3.女湯……もとい食い道楽記 でござる
レブリーク帝国、帝都ウインドボアより、ダヌビス川を下ること半日以上。
それなりに大きな町、ブレダに到着しようとしていた。
川の流れは穏やかで、両岸にはのどかな田園風景が広がっていた。刈り入れ前の麦畑は黄金色に輝き、広大な黄金の敷物を風が凪いでいく。
ここより遙か南に人や獣、魔獣までをも拒む天下の険峻アトラウス山脈がそびえているらしい。箱根のお山と比べ、どちらが険しいのだろう? でも、函谷関よりは小さかろうの。
ダヌビス川は、あの山々が源流となっているとのこと。……と、ウラッコが言ってた。
そして我等が目的地、タネラがあるヘラス王国はあの山脈の向こう。
直線距離だと案外近いが、アトラウス山脈を越えることは出来ぬ。アトラウス山脈が途切れた場所が遙か東のレップビリカ王国にある。
よって遠回りの旅となるのだ。
話し戻して――
のどかな旅だった。
進行方向より吹く風が、顔を撫で、髪を揺らす。ミウラの髭も揺れている。
鏡面のような水面を騒がせるのは行き交う船か、水鳥の航跡、あるいは魚が跳ねる水の王冠、そしてたまに見る面妖な生き物『水棲の魔獣ですよ、旦那』くらいであった。
あの魔物、顔が豚そっくり。船頭さんに聞いてみると――。
「水オークですな」
『淡水オークですな』
そこ、突っ込む所か?
「臍から下が魚の尾っぽになってます。獰猛ですが、自分の体より大きな物には攻撃しません。例えば船とか」
船頭さんによる解説である。
「確かに、オークに似ておるな」
一度ならず水オークが飛び跳ねる姿を見た。
『下半身魚と言うよりイルカですね。むしろジュゴン? または人魚に変装した悪魔アザゼル?』
まさに海豚。……そう言えば、イセカイでは海豚の肉を食わぬのかな?
「へー、お客さん、オークの本物を見たことあるんですかい?」
「26匹ほどな」
『……あの時は酷かった』
三者三様の思いでござる。
いよいよ、景色は田畑から人々の住まう家々に変わっていった。
ブレダの町。
ここも石造りの町並みだ。ウインドボアにそこはかとなく似た光景だが、粗末な作りである。田舎故か。
やがて船は、大小の船がみっちり詰まった河港に侵入していく。
「お客さん、あれがブレダの町を管理する領主様のお屋敷です」
岸の一部に川へ張り出した部分があるのだが、そこに石造りのこぢんまりとした、それでいて見目美しき砦がある。
三方は川を利した天然の堀。残る一方に大手門か。攻めるに難く守るに安し。
『ただし、水棲の魔獣には不利!』
イセカイは厳しい。
「ほれ着いたぞ」
「かたじけない」
金は一括で先払いだった。水の上に出ると船頭の言いなりだ。もっとも、逃げようにも川の上ではどうにもならぬ。船頭に命を握られているようなものだからな。払えと言われれば払うしかない。
宿はすぐに見つかった。ネコ連れのネコ耳でも問題なかった。
麦の刈り入れ前なので、旅の商人が少ないから、どの宿も部屋を空けているそうな。
宿を決めた頃、すでに日が沈んでいる。一日が短くなってしまった。
『何とかして、本格的な冬が来る前にレブリーク帝国を抜けたいですね。越冬はジベンシル王国で。できればレップビリカ迄足を伸ばして。ヘラス王国の情報を冬の間に揃えたいですからね』
その通り。急がねばならぬ。
そのために旅の資金を貯めたのだから。
旅を続けるには食べねばならぬ。
『ああ、さっき旦那の腹が盛大に鳴いてましたからね』
そこだ! 人は食わねば生きられぬ!
この宿は一階が飯屋になっている。
田舎町は、一階を飯屋にして二階を宿にしている店が多い。旅の者には都合が良い。
店の娘に、いつもの如く、おすすめの郷土料理を頼む。ビールを添えて。
『旦那は好きですね、郷土料理』
「その土地の名物料理を食わずして、なにが旅の醍醐味か!」
景色、名物、食べ物。この三つをもって旅の醍醐味と成す!
ここは譲れぬ!
「はーい、牛肉の煮込みでーす! 横のソースをかけて食べてね。白いのはヨーグルトソースで、黄色いのは果実ソースよ」
今回は肉だけで野菜類が一切付いてない。肉だけ料理! 男の料理でござる!
「かたじけない」
両手を合わせて「頂きます」。
ナイフとフォークを手に取り、大ぶりな肉と格闘する。
『牛の肉に忌避感は無いのですね?』
「うん。下賤な者が食べるとされているが、臭みさえ我慢すればなかなかいけるぞ」
『煮込んであるとはいえ、見た目ステーキですからね。未来人の目から見てもこれは豪華なお料理ですよ』
「さもありなん! うん、臭みが無いぞ。肉も軟らかい。黄色いソース? が甘酸っぱくて肉に合う! これは名物でござる!」
肉を細かく切り分けてミウラにも供してやる。
『わたしはヨーグルトソースかな? レブリーク帝国の料理は、この世界にしては洗練されていますね』
あと、圧倒的な肉料理な。
田舎とは言え、ここはまだまだ帝都の防衛圏内。魔獣の活動も少ないのであろう。
冒険者にとって、まだうまみの少ない土地であるのかな?
明日、冒険者ギルドに顔を出しておこう。
さて、この町の名物は肉料理だけではない。
温泉でござる!
なんという力強き言葉、温泉。
なんと、ここより東になればなるほど温泉の数が増えるという。
某、いきり立ってきたでござるよ-!
『そういや、デイトナさんに背中を流してもらう件、すっかり忘れてましたね』
あぉーぅ! 一生の不覚ーっ!
だが、温泉を前にしてめげてばかりもいられない!
身だしなみを整えて『風呂入るのに髪の毛梳いてどうすんですか?』風呂屋へ突貫!
目の前は女風呂でござる。
若い女子が入っていくのを確認してからの女風呂でござる。某、学習するネコ耳でござる!
失敗は繰り返さぬ! つまり同じ轍は踏まぬという事!
『いいから、早く入ンなさいって! ほら人が見てる。かっこ悪いし!』
この時の為に、入湯のしきたりを完璧にそらんじておる。
脱いで篭に入れる。
ゆっくりとだ!
隣で、姉御が脱いでおる! 二人もだ!
肌が白い!
ボロリ! 何でござるかこの擬音は!?
『ポムンです。旦那も装備済みです』
下の……おほう! おほう!
『落ち着いて、落ち着いて旦那! それも旦那のと一緒です!』
さ、さて、仕切られた棚に駕籠を入れる。ここまでは江戸とさして変わらぬ。
『わたしはここで待ってますから』
扉をくぐって湯殿に……むっとした湯気と熱。湯気が充満していて、薄暗い。
当たり前であるが、窓は無い。魔法の明かりが四隅に灯っている。
三か所ほどに寝そべる棚がある。 浴槽は、思ったより小さいな?
先ほどのお姉さん方だけでいっぱいであった。某が浸かる隙間は無い。
無念!
先に体を洗おうか。
シャボンは手に入れてござるよ。白っぽい液状でござる。
大事なことなのでもう一度言う。白っぽいドロッとした液体でござる!
お姉さん方もこの白いドロッとした液体を体にこすりつけて洗うのであろう。ポムンもマルコさんも!
あ! お姉さんが浴槽から出てきた!
おおう! おおおおう! ニャーゴ! ブニャーゴ!
『旦那、のぼせるまで入ってちゃだめです。風呂は激しい運動をしてるのと同じ状態なんですから。下手すると死んでしまいますよ』
只今絶賛、伸びている最中。
『第一、ご自分の持ち物とどこが違うんですか? 鏡で見てる方が安上がりでしょうが?』
「違うのだよミウラ。それは違うのだよ……くっ!」
元女のミウラには解らぬであろう。この気持ち。
「うう、気分が悪い」
『ほらほら、お水飲んで』
「世話をかけるねぇ」
『それは言わない約束でしょ』
これからは普通に入って、チラ見だけする事にしよう。
「このまま旅行記で終わったらいいのにな」
そうはいかなかった。