左近の計算
「左近殿……春香がああ言っていますが、何か心配な点でも?」
夏樹は黙りこくる左近へ尋ねた。
厳しい顔をして左近は頷く。
「なんだ、何が心配なんだ。春香さんが江戸まで行ってやるんだぞ! ありがたく思え! はーっはっはっは」
春香は尊大な態度を取った。いまだに腰が抜けて座っているので、少し間が抜けている。そして左近は、春香が精一杯の虚勢を張っていることに気がついていた。
おそらく、春香は知り合いをこれ以上死なせないために、自身が最前線に出張る気なのだろう。腕に自信のある新兵ならではの思いあがった考え方だ。つまり、死の恐怖がない。あっても薄い。
確かに春香の戦力は魅力的ではあるが、今の状態の春香を抱えて、四方八方を敵に囲まれるのは恐怖でもある。
死の恐怖がないと、いざ死に直面したときにひどく動揺してしまい使い物にならなくなる。たとえば、仲間が死んだときに、動揺して大きな失敗につながりかねない選択を安易に選んでしまうのだ。
そんな新兵は、戦場では鴨がネギを背負って、出歩いているにほかならない。
「そうさなぁ……」
左近は顎を撫でた。春香の思い上がりは教育すればなんとかなるかもしれない。教育とは地獄を見せてやればいい。一度でも本当に恐怖すれば、春香の危険な軽挙も少なくなるはずだが……。
左近がどうしたものかと考えていると、「ちょっといいかな?」と部屋の入口から声が聞こえた。
左近たちは部屋の入口に視線を向ける。
先程、夏樹と話し合っていた一人、背の小さな軍人が立っていた。温和な表情を浮かべているが、目つきが鋭く威圧感がある顔つきをしていた。将校にしては珍しく髭をはやしていない。そのせいで若く見える。
「盗み聞きをするつもりはなかったけど、面白い話だったのでね」
軍人は言った。紙巻きたばこをくわえ、りん棒で火をつける。
「それで……なんでしょうか? 大嶽大佐」
「うん。陸軍としては歌姫と歌い手の江戸行きには賛成できない。今のままではね」
賛成できないと大嶽が主張したところで、聖歌隊は帝が指揮権を有する軍隊であり、陸軍があれこれと指図することは不可能だ。聖歌隊の活動にあれこれ文句をつけるのは、帝の統帥権干犯問題につながる。
「歌姫ならびに歌い手を江戸に連れて行くのであれば、同行する彼の戦力が如何程のものか見ておきたい。陸軍としては、最大戦力たる歌姫、そして歌い手が、これ以上内乱で死ぬのは見過ごせないのでね」
「ほぅ」
「だから、君の戦力を見せてもらいたい」
左近は夏樹を盗み見る。夏樹は首を横に振った。左近が不死身であるとは、大嶽は知らないようだ。当然である。
陸軍は戦術、場合によっては戦略兵器たりえる春香をくだらない内乱で失いたくないようだ。
今回の内乱に歌い手を引っ張って行きたいのなら、大嶽を納得させる必要がある。そのためには、左近の力を見せればいい。そうだ、ついでに春香の教育も済ませることができれば、一石二鳥だ、と左近は瞬時に算盤を弾く。
「大嶽大佐殿。俺と春香が本気の一騎打ちをするという形で、実力を見せたいが、どうだろうか?」
「歌い手に一騎打ちで挑む? 君は対歌い手の戦術を知らないようだね。だが……面白い。是非見てみたい!」
大嶽は愉快そうに手を叩く。
「陸軍の練兵場を貸してやろう。あそこなら本気の歌魔法も問題なく使えるだろうし、君が死んだ場合も事故死として処理できるしな」
口から紫煙を吐き、大嶽は笑う。左近も笑う。
「というわけだ。春香、俺と一騎打ちをしてもらう」
「だ、だが……」
「手加減は無用だ。俺も本気でやってやる」
「……」
「うーん。そうだな。負けたら、勝った奴の言うことをなんでもひとつ聞く、どうだ?」
「な、何かいやらしいこと考えているでしょ! いや! 私を飢えた野獣のような視線で見ないで! スケベ! 変態!」
俺の顔って、そんなスケベなことを考えているような顔なのだろうか……と左近は思った。
翌朝、左近と春香、夏樹、そして大嶽が練兵場に集まった。夏樹の要望で人払いがされている。大嶽には歌魔法の秘匿という名目で人払いをさせたが、その実、死なない左近を見せないための配慮だった。
「さて、二人とも準備はいいかな? 一騎打ちの規則だが、相手を戦闘不能にすれば勝ちだ」
大嶽は二人に尋ねる。黒い軍衣の左近は頷いた。
「左近、あんた戦闘不能になるの?」
白い軍衣に袖を通した春香は、訝しげに尋ねた。それはもっともな意見だなと左近は思う。
「過度な傷の修復をすると、すごく眠くなってしまう。俺が眠りこけたら、春香の勝ちだ」
「ふーん。わかった。左近、手加減は無用よ!」
「お前もな」
大嶽の合図で、一騎打ちが静かに始まった。