんだ。春に桜が咲くくらい自然なことだ。諦めろ左近」
春香は得意げに笑った。確かに宿屋の前には多くの客引きが、舌なめずりをして左近達を見ている。
「い~や、違う。今日、皇夜教会の奴を逃した……。おそらく、そいつだな。同じ視線だ」
「な、全員殺したのではないのですか?」
夏樹が素っ頓狂な声を上げた。とても珍しい光景なのか、春香は目を丸くしている。左近もいささか驚く。夏樹も驚くことがあるのだなぁと感心した。
「一人逃した。おそらく女だな。天狗面をつけていた」
あの胸の素晴らしい天狗面を思い出し、にやけそうになる口元を手で隠す。
「あいつらは全員殺さないと、こちらが殺されるのですよ!?」
夏樹が感情的に詰め寄ってくる。本当に頭にきているのか、顔がわずかに赤くなっている。
皇夜教会の導士は全員殺さなければならない。それが夏樹の考えだ。だが、左近の考えとは異なる。
「戦意はなかった。戦意の無いものを殺すのは恥だ。だらか見逃した」
「恥とか言っている場合では……」
「法度を破るのは恥だ!」
左近の圧力に夏樹は二の句が継げない。ゴクリと喉を鳴らした。春香は驚き、二、三歩、左近から間をとった。夏樹と春香を前に、少しムキになってしまったのを恥じ、ごまかすために咳ばらいをした。
「だが、殺気を持って襲ってくるなら話は別だ。殺すぞ」
ニコリと笑いこともなく左近は宣言する。夏樹の頬に冷たい汗が流れた。また、ゴクリと唾を飲んだ。春香は不安げな顔をしている。
「ど、どうしましょうか……。この人込みの中で襲われたら巻き添えを出してしまいます」
「この町を出て、街道で待ち伏せをしましょう」
夏樹に春香は提案をした。夏樹はいかがでしょう、と左近に視線を向けた。左近は少し考える。
「春香。拳銃を貸せ。その腰の剣もだ」
左近は申し出た。いたずらっ子のような笑みを浮かべて手を差し出した。
不安げな顔をした春香は夏樹を見る。夏樹は静かに頷く。春香から受け取った剣を左近は見る。人を刺し殺すには十分すぎる大きさと太さだ。ついで、受け取った拳銃を興味深く見る。
「それは回転式拳銃だ。引き金を引けば六発連続して撃つことができるぞ」
春香が拳銃を撃つ真似をして、軽く説明した。
「なんと……連発が可能なのか」
「ところで、拳銃をどうするんだ?」
春香は可愛らしく小首を傾げた。
「撃つんだよ。今、ここで」
「はぇ?」
春香が間の抜けた声を出したと同時に、左近は空に向けて二回引き金を引く。乾いた音が賑わう宿場町に響き渡る。
ざわざわと賑やかだった宿場町が水をうったかのように静まり返る。左近はもう一回引き金を引く。
町娘が悲鳴をあげた。茶屋では茶碗を落としたのだろう、甲高い音がする。転んだのだろうか、子供の泣き声も聞こえる
左近駄目押しにもう一回引き金を引く。撃鉄が薬莢を叩き、乾いた音が悲鳴をかき消した。
拳銃を撃った人物が左近であり、道の真ん中にいるとわかると、町の人々は皆一斉に道の両側にある建物の中へ逃げ込んで行く。
「バカ左近! 何を考えているんだ!」
両耳を押さえた春香が叫ぶ。左近は楽しそうにゲラゲラと声を出して笑った。
誰もいなくなった道には、猫面、ひょっとこ面、天狗面を付けた三人が残る。外套を羽織っているが、猫面とひょっとこ面は刀を帯びているのがわかった。
「一応聞いておくが、皇夜教会か?」
「我ら皇夜教会の導士である。不死の者に死を与えに参った!」
猫面がやや裏返ったような、頭に響く声で答えた。
左近はため息をつく。楽しくお話はしてくれないようだ。