皇夜教会
第2稿
「俺を守る? 『守れ』じゃなくて、守る?」
左近は鼻白んだ。確かに変な連中に命を狙われたが、左近は死なない。ゆえに目の前にいる自信満々の春香の言に白けてしまった。
馬鹿馬鹿しい話だぜ……と思う。
「そうよ! 私は歌魔法の使い手。その美声は歌姫と評されるほどの美少女よ! 安心して守られなさい」
春香は自信満々に頷いた。しかし、左近の心情は逆だった。こんな小娘に守られるほど耄碌した覚えはない。馬鹿にしているのだろうか? と苦々しい思いをしている。
「なんだ? 鳩が豆鉄砲を食らった顔をして。はっはーん。私みたいな可愛い子に守られるのが不思議のようだな」
「え、いや――」
「ふふふふ。安心しろ、私は強い上に可愛い! 無敵とはまさにこのこと。おっと惚れてもらっても構わないぞ。だが、私は身持ちが固いゆえ諦めろ! はっはっはっは!」
「だから――」
「だが、だが、そこまで惚れたのであれば手くらいは繋いでやってもいいぞ! おっと手だけだぞ? 手だけだ! そう物欲しそうな顔をするな。このいやしんぼ!」
「人の話を聞けーい」
左近は、ガシッと春香のこめかみを掴み、力を入れた。春香は「にぎゃー」と悲鳴をあげる。春香は一度でもタガが外れると暴走してしまう人種のようだ。
普段は女子供には手を上げないが、喚き続ける春香に左近はうんざりして、ついには物理的に黙らせる方法に出た。
「まったく、お前のようにうるさい奴は久しぶりだ」
「事実を述べていただけなのに……」
そう、春香は事実しか述べていない。手を繋ぐ云々は知らないが、春香は可愛い。まだ幼さが抜けないものの、整った目鼻。色白の肌。黒々と伸びた髪は肩のところで切りそろえられており、春香が騒ぐたびに甘い香りが漂ってくる。
しかし、それをことさらに主張されてしまっては、逆効果であることを春香は知るべきだと左近は思う。
「だいたいなぁ、もう少し胸がないと俺の興味の対象外だ」
左近は口を滑らせた。春香は可愛い。だが、胸は年相応の平坦さを誇っていた。厚着をしているのにその平坦さはないよなぁ、と思っていた。
この国の価値観では、胸が大きいことが必ずしも美徳ではないのだが、平坦な胸よりも左近は大きな胸を好んでいる。
「あぁあん!? あと二、三年もすればボンキュボーンじゃ!」
「はん! そこまで平坦な胸をされていては、信じられんなぁ」
「きぃぃぃぃ! 左近、お前マジで一回殴らせろ!」
春香の大ぶりの一発をひらりと左近はかわす。
左近は風圧でよろけてしまったが、ニヤニヤと挑発的な笑みを浮かべる。その顔が気に入らない春香は「きいい」と声をあげると、腰にぶら下げていた変わった拵の指揮杖を掴む。
杖術か?
杖を振り回したところで、左近と春香の戦力差は天と地ほどの開きがある。左近は余裕の笑みは崩さない。それが気に入らない春香は歌を奏ではじめた。
左近は急に歌をうたいだした春香を不気味に思いつつも、天性の危機察知能力が働き、臨戦態勢をとる。春香がどのような杖術を繰り出してもよいように腰を低く落とす。
「春香、人の家で何騒いでいるの!」
凛とした声だった。
左近は声の主へ視線を向ける。
思わず「ほぉう」と声を漏らすほどの美女が静かな怒りをたたえて立っていた。
顔も美しいが、出るところは出て引っ込むところは引っ込む。左近にとっては理想の体型といっていいだろう。腰まで伸びた、さらさらの長い黒髪は平安の時代の貴族のようだ。
「違います!」
春香は叫んだ。左近は春香へ視線を戻す。
春香は血の気の失せた顔にみるみる変わっていく。先ほどまで真っ赤だった顔が白を超えて青く変色した。
ふいに表情が本当に豊かな娘だと左近は感心する。
春香は恥もてらいもなく美女から間を取るために、左近の後ろへ逃げた。そして、ものすごい力で左近を盾にして美女から隠れた。わずかに震えている。
「春香、あなたその方に何しているのかしら?」
美女は腕を組んで春香に尋ねる。
「誤解です、姉さん!」
姉さん!? 左近は驚く。同時に春香が二、三年後に自身の肉付きが変わることを予言した理由がわかった。二、三年後にあそこまで成長するのか。ゴクリと喉を鳴らす。
「指揮杖を抜こうとしていたようだけど?」
「そんなことしていません! なぁ、左近。私そんなことしてないよな?」
青い顔をして春香は左近へ問うた。
杖を抜く抜かないで、この姉妹はなぜここまで熱くなっているのだろう? と疑問に思う。
だが、それ以上に春香が困る姿を見たいというイタズラ心が優ってしまった。
「春香さんは、腰の杖を抜こうとしました」
「左近のばかー‼」
美女はツカツカと間を詰めると、春香が逃げる隙もなく、ゲンコツを一発叩き込んだ。春香は情けない声を漏らしてうずくまる。
こほんと咳払いをして、美女は言った。
「妹が失礼をいたしました。私は夏樹と申します。お怪我を治療いたします……」
「はいどうも。左近です。大丈夫、俺は死なないから!」
夏樹は安堵のため息を漏らす。そして、ニコリと笑い手を差し出したが、左近はぺこりと頭を下げた。夏樹は差し出した手を二、三度握ったり開いたりして戻す。後になって握手を求めていたことを知った左近は悪いことをしたと思う。
だが、握手という文化を知らない今の左近には、夏樹が何を求めているのかわからない。
「……って、死なない左近? あなたが左近? 本当にあの左近?」
妹の春香と似たような反応をして、夏樹は左近のことをまじまじと見る。美女に見つめられ悪い気がしない左近はデレデレと笑う。それが気に入らないようで、春香は舌打ちした。
「失礼。……私は神祇省からあなたを守り、場合によってはお力を借りたくはせ参上した神祇官でございます。お話だけでも、お聞きになりませんか?」
「喜んで!」
夏樹との扱いの差があからさまに違うことに対して、春香は舌打ちをしてふくれっ面をする。本当に表情がよく変わる。万華鏡のような春香の表情を見て、左近には羨ましいという感情が湧く。
自分はここまで豊かに表情を変えることができるだろうか? 多分無理だ。長く生きるに連れて表情は乏しくなっていく……と左近は少し落ち込んだ。
「えーっと、とはいえどこから話すべきでしょうか……」
「まずは、なんで俺を守るのかについて教えてもらいたい」
夏樹は「はい」と頷いた。話が通じる人種に久々に会ったことを内心感動しつつ、夏樹の言葉を待つ。
「皇夜教会という宗教組織をご存じでしょうか?」
夏樹は腰に下げた指揮杖を抜き、地面に皇夜教会と記す。
「さっき聞いた……。何なんだ奴ら。いきなり襲って来たぜ?」
左近の言葉を聞き、夏樹は目を丸くした。
「襲われたのですか?」
「さっき襲われた。殺しちゃったけど」
夏樹は眉を寄せた。あまりにも平然としている左近に驚いたのかもしれない。もしくは平然と殺してしまった左近に嫌悪感を抱いたのかもしれない。
「皇夜教会は……まぁ、狂信者どもです。異常者の集団とも言えます。彼ら、彼女らは死にたくてしかたないのです」
「死にたくてしかたない?」
左近は鼻で笑った。
古来より最も忌避されてきたのが死である。死とは忌むべきことである。死ぬのが怖いから人間は宗教に頼ると左近は考える。
その考えとは逆に、皇夜教会は死ぬことを是としている。左近の常識からすれば、異常だった。
「はい。彼らは死ぬことで国と一体化すると考えているようです。護国のために死のう、というわけです」
「意味がわからん。わかるように説明してくれ」
ズキズキと痛むこめかみを押さえて左近は夏樹へ尋ねる。意味が分からないことが多すぎて頭が痛い。
「実は私もよく理解できていません。ですが、彼らあるいは彼女らは国のために死にたいのです。それが帝への御奉公と考えているようです」
夏樹は困ったような顔をした。理解しちゃったらまずい集団ということはわかる。それに理解もしたくはない。
「でも、なんで俺が狙われるんだ?」
「奴らは何をどう考えたのか閃いたらしい。不死者がいるからこの国が救われない、とな」と春香。
「なんでだよ! だいたい国が救われるって、この国に何かまずいことでも起きているのかよ?」
左近は怒鳴った。春香は勝ち誇った顔をして言った。
「左近は世間知らずだなぁ。脳みそが入っているのか、その頭の中には」
「目上の方に失礼です!」
ゴッと夏樹のゲンコツをくらい春香は静かにる。春香が姉の夏樹に頭が上がらない理由を垣間見た。それぞれの家には、それぞれの教育方針がある。だから左近は何も言わずに、うずくまる春香を見下ろした。
春香は涙目で左近を見上げ、口をパクパクさせた。「ばーかばーか」と言っているようだ。こいつ……。
「この国は、つまり和国は戦争の間際にあるのです」
夏樹の言を聞き、左近は首をかしげる。