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和国戦記譚~死ねない男と夢見がちな歌姫~  作者: 和国史編纂委員会
皇午農民戦争編
20/21

夜のひととき

「私は、弱いのかな?」


 春香は気弱そうに尋ねてきた。左近は「ん?」と声を漏らす。最初は冗談か何かかと思ったが、春香のひどく弱々しい声と瞳の揺れに左近は気付いた。


 これは、薬が効きすぎたか? 


 左近は長靴(ちょうか)を脱ぐ手を止めた。

 ここで適当にあしらってしまうと、春香は再起不能になってしまうだろう。それはきっと、この世界にとって大きな損害だ。そして、それを知っていて見逃すのは、世界に対する大罪だ。


 左近は廊下に腰掛けると、ゆっくりと話し始めた。


「そうさなぁ。俺が過度に傷を修復すると眠くなるって話……覚えているか?」

「え? うん」

「実はな、俺はさっきまで練兵場で寝ていたんだ」


 左近は悪さが見つかった子供のように、気恥ずかしそうに春香へ言った。

 京の街で迷ったなんて真っ赤な嘘だ。前後不覚になるほどの睡魔によって、練兵場にて深い眠りについていた。


「死にかけるくらいじゃ一日中寝ることはない。今日ほどの傷を受けたのは、戦国の世、最後の戦以来だ」

「……そうなの?」

「うむ。春香がどう考えているか、俺はわからない。だが、お前は強い。自信を持て! 誰がなんと言おうと、俺は認めるぞ。お前は強い!」


 いつの間にか座っていた春香の背中を左近は叩いた。春香の瞳から迷いの揺れは消えていた。ここで調子に乗るのが春香の悪い癖なのも、短い付き合いであるが左近は知っている。


「ただ、攻撃が歌魔法に偏りすぎだ。歌魔法に頼らない、体術の訓練はしておけ」

「う……。わかった」


 春香は心底嫌そうな声色で答えた。左近は笑う。


 長靴がようやく脱げ、さっさと自室へ行こうとすると、春香が付いてきた。まだ、何か用があるのだろうか? 訝しげに思い、後ろにいる春香へ左近は尋ねた。


「なんだ? まだ何か用があるのか?」

「賭け、負けたから」


 賭け? 何か賭け事をしたかしら? と考え、そういえば春香を奮起させるために賭けをしたことを思い出す。敗者は勝者の命令をひとつ聞くというものだ。


 春香を奮起させるための口八丁であり、特別何かしら春香にしてもらいたいことなどなかった。


「賭けかぁ。ふーむ、すっかり忘れておったわ」

「ムー。黙っていればよかった! で、命令は何よ? いやらしい命令は嫌だからな! 私は御家(おいえ)のために結婚をしなければならない身なんだから!」

「お前みたいな、女っ気のない嫁をもらう殿方が哀れで仕方ない」

「あぁあん! ふっざけんなよ! 私が少し本気を出せば、左近なんかイチコロだからな!」


 春香はどたどたと足音を立てて左近の行くてに回り込んできた。左近は面倒臭そうな顔をして、春香を見下ろしていると、春香は廊下に座ると三つ指をついて深々と頭を下げた。


「旦那様、お帰りなさいませ。晩ご飯にいたしますか? お風呂にいたしますか?」


 いつもの春香の溌剌(はつらつ)とした声色より、低く落ち着いた声色で、少しだけゆっくりと話し始める。

 一瞬で声色を変えたことにも驚いたが、落ち着いた大人の女性を思い浮かばせる、そんな声色と話し方だった。


「む……」

「うふふ。どういたしました、旦那様? 鳩が豆鉄砲を食ったようなお顔ですよ。御加減が悪いのですか。春香は、心配です」

「むむむ」

「先程から唸ってばっかり。ふふ、変な旦那様だわ」

「うぬぬぬぬ」

「どうですか、私が少し本気を出せばこのようなものです」


 春香は着物の袖口で口元を隠し、お淑やかな笑った。いつもは子供と侮っていた春香が大人びて見える。このような表情もできるのかと、左近は感心した。


 見た目は春香なのだが、中身を別の誰かにしたような変な感覚でもあった。

 そのせいか、自身に起きた異変に気がつき、左近は思わず声を上げる。


「見ろ、春香!」

「なんですか、旦那様」

「鳥肌が立ってきた」

「なんでよぉ!」


 左近は自身を抱くようにして、二の腕をさする。その姿を見た春香は顔を真っ赤にして怒り始めた。声色もいつもの溌剌としたそれに戻る。

 なんだか安心してしまい、左近は気の抜けた笑顔を浮かべた。


「無理に大人の女性ぶるよりはそのままの方が良い」

「なにさ! 馬鹿にしているの?」

「いやいや、自然体の方がらしいと言っていおるのだ」

「でも、未来の旦那様の前ではお淑やかにしなさいって、母様と姉さんが……」


 春香は手をモジモジさせ、口ごもりながら答えた。左近は鼻で笑う。そして、子供に言い聞かせるように言った。


「そんなものは、すぐにボロが出るだろう?」

「うん。まぁ……」

「いいか春香。自然体の春香が一番可愛いのだ。無理に自分を偽ることはせんことだ」


 春香は少しだけ頬を朱色に染めて「お、おう」と呟く。左近は頷いた。春香は黒々とした髪を撫でながら照れ笑いをしているようである。


「ありがとう」

「うん? 気にするな。賭けの命令は忘れた頃に使ってやるさ」

「むー。バカ左近! 変な願いはダメだからな!」


 春香は悪戯っ子のように舌を出すと、さっさと廊下を歩き自室のほうへ去って行く。左近は小さくため息をついた。


「あ、そうだ」


春香はひときは大きな声をあげ、足を止めた。そして振り返る。


「うん? なんだ」

「練兵場では左近が少し怖かったけど、今の左近はすごく好きだぞ」

「あ……はい」

「ふふ。おやすみ」

「うむ……おやすみ」




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