16.おっきなトカゲ・ディーノ殿 でござる
「イオタ様ッ! お下がり下さい!」
ベルリネッタ姫が某の前に立った。盾を構え、剣を抜いて。
「いや、これ!」
ディーノ殿は静けさを愛する穏和なお方。見た目は巨躯のトカゲもどきのリザードマン。
前にミウラからリザードマンだと教わった。姿を言えば、どんな種族も言い当てると自慢していたでござるからな!
いや、そんなことより――
「わたしが防ぐ間にイオタ様は逃げ――」
次の瞬間、ベルリネッタ姫の巨体が後ろへ吹っ飛んでいた。
某のすぐ横。ウラッコとの間。
赤い巨体が、ベルリネッタ姫に代わって立っている。
某を吊り上がった目で睨み付けて。
反射的に手が刀の柄にかかり、腰を落として身構える。
姿はディーノ殿にそっくり。体の色が赤いところと、一回り大きいこと、人相がより凶悪であることを除いて。見た目は赤ディーノ。
緑のディーノ殿は……居る。先ほどと全く姿勢を変えることなく、泉のほとり、木漏れ日の中で仏像のように佇んでおられる。
ならばこやつ、何者?
某の刀でどうこうできる者ではないと頭では解っている。だが、体が勝手に切り結ぶ準備を整えた。
いや! この身を守る準備だった。
『消えた!』
ミウラが叫ぶ。
でも消えたんじゃない!
某には見える。
赤ディーノ殿は、素早く動いているのだ!
見える!
振り下ろされる丸太のような腕。その先に光る斬馬刀のような爪爪爪!
危険を感じた身が、無意識に加速を使ったらしい。
居合抜き!
体を低くして刃を立て、飛び込んだ!
赤ディーノ殿の目を覗き込む某。
某を睨み付ける赤ディーノ殿。
赤ディーノ殿と視線を絡ませつつ、両者がすれ違う。竜の爪と刀を擦り合わせながら!
刀を武器としてではなく、盾として使った。ミウラの魔法で強化されていなかったらポキっと折れていたことだろう。
全力で足を踏ん張り、体の向きを変える。赤ディーノ殿との間合いが開いた。
「まずい」
刀の間合いから大きく外れてしまった。
案の定、赤ディーノ殿の回りで、物騒な気配が渦を巻きだす。魔法による距離を取った攻撃が始まるのだ。
『旦那! ここはわたしが!』
ミウラが某の足下に飛び込んできた。
『精素湾曲!』
ミウラの体から、見えないけど力強い何かが放たれた!
赤ディーノ殿が放つ、殺気にも似た気配が消える。赤ディーノ殿の体が、逃げ水のように揺らめいた。
それも束の間。
赤ディーノ殿から、予備動作無しで見えない何かが放たれた。あらゆる方向へだ。
『うぐっ!』
蹈鞴を踏むミウラ。魔法を使う者同士による高度な技の応酬か?
とかなんとか考えつつ、この隙は逃さぬ!
間合いを詰めさせてもらった。
踏み込み、体を乗せての右袈裟斬り!
捉えた!
……と思ったんだ。結果は――
切っ先が地面に食い込んでいる。
消えた?
「赤いのは!?」
消えたのだ! 唐突に前触れ無しで消えたのだ!
『最初からいない。あれは我が作り出した幻だ』
ディーノ殿が喋った。
『例えば、ほら!』
金色のディーノ殿が現れた。
大声で吠えて……、消えた!?
ま、幻? 霧や霞の幻?
幻であの強さでござるか?
『幻とはいえ、我は我。女騎士から物騒な気配が飛んだので、無意識に身を守ろうとしてしまったようだ。簡単に言えばビックリした? 謝ろう。イオタとその連れに危害を加えるつもりは一切無い』
張り詰めた気が失せてしまった。戦いはこれまで……いや、助かったでござる。
ミウラはまだ張り詰めているらしく、前のめりに構えたままだ。
『いいや! ベルリネッタが吹き飛んだ! 大型トラックに跳ねられたのも同じ!』
ミウラが叫ぶ!
緑ディーノ、いや、本物のディーノが口の端を緩めた。あれは笑っているのだ。ミウラと話ができるのか?
『幻ゆえにダメージは負わぬ。女騎士をよく見るがいいぞ』
言われるまでもなく、ベルリネッタ姫の元へと急いでいた。
抱き起こ……重くて起こせなかった。
怪我の具合を見る。荷物過積載の大八車に轢かれた様なもの。鎧から骨から、大変なことに……。
なってない!?
五体満足。革鎧に綻びや傷もなく、背負ったままの背負子も壊れてない。髪の毛だって乱れていない。その場で足を滑らせて転けた程度。
『前言を翻すようですが、姫様の場合、現実であっても大丈夫な気がします。……何の参考にもなりませんね』
体を揺すぶると目を開けた。
全て終わったから安心するように言い含めておく。
ついでだが、ほん、、、、、とうに、ついでだが、ウラッコはどうなった?
お尻をこちらに向け頭を抱え込んで震えておる。
何のことはない。真・ディーノ殿に悪意はなかったのだ。
彼の者にとって、縁側で微睡んでいたところ、突然侵入者が現れ、いきなり抜刀されたようなもの。
びっくりしたので目を見開いた。その時の瞬きが起こした風で、人が二人ばかり吹き飛んだ……、といった程度だったのだろう。
『姫様の巨体……お体が吹き飛んだ程度ですか……』
悪意はないのだ。根に持ってはいけない。
『転生用トラックで弾かれても、転生するのはトラックの方でしょう』
体の大きさ、圧倒的な力の大きさ。力の差は歴然。猛牛と蟷螂の差。
だのに、ディーノ殿から侘びが入った。ディーノ殿は傑物でござる!
『姫様も笑って済ますでしょうね。トラックに轢かれた位だと』
いずれにしろ、かような悪鬼魔神もどきのお方と、事を構えてはいけないと言うことだ。
「ふうーーーっ!」
肺腑より熱い息を吐き出し、納刀した。
「ところで、この辺で龍を見かけなかったでござるか?」
ディーノ殿は、小首をかしげてこう言った。
『さあ? この辺じゃ見かけないな?』