反抗期
★★★
左近と春香が屋敷に戻ると、夏樹の部屋に通された。その部屋は、夏樹の部屋の中では大きな一室である。夏樹の家令が扉を開くと、軍衣に着替えた夏樹と数人の軍人が居た。
数人の軍人は、春香と左近を認めると互いに小声でなにがしかを話し始めた。
「あれが妹君か?」
「あの小娘が……歌姫だと」
「男はなんだ?」
「知らん」
「存ぜぬ」
夏樹は咳払いをひとつしてから、「ここで一度、小休止しましょう」と言った。軍人達は夏樹の部屋を後にする。夏樹は長椅子に腰掛けた。
「姉さん。何かあったのですか?」
「一週間前に江戸で反乱が起きました」
春香は眉をしかめた。左近は「ふん」と鼻で笑ったが、春香に睨まれたのですました顔をしてそっぽを向く。
「清国との開戦前夜だというのに、本当に間が悪いですね」
「で、鎮圧は可能なのか?」
左近は訊ねると、春香は声を出して嗤う。左近はムッとしたが、何も言わない。
「反徒なんて、聖歌隊の桑島支隊が出張ればすぐに鎮圧するに決まっているわ」
聖歌隊の本隊は京に展開しているが、支隊という名で和国中にいくつかの部隊が派遣されている。江戸の治安悪化に伴い、江戸周辺に派遣されている桑島支隊は聖歌隊の中では上位に位置する戦闘力を持っていた。
特に隊長の桑島裕子は、武士階級の出身であり歌魔法以外にも、剣術の免許皆伝を持っている。また、列強国の軍学を修めており、将来的には聖歌隊の幹部になることを期待された人物だ。
「桑島支隊は潰走。桑島さんは行方不明。おそらく戦死」
「え?」
「桑島支隊は潰走して、現在、桑島支隊は聖歌隊としては機能していません」
夏樹は水差しから水飲みに水を注ぎ、一気に煽る。そして、疲れたように溜息をついた。
「そんな! 嘘……ですよね? 一般人に聖歌隊が殺されたというのですか!」
夏樹は春香の問いには答えない。答えないことが答えなのだ。春香は喉を鳴らし「嘘」と呟いた。左近が春香を見ると顔色が優れず、わずかに震えている。呼吸が荒くなり、気分が悪そうだった。足から力が抜け尻餅をつく。
「なんだ、仲間が死んだのは初めてか?」
「……う、うん」
夏樹は水差しから水飲みに水を注ぐ。左近は水飲みを夏樹から受け取ると、春香に渡す。
「これが戦だ。今のうちに慣れておけよ」
「……うん。もう大丈夫」
春香は水を一気に飲み干すと、下を向いて静かになった。
「でだ、戦況はどうなんだ?」
「かんばしくありません。武器・弾薬・歌石をいくつかの軍事施設から略奪されました」
「ほう? 軍事施設から? ははは、和国の兵はとんだ弱兵だな! 民に正規軍が負けては、お話にならんぞ」
「お恥ずかしい話ですが……」と夏樹は口ごもり「ただ」と続けた。
「ただ、皇夜教会が反乱に参加しているという報告が入っています」
「なんだ、あいつらはそんなところに浮気していたのか」
左近は楽し気に笑った。
「皇夜教会か……なるほど。民に正規兵が負けた理由がわかってきたぞ。その答えは『死兵』だ」
「死兵? 確か、死を恐れない兵士……」
「俺は、死を受け入れた兵士と解釈している」
「何が異なるのでしょうか?」
左近は顎を撫でながら「ん~」と唸る。そして、ゆっくりと語り始めた。
「死を受け入れた兵士と死を恐れない兵士ってのは、天と地ほどの開きがある。死を受け入れた兵士は、他人のために死ぬことをいとわない。そして死兵は伝播する。放っておけば全員が皇夜教会のようになる。だから、最後の一人になるまで戦意旺盛に立ち向かってくる」
夏樹は首を傾げる。
「死を恐れない兵士は違うのですか?」
「自分は死なないと思っているだけだ。一種の自己暗示だな。だから、そいつが死ねば周りの兵士の士気は崩壊して、あっという間に潰走する」
左近は楽しそうに言った。その笑顔には狂気の色がにじんでいる。まるで、同類の人間を見つけて饒舌に解説しているようだ。夏樹は鳥肌がたった。左近への恐怖か、それとも皇夜教会への恐怖かはわからなかった。
「じゃあ……どうすれば、反徒を皆殺しにするのですか」
「夏樹、ひとついいか? 今、反徒が優勢なんだろ?」
「はい」
「だったら、今が好機だな。死兵ってのは敵が強いときに発生するもんだ。だが今、正規兵を蹴散らしてしまい反徒に敵はいない。数人の決死隊で首魁を討てば、残った反徒は勝手に瓦解する」
夏樹は不安げに頷いた。
「不安か?」
「正直、不安です。例えば皇夜教会の連中とかは……」
「はは。高潔な目的で決起しても、規模が大きくなれば高潔さは失われる。人間っちゃ醜いからな。時期に邪魔になるだろうよ。皇夜教会の存在は」
「なるほど。それで、あの、決死隊には誰が……?」
「当然、俺だ! 死なないからな」
左近は自分を指さした。
なに当たり前のことを言っているんだ? とでも言わんばかりに左近は平然としていた。
「あとは適当に見繕ってくれ。要望としては腕が立ち、頭のいい奴がいいな。あとできれば女がいい。夫婦という設定ならまずバレんだろ」
「だったら……私の出番だ」
静かだった春香が、顔をあげて言った。左近は何かに気が付き渋い顔をする。夏樹は眉をひそめた。
「腕が立ち、頭のいい奴。私じゃないか! それに男女で潜入した方が目立たないんだろ、左近? ただし、夫婦という設定はイヤだ。左近が夫? はん、腹が茶を沸かす! 左近が泣いて頼むなら考えてやらんでもないが、はーはっはっはっは! 考えるだけで終わりだな!」
春香のたわごとに、左近は何も言わなかった。