皇午農民戦争・勃発前夜
いやぁ、ミッキーだよ。
★★★
戊辰戦争以前と以後で、『江戸』の意味合いが和国では異なる。
戊辰戦争以前の江戸は、征夷大将軍が治める和国の中心だった。帝は京に御座したが、政治的な決定権は征夷大将軍が握っていたからだ。
では、戊辰戦争以後の江戸はどのような意味合いがあるか。戊辰戦争の際に行われた歌魔法による攻撃により、地形は歪み街々は破壊尽くされた。
明示政府は懲罰的意味合いから江戸の復興には予算を割かず、逆に様々な税を課した。江戸が、将軍家と官僚が、三百年にわたり営々と蓄えた人・物・金といった財産を京と政府の近代化のために吸い上げていた。
疲弊した江戸に過去の輝きはなくなり、現在は侮蔑の対象である。江戸の民には何をしてもいいという考えが、和国には充満していた。
それは江戸を治める野口和也知事ですら、そうである。彼は徴税した税金の一部を私的に流用していた。横領だ。
彼の巧かった点は横領した金を一人で独占するのではなく、ばらまいた点にあった。
司法、警察、軍部、部下、豪商といった自身に利益があると判断した相手には金を渡した。そして、「君も共犯者だよ」と囁き、共犯者に仕立て上げるのだ。逆に自身に不利と判断すれば、金を使って消すのである。
しかし、誰もかれも、明示政府の高官ですら棄てられた都市である江戸には興味はなく、野口知事の不正は闇に消えていた。
江戸は野口の帝国となりつつあった。
★★★
時は、左近と春香が喫茶店へ行った日から一週間前に遡る。場所は捨てられた都市・江戸のある村でのできごとだ。
左近を殺しにきた、皇夜教会の導士の一人、天狗面の女は江戸にいた。
皇夜教会は貧困の民草を無償で助ける奉仕活動をおこなう、慈善活動組織という側面も持っており、貧困層からは強く支持されている。
天狗面は歌魔法を利用し、ケガや病にかかっても医者にかかれない貧民の傷や病を癒していた。
「腕が折れているな。今、痛みをとってやる。少しひんやりするぞ」
天狗面は指輪型に加工された歌石をはめ、歌を奏でる。歌石が蒼白く輝く。
「おお。痛くない! 治った!」
「痛みをとっただけだ。無理をするとまた痛み出すぞ」
「へい……ありがとうごぜいやす、導士様」
「気にするな。次の者」
あばら屋で治療をしていたが、外が騒がしくなったことに天狗面は気がついた。騒ぎの中心地が次第に近づいてくる。
ドンドンドンドンとあばら屋の扉が叩かれる。扉を開けると、村長が誰かをおぶって立っていた。血の気の引いた青白い顔をしている。
「どうした?」
「導士様。息子が……辰治が!」
酷く混乱しているようで意思疎通が難しいと思った天狗面は、村長のおぶっている人物に視線を向ける。見知った顔の少年だった。
辰治は血の気の失せた顔をして、苦しそうに息をしている。酷く弱々しい。
ここで天狗面はある異変に気がついた。辰治に二本あるはずの腕の一本がないのである。
「辰治、右腕はどうした?」
「しらねぇよ」
「そうか。……治療をする。村長、辰治を寝台へ寝かせてくれ」
天狗面は素っ気なく答える。寝台へ寝かされた辰治の腕の断面を見る。鋭利な刃物ではなく、鈍な刃物で何度も斬りつけたような断面だった。
(これでは歌石での止血、縫合も難しいな)
「痛いが我慢をしろ」
腰に帯びていた刀を抜き、天狗面は辰治の右腕をさらに斬った。辰治は絶叫するが天狗面は気にしない。綺麗な切断面になったことを確認すると、天狗面は言った。
「新しい切断面の縫合を歌石でおこなう」
断面に歌石の指輪をかざし、天狗面は歌を奏でた。
「重ねよ重ねよ。いと永遠に。奏でよ奏でよ、いと永遠に」
歌石が蒼白く輝き断面から滲み出ていた血液は止まった。ついで断面の修復が始まる。
「よし、治療完了だぞ、辰治」
チラリと辰治を見ると痛みにより、失禁して気を失っていた。天狗面はため息をつく。
辰治が気がついたのは二時間後である。
「気がついたか?」
板の間に腰掛けていた天狗面は辰治に問う。血を失い過ぎて未だに青白い顔をしていた辰治は頷いた。
「お前の兄がいれば血を分けてもらったのだがな。辰雄はどこに行った?」
「しらねぇよ」
「そうか。では、しばらく貧血の苦しみを我慢するのだな」
「導士様。目が回って気持ち悪い」
「血が足らないんだ。しばらく寝ていろ。何をして右腕を失ったか知らないが三日くらいは安静にしていることだな」
「ところで、姉さんを見なかったか?」
「ふん。お前に姉はいなかったはずだ。貧血性の記憶障害だ」
「義理の姉。辰雄の嫁だ」
「辰雄? 兄貴は結婚したのか。というとあの器量よしか。ん? 今日は見ていないな」
皇夜教会が慈善活動を行うとき、必ず手伝いに来る器量よしの女の顔を、天狗面は思い浮かべる。そういえば、今日は会っていないな……。
「なに? ちょっと探して来る、起こしてくれよ、導士様」
辰治は寝台から起き上がろうとするが、血が足らないようで上半身すらも上げるのが難しいようだ。天狗面は板の間に腰掛けたまま、辰治の様子を静かに観察していた。その様が辰治の癪に触ったのか睨まれる。
天狗面は興味なさそうに辰治から視線を切り立ち上がる。
「少し席を外す。お前は静かにしていろ」
「姉さんを探して来てくれよぉ」
「断る」
天狗面はあばら屋を出ると、村長の家へ向かった。村長の家には皇夜教会の導士が数人おり、村長と深刻そうに話し合っていた。
「村長。お前の息子、辰雄とその嫁を探している。辰治が煩いんだ」
村長を認めるなり天狗面は訊ねた。村長は「辰雄は……」と口籠る。不審に思った天狗面は語気を強め、村長を詰問すると、辰雄がいない原因を皇夜教会の導士が訥々と語り出した。
「辰雄は知事の不正を告発しに警察署へ行き……逮捕されました」
天狗面は「ん」と喉を鳴らす。
はい。この話を読んでしまったそこの君!
我が軍は君のような元気な老若男女の『感想』を欲している!
m9( ̄^ ̄)
I WANT YOU