5.ミウラその二 でござる
やがて一軒の家の前に来た。
もちろん壊れているが、壊れているのは玄関口だけ。裏から中へ入ると、主立った部屋は無事だった。ここなら夜露も凌げるし、倒壊の恐れもない。
板の間張りに障子の仕切り。江戸の外れにある田舎農家の屋敷に似ていた。
『一番小マシって事もありますが、この家の持ち主は集落での武人担当です。わたしが前もって調べたところ、衣類は元より武器やら防具やら、何かと揃っていました。もちろん食べ物も』
時は夕刻の上、雨が降っていて屋敷の中は暗い。しかし、某の目には、逢魔が時ほどでござる。昨夜も月明かりだけで周りが見て取れた。この体、優秀な夜目が備わっているのでござるよ。
まずは衣類でござる。ここまで素っ裸であったから、何より最優先される。
奥の間で押し入れを開けると煎餅布団があった。これは助かる。
布団を取り出すと、押し入れの奥に木箱があった。桐の箱だ。
「隠していたような?」
中を改めてみると――
『白いショーツにブラ? これは下着ですね』
「ああ、先ほど若い娘を検分した際に目にした。イセカイの肌着であるな」
『旦那、それはどういう?』
ミウラの目が疑いの色に染まっている。
「いや、けしてスケベな目で見ていたんじゃないでござるよ。あくまで旧役職により染みついた習性でござる。よってなんらやましい事はない出来事でござる!」
『まあ、習性なら仕方ないですね』
話の分かるネコで良かった。
「しかし、この肌着。色といい、形といい、先ほどから強い力を感じているのでござる」
『わたしもです。イオタの旦那とは気が合いそうですね』
某らは、互いの手と前足を固く握り合った。
『取り敢えず、汚れてないか臭いを嗅いでみますね。あくまで衛生上の観点ですからね、他意はないんだからね!』
クンクンと犬のように鼻を鳴らす子猫のミウラ。大きく息を吸い込んで、点検は終わった。
『異常なし。未使用物の一品です。キリリッ!』
表情を引き締めたミウラが、鑑定結果を上げてきた。
だんだんとミウラの性格が解ってきたでござる。
「ミウラを疑う訳ではないが、念のため拙者も確認させてもらうでござる。いや、ほら、書状なども大事な物であればあるほど、お互いで念入りに確認するものであるからな!」
『確かに。存分に御検分してください』
鼻をくっつけ、臭いを嗅ぐ。特に人の臭いなどはしない。むしろお日様の臭いがするくらいだ。
大事にしまわれ、時にこっそり虫干しされていたのだろう。この家の主にとって貴重な一品だったのだ。御神体として崇められていた形跡まである。
大きく息を吸い込み生地越しに肺腑の息を入れ替える。なんだか生きる力を分けて頂いた気がした。
「点検終了。異常なしでござる」
キリリと表情を引き締め、検査結果をミウラに上げた。
『さっそく試着しましょうか? 女物のランジェリーを』
ミウラが着用を勧めてくる。どうしても着て欲しいらしい。
そうであるな。某もいつまでも裸でいる訳にもイカンし。着物を着るにしても褌の代わりになる肌着が必要と思っていた所だ。どうしても着ろとミウラがうるさいし。また、せっかくミウラが勧めてくれているのであるから、断るのも両者の関係上気まずい雰囲気が漂い、これからの行動に差し障りが出るでござろう。
仕方ない。気は進まぬが、これも定めである。「しょぉつ」とやらに足を通すか。まったく、世知辛い世の中でござる!
付けてみるとこれがぴったり。肌に吸い付くようだ。最初、布地面積が少ないので頼りない気がしたが、ぴったり感がその懸念を払拭してくれる。
『なるほど。尻尾が生えている位置もあってローライズされているって寸法ですね。あくまで機能美であって、性的な趣向といった思考は排除されねばなりません。よってまったく無問題です!』
「あとは『ぶら』だが、付け方がよく分からん。検分の際、もっとよく見ておくべきであったか」
『ああ、ブラの付け方ならわたしが詳しい。実際使ってましたから、教えてさしあげましょう』
さすが、博学のミウラ。おかげで、それはもう手際よく着る事が出来た。
『問題は、この家の住人が35歳独身男性で一人暮らしって事なんですが……』
「それは、どうしても考えてしまう問題でござるな」」
『意見具申致します! それについて考えるのは十年位後で良いと思います!』
博学者ミウラの提案に従い、問題を一旦棚に上げ、独身男の家の探索に再着手する事とあいなった。
『おなじく、押し入れの奥から白いワンピースを発見。日本的風習の家からワンピースは疑問を感じますが、嗅いだ結果……もとい、検分した結果、汚れてなさそうなのでまずは早速早急に、袖を通してください!』
頭から被る作りであるな。これなら簡単だ。おや? 尻の部分に穴が? 尻尾を通す穴か。
こやつめ! 考えおったな!
『おっふ! 逝けます旦那! ご飯3杯は掻き込めます!』
何をおかずにご飯三杯も食べられるのかよく分からんのでござるが?
『おっと、旨い具合に姿見を見付ました。どうぞお姿をご覧ください』
目の前に等身大の鏡があった。さっきまでそこには何もなかったように記憶しているが、実際あるし。某の記憶違いで御座ろう。
姿見には……とんでもない美少女が映ってるでござる!
当初の予想通り、年は十七・八。釣り気味の目は好戦的な印象を与える。
卵型の白い顔。柔らかそうなホッペからは、やはり三対六本の白くて長いヒゲが生えている。これがまたよく似合う、似合うったら似合う。
背中まで伸びた黒髪はそこはかとなく蒼い。この髪がこの娘の……自分か?……清楚感を引き立てておる。
特徴的なのは、頭頂より三角の耳が飛び出しておる事。まさしくネコミミでござる!
こ、これはこれでなかなか可愛いんじゃないか? お良ちゃんより可愛いんじゃなくね?
乳は、大きすぎず小さすぎず、腰はくびれていて柳か? これが噂の柳腰か? お尻が大きくないか? 安定した尻だ。足が若干長すぎるな。重心が高そうだ。
ミウラがご飯三杯食べられるとヌかしておったが、解る気がする。解る気がするのがなんだか怖い。
ちょいと人目を盗んで小汗をかきたくなってきた。
『旦那、一言ネコの鳴き真似をしてください』
ミウラの要求に対し、つい勢いで答えてしまった。
「にゃー」
『汝を我が主と認める』
これより長い付き合いとなるミウラが、某に傅いた記念すべき瞬間であった。
さて、お互い分かれて探査する事しばし。
『旦那! 床の間に刀が置かれてますよ!』
早速武器発見である。
食べ物を探していた台所から離れ、奥の間に向かう。
「ほう、これは――」
二振りの刀を見つけた。
一振りは通常の刀で、作りも無骨な代物。刃渡り二尺三寸『約70㎝ですね』かな? 手頃な代物である。……今、ミウラが何か言わなかったか?
問題はもう一振りの刀だ。
刃渡りだけで六尺三寸『190㎝ほどですね』両手持ちで使う事しか考えてないのだろう、柄が長い。
……心の中で考えておったのだが、ミウラが何か言ってこなかったか?
重さもそれなりだが、重心が手元にあるので、見た目より重く感じない。
柄頭に頑丈な紐が取り付けられている。これは……馬上で使用する実践的な大太刀とみた。
鞘も重厚な作りとなっている。縄を巻き付け、強度を増している。
『腕の長さを超える刀なんかどうやって抜くんですかね?』
ミウラが不思議そうに長刀を見ている。何故だろう?
「……ひょっとしてミウラ、お主、長太刀の抜き方を知らぬのか?」
『わたしの生きていた時代は、えーと、鉄砲? 連発式の短筒が進化した武器が主流となっていてまして。刀は接近戦で使う短刀くらいなんですよ』
ほほう! ようやくミウラより知識で上位に立てたか。
抜刀の構えをとり、これ見よがしに柄に手を掛けてみせる。
ちらりと横目でミウラを見る。
「教えて欲しいか? 簡単な事でござるが?」
『是非とも』
ならば――。
「二人がかりで抜くんだ」
『ごもっとも』
ミウラは前足でぴしゃりと小さな額を打った。
「一人で抜くとしたら、ここまでが限界だ」
鯉口を切り、刃を走らせて……。
「痛い!」
鞘を押さえていた左手の指を切ってしまった。結構深い。ボトボトと血が流れ出た。傷口に口を当てて吸っておく。
なぜだ?
鞘を見ると――おう! 仕掛けがあった。
鞘の横が開くようになっている。刀をここから抜く絡繰りだ。
「なんだ? この絡繰りなら一人で抜ける。扱いにくいが、何度か修練すれば可能だな。おや?」
怪我をした指を見た。不思議な事に、血が止まり薄皮が張られていた。
「怪我が治りつつある? あ、そうか!」
伊耶那美様よりもらった神通力だ。怪我がすぐ治る体。これがその神通力か!
ありがたやありがたや! 手を合わせ、伊耶那美様に祈った。
『武器も手に入れた事ですし、あと食糧を探し出して、即刻この村を出ましょう! 闇に紛れていつ賊が戻ってくるやも知れませんしね。賊が引き上げた方向は、わたしが憶えています。反対方向へ逃げれば安全です』
「賊は明日、日が昇るまで戻ってこぬぞ」
『は?』
ミウラの目が見開かれていた。面白いな、博識の者をからかうのは。博学のミウラでも考えが及ばぬ事がある、という事実が面白い。
「賊は雨が降る前に爆発の魔法を使った。雨が降る前にこの村を襲った。何故か? それは、火縄銃と同じく、雨が降ると爆発の魔法が使えないからだ。違うか?」
『違いありません。この世界の火系魔法は、雨を苦手とします』
「本来、賊は明日の朝に襲撃する予定だった。天気を読んだ結果、苦肉の策として今日の夕方に襲撃したのだ。決断が遅れたのは首領の判断力の無さだな」
『旦那、なんで襲撃は明日の朝なんですか?』
「昼からだと、襲撃中に近隣の村人に遭遇する可能性がある。行商人なんかが来るとしたら昼からだ。連中は暗い内に出発して明るい内に目的地へ到着するようにしておるからな。到着は、当然昼以降、夕方までになる。
ならば、面倒な目撃者が現れる前に村を襲い、乱取りするのが良い。
先ほどの事情で、やむなく昼過ぎに村を襲った。そしてこの雨と日暮れだ。行商人や旅人は来なかった。日が暮れる前に屋根のあるねぐらへ帰りたい。そう思うのが道理。
ならば、日が開け、明るくなった翌日早朝に村を荒らすはずだ。それが証拠に、村は荒れていない。女は諦めねばならぬがな」
『なるほど。旦那、頭いいっすね!』
「伊達に同心はやっておらぬ」
二人して笑い合った。
『だったら余裕を持って、逃げ出す準備が出来ますね。日が暮れたばかりですし、日の出までたっぷり時間が有りますし』
「拙者、ここより逃げるつもりはないぞ」
『へ?』
何度目かのマヌケ面を晒すミウラであった。
「拙者、この村人の無念を晴らす所存でござる」
『それは危険です! せっかく拾った命をまた落とすことになります!』
「致し方あるまい。死ぬつもりないが、その時は致し方あるまい。なんとしても村人達の敵を討つ。さもなくば……」
『さもなくば?』
答えは決まっている。三十俵二人扶持の微禄であったが、家を継いだ時より覚悟は出来ておる。
「テンセイしても、女子になっても武士は武士。このような惨劇を目のあたりにして、逃げるようでは男が廃るのでござるよ」
『その一言が聞きたかった!』
「一言では済まぬ長台詞だったが?」
『さすが我が主。魔法使いはわたしが押さえます。イオタの旦那は、刀持ちにあたってください』
ネコに身を転じようと伝助の子孫は子孫。きっちり血は引き継いでいるという事だ。
目と目で見つめ合えば、それ以上の言葉は無粋。
『では早速、決戦の準備を』
「うむ」
台所で見つけた「らいむぎぱん」とやらを夕餉に食す。
太い煎餅のような物だ。固いが酸味が利いた味が初めてで、何とも言えぬ美味である。干し肉とか干し魚とか、ミウラの出す火の魔法で炙って食べた。綺麗な水やサラシなど、怪我の治療に役立つ小道具も確保した。
「後は迎撃の打ち合わせだな」
『ですね。これはしっかりやらないと。ところで――』
ミウラは言葉を中断し、黄色い表紙の薄い書物を咥えて持ってきた。
『こんなのを見付けました。戦術の参考にいたしましょう』
表紙を捲ると――綺麗な女子が裸になっている絵が描かれている。写実的な図柄である。
次を捲ると、男と絡み合い、ナニが明確に描かれた絵が出てきた。
『大人の絵本です』
「うーむ、確かに大人の絵本であるな」
『まだ何冊もあります』
「すべて見せるが良い」
『これはエロ本、もとい……春画ですな』
「うむ、春画であるな」
無言が続く。
頁をめくる音だけが、部屋に響いていた。
『あ、そうだ! 大事な事を思い出しました。イザナミ様から、新しい今後のアドバイス……えーと助言を言付かってきたのですよ』
ミウラは絵から視線を外さなかった。某も外さなかった。
「ふーん」
頁をめくる。こんどは蛸みたいなのとネコ耳娘の絡みだ。画像がより鮮明である。
『触手ッスね』
「うむ」
頁をめくる。
二人は無言になった。
無言の打ち合わせは、世が白み始めるまで続いたのであった。
ちなみに、変わりべったんで席を外し、一汗かいてから戻ってきた事は、二人だけの秘密である。
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この業界、女性獣人の描写に対し、ヒゲが無いと駄目という道を踏み外した方と、あると駄目というソフトな方がおられます。
以後、意図的にヒゲ描写を省きますので、イオタの顔は好みの方で脳内補正してください。