大嶽
「よかろう」
左近は笑い、鋭剣を鞘に収める。春香の頬を涙が濡らす。
少しやりすぎたかな? と思った左近は、観戦席の夏樹と大嶽へ視線を向けた。
「夏樹。春香の治療をしてくれ。打身で骨は折れていないと思うが、念のために医者にみせてくれ」
「は、はい」
呆然としていた夏樹は、左近の足元で悔し泣きをしている春香のもとにやってきた。何事か話し合っていたが、二人は練兵場を後にした。積もる話もあるだろうと思い、左近は大嶽の方へと歩いていく。
「大佐殿。どうだい?」
大嶽は左近に声をかけられ、ようやく我に返った。火をつけた紙巻きタバコが根元まで灰になっている。紙巻きタバコを地面に捨てると、大嶽は口を開く。
「三回くらい死んだと思ったが……ちゃんと足がある。幽霊ではなさそうだ。生き残ったのか? はは、凄いな」
鋭い目を細め呟いた。左近は気の抜けた笑顔を浮かべ答える。
「他人より頑丈なんだ。常人なら四回くらい死んでいるかな」
「頑丈で片付けていいのかいささか疑問だな。だが、面白いものが見られた」
「それで、どうだい? 俺の戦力は満足してくれたかな、大佐殿」
新しい紙巻きタバコを口にくわえ、リン棒で火をつけた。そして何かを考えるようにして大嶽は紫煙をくゆらす。
「歌姫は、一五〇〇人の歩兵部隊相手にも勝っている。その歌姫に勝つというのは、君の単純な戦力は千人以上ということだな。ますます凄い」
「春香の戦い方は敵が多ければ多いほど効率が上がってくるからな。ただ、俺は同じ人数を相手にできない。少なくともこの何もない練兵場ではな」
「一五〇〇人の歩兵を集めても、勝つ自信はあるみたいな口ぶりだな、君」
紙巻きタバコを左近へ勧めつつ、大嶽は嗤う。
「運と地理が味方をすればな」
左近は紙巻きタバコを丁寧に辞して答えた。
勝つ自信は正直ないが、負ける気もない。左近はただの負けず嫌いなのだ。
大嶽は楽しそうに笑った。
「わざわざ反徒の内部崩壊を狙わず、君と歌姫で江戸の戦線を好転させてくれないか? そうすれば話が早い」
「無駄な殺生は嫌いなんだ。正面からぶつかれば、無益な殺生をすることになるだろ? それでは収支があわない」
「収支ね。収支があわないか……確かにその通りだ」
吸い終わった紙巻きタバコを地面に捨て、火を踏み消しながら大嶽は、「思い通りにはならんか」とつまらなそうに答えた。
ただ、すぐに顔を上げると左近へ言った。
「陸軍。少なくとも僕の配下は、君たちに全面協力をしよう。何かあるときは言ってくれ」
「ありがとう……大嶽大佐殿」
左近は頭を下げた。
「礼はよしてくれ。僕は政治が好きなんだ。組織内政治というやつだ。君たちについておけば、反乱鎮圧後に陛下の覚えもめでたかろうという判断だ。それと君、敬礼の仕方くらい覚えておけよ」
「慣れなくて、どうも。この敬礼ってやつは」
左近はぎこちなく敬礼をする。大嶽は鼻で笑った。
「覚えていて損のないものは覚えておけ。では、僕は帰るとするよ。面白いものが見れたからな、早く妻に自慢をしたいんだ。ん? 君、君の名前を聞いていなかったな」
「左近だ。名字はない」
「間の抜けた名前だな。僕は大嶽悠一だ。覚えておけば、まぁ、損はないだろう。僕も覚えておく。損はさせないでくれよ?」
大嶽は見事な答礼をすると、さっさと練兵場を後にした。
なんとも変な男に目をつけられたものだ。左近は頭を掻いた。
「俺も帰るか」
左近も練兵場を後にする。
☆☆☆☆
屋敷に帰ると、着物姿の春香が待っていた。泣きはらしたようで目元が赤くなっていた。
「お帰り。遅かったね」
「うん? 道に迷ってな。京の街中をほうぼう歩き回るはめになったよ。京は似たような建物ばかりでどうにもいかんな」
「そう……」
いつもの春香なら、こんな話を聞けば涙を浮かべて笑い転げるくせに、今日はやけに静かだ。
「なんだ、元気がないな? ケガが酷かったのか?」
「アザができただけ」
「そうか……。アザくらいならあとに残ることもないだろう。良かった良かった」
「……左近が投げ飛ばしたくせに、良かった良かったは無いと思う」
左近は笑った。
「そうだな。すまなかった。少しムキになったんだ」
少し笑った春香は何事かを口にすべく、口を閉じたり開いたりしている。どうしたのだろう、左近は春香の言葉を待つ。
「ねぇ、左近……」