歌石と歌い手
「歌石? なんだいそりゃ」
左近はワクワクしながら、夏樹に尋ねた。夏樹はニコリと笑い、外へ出るように促す。三人は外へ出る。風が肌寒い。春香が「くちゅん」とくしゃみをした。
「春香」
春香は鼻をすすり、腰にさしていた杖を抜いた。ちらりと左近の方をみて自慢げに笑う。何か良からぬことを考えている笑みであると目ざとく気付く。
「春香の指揮杖の先端には歌石が埋め込まれています。春香、許可します。軽いのを」
「はい。姉さん」
春香は歌を奏でる。
それは非常に心地のいい音だった。歌には興味が無い左近でも、その耳障り良さに心奪われる。
風が吹く。
杖を中心として風が巻き起こる。春香の歌は止まらない。
チラリと目が合い、春香はニヤリと笑う。左近の危機察知能力が発動した。肌が粟立つ。
なんかよくわからんが、ヤバイ!
左近は真横に飛んだ。
「私は願う。一陣の風と舞うことを。私は望む。その風はすべてを壊すことを」
一瞬後、左近が立っていた場所に一陣の風が吹くと、轟音を起こし地面がえぐれ、木々が薙ぎ倒された。左近の住処のあばら家は見事に四散してしまい、ただボロボロになった地面だけが残された。あばら家の残骸をもてあそんだ風は、ひとしきり暴れると霧散する。
「あちゃー。左近。大丈夫か? 寒くて集中できなかった」
春香はどこか演技がかった声色で、左近を心配してみせる。
「お、お前、今わざとやっただろ!? 俺の家が……どうしてくれるんだよ!」
左近は怒鳴った。
「わざとやるわけないよー。誤解だよー」
声に抑揚がない。もしかして、春香はとても嘘をつくのが下手なのではないかと思う。不意に昔仕えた主人を思い出す。顔なんかはとっくに忘れたが、人の話を聞かないところと嘘が下手なところは春香にそっくりだった。
「春香!」
夏樹の一喝で春香は頭を押さえて小さくなった。ゲンコツが飛んでこなかっただけでも幸運だろう。
「春香が行ったように歌石は歌に反応して、自然を改変する力があります。西洋では歌石による魔法、歌魔法の実用化が火薬、羅針盤、印刷機に次ぐ発明とされています」
「風が吹くだけだろ? 俺の家が壊れる程度の……」
左近は、あばら屋の残骸を手にとり、まじまじと見る。鋭利な刃物で切り裂かれたような切断面だった。おそらく風と同時にかまいたちが起きたのだろう。
左近は春香を睨む。春香はニコリと応じた。
「風だけではありません。火や水も操れます。春香ほどの歌い手が本気を出して魔法を奏でれば、山程度なら粉々にする風を呼べます。川を一つや二つ増やすこと程度も雑作でないでしょう」
夏樹は言った。
歌石を触媒にして行われる自然改変は、魔法であると定義づけられた。原理がよくわからないが、歌を奏でることで歌い手の意思で、歌石はさまざまな自然改変現象をみせる。
理由はどうあれ、この発見と歌魔法の実用化は革新的なものだった。
歌石は石炭をあっという間に駆逐して、世界の産業に大きな革命を起こした。歌石と石炭とでは発生する熱量も持続時間も異なる。
まだ発展途上の段階であるが人類の文明を一歩も二歩も進めたのは間違いない。
「山を吹き飛ばすだって? はは。馬鹿な……。そんなことが可能なのか?」
「春香なら。お見せしましょうか?」
夏樹の挑戦的な笑みに、左近は首を横に振り、乾いた口の中を湿らすようにつばを飲み込む。
そんなことが可能なら左近の持っている常識はすべて覆される。頬を流れる汗をぬぐう。暑さからではない発汗だ。
「軍事転用とかされているのか?」
「ええ。まだまだ試験段階の兵科ですが、歌石を用いた聖歌隊という兵科があります」
左近が知っている古き良き戦場の常識もどうやら通じなくなってしまったようだ。
だが、ドヤ顏をしている春香を見ていると、どうにもからかいたくなって仕方がない。
夏の夕焼けを見てどこか悲しい気分になるのと同じくらい、自然な現象だ。
「人間ひとつくらいは特技があるものだな、春香」と左近はニコリと笑う。
「うるさい無能のクソザコナメクジ。地べたを這いずってろ」と春香はニコリと笑い答えた。
イラっとした左近と春香は少し言い争いをしたが、夏樹が咳払いをして止める。左近は気を取り直して夏樹に尋ねた。
「大陸では、この歌石がたくさんあるわけか」
「いえ、清国ではほとんど歌石は採れません。正確には採掘場の多くを列強諸国に占領されているのです。植民地というものです」
「植民地…… 」
聴きなれない言葉だが、概念的なものはわかる。採掘権を列強とやらが奪い、独占しているのであろう。
自分名義の財布があるが他人に金を抜き取られ、いつも貧乏。
「自国で賄えないのであれば、左近殿はどうなされますか?」
夏樹は挑戦的な問いを、左近に投げかける。最初から答えはわかっていますよね? と言わんばかりの問いである。夏樹に試されているようだ。
だが、そこまで頭を悩ませる問題ではない。答えは今も昔も変わらない。あるところから奪えばいい。つまり、
「他国からぶんどるしかないわな。それも弱そうな国から」
「この国でも歌石の採掘が始まりました。そして、この国に膨大に埋蔵されているのです。戦国期の黄金と同じように膨大に」
「あの時とは逆か。この国は侵掠されかかっているわけね」
左近は自然と口角の端が吊り上がる。
「今この星で一番の危険地帯というわけです。この国は世界の火薬庫です。世界中が舌なめずりをして、鉱物資源を狙っているのです」
夏樹はどこか楽し気に言った。左近も楽しそうに笑った。笑わずにはいられない種類の話は、笑うしかない。