では、春香で!
世界の火薬庫とは言いえて妙だなと左近は思う。その上で、今回の戦争に負けることができないと言うことも理解をした。
植民地主義の時代である。左近は植民地主義という言葉を知らないが、長く生きていれば理解はできる。自国に資源がないのであれば他国からぶんどればいい。ぶんどられた他国がその結果滅亡しようとも、自国さえ良ければ万事問題なしなのである。
まずは俺様が一番。他人のことなんて知るか。自分が一番なのだ。
一度でも戦争に負ければ、次の戦争に勝てなくなる。弱った国の財布が分厚ければ、強い国々は容赦なく財布から金銭を奪いにくる。弱いのが悪いのだ。だから、大清共和国との戦争に負けることができない。負けたらすなわち、この国の終焉である。
大清共和国も戦争をせずにはいられない。強国で大国の意地がある。弱そうな国々から歌石とかいう資源を巻き上げれば、挽回の目が出てくる可能性がある。小さな勝利で大きな見返りがあれば誰だって挑戦をしたくなるだろう。特に負けが込んでいるときは、その傾向は強く現れる。
おかしな宗教が蔓延するほど、この国が追い詰められていることも理解できる。
狂った愛国者ほど俺の命を狙ってくるわけだ。
左近は笑った。笑わずにはいられない。久しぶりに腹を抱えて笑う。世界は想像以上に楽しいことになっているようだ。
平安の時代から生きているが、その時よりも世界は単純明解な方に進んでいるようだ。悪い意味で。
「笑いごとか!」
春香がプンスカ怒りながら左近に言った。左近がヘラヘラ笑うのが、春香には理解できないのであろう。国のために奉仕するという考えが春香にはある。それが美徳だという考えだ。
左近にそれはない。漂泊の民である左近に国家という概念がまだない。
「ふふん。こういう時に笑えるかどうかで人間の度量が決まってくるのだぞ、春香」
左近は、笑う夏樹を一瞥し春香へ言った。春香は両頬をリスのように膨らませてみせた。本当にこの小娘は面白い。
「私は度量の小さい人間で結構だ!」
「はっはっは。愉快だ愉快だ」
ひとしきり笑ったところで、左近は夏樹に尋ねる。
「で、俺はどうすればいい?」
「できれば、戦争が起きた時にご助力を得られないでしょうか? それまで、皇夜教会からお守りします」
「それは、収支があわんな!」
夏樹は困ったような顔をする。
左近にとって収支があわないのだ。皇夜教会といういかれた集団に襲われたところで左近は死なない。そういう呪いがかけられているのだ。だから、守ってもらわなくても問題がないのである。
「別に俺は死なんしなぁ。守ってもらう筋合いがない」
「そこを言われてしまいますと困りますね。爵位とかはどうですか?」
「官位みたいなものだろ。興味がないなぁ」
「金銀財宝は?」
「いらん」
「うーん。無欲ですねぇ」
左近は元来無欲だ。欲の限りを尽くした結果、全てに飽きたと言っていい。また、左近には悲観する未来もなければ後悔する過去もない。
ただ漫然と生きている。欲は際限がないものと思われがちだが、それは人間が生きる短い尺度の中での話だ。長く生きれば全てに飽きがくる。
「国を守る気概がないのか左近! 国のために粉骨砕身をする覚悟がないなんて、本当に左近はダメだな!」
春香は腕を組んで左近を小馬鹿にした顔をする。夏樹は春香を一瞥した。左近も面倒臭そうに春香を見る。
「では、春香をあげます」
「はぇ⁉︎ 何を言うのですか姉さん!」
春香はそんなことを言う夏樹に掴みかからん勢いで詰め寄る。夏樹はひらりと春香をかわし、左近へ尋ねる。
「いかがでしょうか? 春香を嫁に」
「春香ねぇ」
「いや、いやらしい視線で私を見ないで!」
「……いらない――」
「おっまえ、そこは喜んでおけよ! 私のメンツを立てろよ! 超可愛い女の子もらったヒャッホーウくらい言えよ!」
今度は左近に掴みかかり、左近を前後左右にグワングワンと揺らす。左近は困ったような顔をする。その顔が気に入らない春香は真っ赤な顔をして怒り出す。
「左近! ほら喜べよおおおおおおお!」
「あわあわあわあわ」
「可愛い可愛い春香さんだぞ! ほら喜べ! あわあわ言ってないではいって言えこのやろう!」
「いや、ほら、もっと、自分を大切に……」
「ここで引き下がる度量はねぇぞおらぁ!!」
「必死すぎて逆に引くって言うか……」
「必死じゃねぇし! 全然必死じゃねぇし!」
夏樹はクスクスと笑い言った。
「では、左近殿。あなたの不死刑を解くというのはいかがですか?」
左近はピクリと反応する。夏樹は口角の端を吊り上げた。左近はうるさい春香の頭を掴み、少し遠くへ放り投げ夏樹へ訊く。
「それは本当に可能なのか?」
「今すぐとはいきませんが……。神祇省は不死刑の研究をおこなっています。その副産物として不死刑を放免する方法が見つかるのではないのでしょうか」
「なるほど。春香をもらうよりは魅力的な提案だ」
心が動く提案だった。いい加減死ねない体には飽き飽きしていたところだ。だが……、夏樹の言っていることは本当なのだろうか?
「で、どこまで不死刑のことがわかっているんだ?」
左近は夏樹に尋ねた。夏樹はニコリと笑う。
「不死刑者の人々に協力を仰ぎ、不死刑の研究を行っている、とだけしか言えませんね。まだ」
「まだ?」
「左近殿は部外者ですから、公開できる情報が限られています」
左近は鼻を鳴らす。嘘か本当か知るためには、夏樹の契約を飲むしかない。契約? この国のくだらない戦争の助力をするわけだ。
「俺は不死刑の研究で、解体されるのはごめんだぜ」
夏樹は喉に異物が詰まったような顔をしたが、すぐに笑みで表情を隠す。目ざとく夏樹の表情の変化を見逃さなかった左近だったが、そのことは口にはしない。
「左近殿には、ぜひとも前線で戦っていただきたいと考えております」
「ほぅ。なぜ?」
「なぜって、和国だけが不死者の研究をしているわけではないからですよ」
夏樹は柏手をうつように両手をあわせ微笑んだ。あの笑顔だ。綺麗だけれど寒気を覚える笑顔だ。
「不死者には、不死者をあてると」
「ご明察」
死なない者が戦線に投入されれば、普通なら大混乱が起きるだろう。戦争の原理原則が成り立たなくなるのだ。殺せば死ぬ、という原理原則だ。そんなインチキをすれば戦線は崩壊するだろう。
何をしても死なない兵士が一人いるだけで、従来の戦術は通用しなくなる。不死者が部隊で投入されれば、戦術の上位にあたる戦略の見直しも必要だ。
「不死者の研究の本場が、不死者を戦線に部隊として投入しないことは考えられない、か」
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ、です」
左近はケラケラと笑った。なるほど、そのとおりだ。不死者には不死者をあてればいい。誰だって思いつくが、誰も彼も実践しない馬鹿げた一手だ。
「まぁ、家もなくなっちまったし……、協力してもやぶさかではないな」
「本当ですか?」
「ああ。本当だ」
左近はニコリと笑った。