9.大事件 でござる
昼過ぎ。これからアンニャちゃんを迎えに行こうかと準備をしていた。
既に腰の刀を確かめ終えていた。ミウラの肉球をいじったり匂いを嗅いだりしながら、同行する使用人の準備待ちをしていた時だ。
血相を変えて別の使用人が駆け込んできた。
「大変ですイオタ様! 集荷場に強盗です! エラン先生が駆けつけてくれましたが、敵は大勢です!」
皆まで言うな!
脱兎の如く駆け出すミウラと某。
何事かと引きつった顔をする客を押しのけ、カウンターを飛び越え、店の中を走り抜ける。
ただっ広い集荷場へ躍り出た。騒動の場所は敷地からの出入り口付近。まだ距離がある。
今日は高価な荷を出すと業務連絡があった。見た目に高価そうな箱が荷車に積んである。それを狙われたのだろう。
ざっと見て賊は五人。全員が剣で武装している。
倒れている賊も五人。
さすがエラン。あっという間に五人も倒したか!
そして腰を抜かして倒れ込んだ使用人も五人。数えやすくて良い。
あ、また一人切り倒された。
エランが使う剣は初めて見るが、その剣は骨をも断つ剛剣にして鋭利な剣。
賊の集団に飛び込んでは切り崩していく。危ない戦法だが、そうしないと腰を抜かした従業員を守れない。
また一人賊が斬られた。切り返す刀でもう一人。某が剣を抜いて駆けつけるまでにもう一人。
恐るべき腕前。
現在、最後の一人と対峙している最中。
「ネコ耳っ! 手出しは無用だ!」
笑ってないか? エラン先生!
『旦那、先生が使ってる剣法は、歴とした諸刃の剣法です。ちゃんとした師匠について修業したんですよ。昔、動画で見た型に似ている』
さすがミウラ。博士の称号を得ているだけあって、剣の道にも詳しい。
『ほら、あれは闘牛の構え。両の刃を使う事に特化した剣法ですよ』
どうりで。ちゃんと型を反復して身につけておるわ。しかとこの目に焼き付けておこう。
ヤツの使う剣だが、相変わらず柄の作りは粗末。だが、刀身は名剣と呼んで良い切れ味。何か理由があって隠しているとしか思えない。よくわからんやっちゃな。
難なく最後の一人を斬って捨てたエラン。息一つ乱しておらぬ。
「剣の腕前だけは認めてやるでござる」
「フッ、ネコ耳に褒められても嬉しくも何ともない」
こ、こいつ! とことん嫌みな男だな!
「拙者だったら、もっと早く華麗に切り捨てていたであろうな」
「フッ!」
な、何でござるか? この男、このように爽やかな笑顔を浮かべられるのでござるか?
「年端もいかぬ女に修羅場をくぐらせる訳にはいかぬさ」
手拭いで剣に付いた血を拭き取りながら言うものだから、キザっぽくてキザっぽくてキザっぽくて背中の毛が総立ち。尻尾もピンと立ち上がって毛がブワっと膨らむのが解る。
それと何だその目は? 優しい風を装っておるな!
こいつ斬り殺していいかな?
『妹さんですね。イオタの旦那と妹さんを重ねてるんですよ』
某がこいつの妹ぉ? きっしょ! ぺっぺのペでござるよ!
それはさておきっ!
「見事に死んでござるな」
死体の検分を始めた。
全員、覆面。明らかな殺意を持った殴り込み。
エランが間に合わなければ、店の者達は斬り殺されていただろう。
くっ! こやつの功績を認めるしかないのか?
例えば、強盗犯とこやつが繋がっていたとか! 襲撃されたにしては駆けつけるのが早かったじゃないか!
『高価な商品の荷出し時には、旦那も警備に当たっていたじゃないですか』
くっ! 悔しいが、その通りでござるッ!
冷静に検分を進めよう。
「全員一刀の下に斬り殺されておる。覆面の下は……どこかで見た顔ばかり。お尋ね者の強盗ばかりでござるな。エラン、何か気づいた事は無いか?」
「強盗と言っても素人に毛が生えた腕だった。つまらなかったな」
こやつ……、いつか後ろから斬ってくれよう。
「役人を呼べ! こやつら全員凶状持ちでござる!」
その後、役人がやってきて、騒ぎに輪がかかった。
そして本当の事件が起こった。
「お嬢様がまだお帰りになっていません!」
あ! お迎え忘れていた。
「代わりに手前がお迎えに上がったのです! でもお嬢様方は、歩いて帰っていったと!」
「ム? 妙でござるよ。あれからだいぶ経つのに、まだ帰って……もしや! 鉄砲玉共の討ち入りは目を反らす為の捨て石。本命はアンニャちゃん狙いでござるか?」
「フッ! よく考えれば、あの子はビラーベック商会最大の弱点だな」
エラン、こんな所でよく笑えるな?
「じゃぁ、アンニャは誘拐されたと!?」
「おぅ! びっくりした。イシェカ会長とオットー殿!」
青い顔をしている二人。
「うむ、まだ決まった訳ではないが、誘拐を前提に動くべきでござろう。無事なら万歳でござる」
『なるほど、数々の嫌がらせ、そして強盗による強襲は旦那をアンニャちゃんから引きはがす為。本命はアンニャちゃんでしたか。これは迂闊でした!』
「ミウラ、誘拐したなら誘拐犯は必ず接触してくるはず。お主、高い所に昇って、接触を待て。しかる後、後をつけよ。ここからは時間勝負! こちらは後の先を取るしか勝ち目は無い!」
『ガッテン承知! 探査の魔法も展開しておきます!』
ミウラは身を翻し、かけていった。
「護民官にでも届け出るか? もう我等の手は離れた。これは犯罪だ」
エランの言う事もごもっとも。
「であるが、こう言った場合、役所に届けると追い詰められた犯人は、人質の命を奪うかもしれぬでござるよ。それにまだ誘拐とは決まっておらぬ」
誘拐された者は殺される場合が多い。賊はあくまで利益が狙いだ。人質の命は軽い。
「それもそうだな。何ともなれば、前に出てやるぞ。ただし、特別料金が発生するがな!」
エラン、貴様金儲けにしか捕らえておらぬのか?
いちいち腹の立つ男だ!
「じゃあどうすれば!?」
いつもは沈着冷静なオットー殿も、さすがに狼狽えるか。
「待つ。それしかないでござるよ」
一階の応接間に、主要人物が顔を揃えている。
エランはどこ吹く風の顔で、腕を組んで壁にもたれている。こやつ、被害者家族を観察して楽しんでおるな! もはやこいつには頼らん!
「ああ、アンニャ! アンニャ! きっと泣いているんだろうね。おお、可哀想に!」
「あなた、アンニャはどうなってしまうの!」
「お母さん、カティ、二人とも落ち着いて。誘拐だと決まった訳じゃない。例え誘拐だとしても、要求を満たすまで危害は加えないはずだ」
狼狽えまくるイシェカ会長と、初登場のカティお母さん。
会長は年齢が年齢だ。ぽっくり逝かないか心配でござる。
ここにいるのはアンニャの家族だけではない。アンニャと遊び友達纏めて帰ってこないからだ。
部屋にはアンニャの遊び友達の親も詰めている。この者達は、ビラーベックの使用人でもある。
これはごっそりやられたかも知れない。悪い事を考えれば、誘拐犯にとって必要なのはアンニャだけ。他の子供は必要ないのだ。
某が誘拐犯だとしてきゃつらの考えを辿ってみると……余計な子供はいるだけで邪魔でござる。
あっさりと――。
そこから先は怖くて考えぬようにした。それは、友達のご両親も考えに至っている事だろうから。
日が暮れた。
「旦那様! 会長! 裏の集荷場に矢文が撃ち込まれました!」
使用人が手に矢を持って駆け込んできた。
来たか! 頼むぞミウラ!
矢文を手に取り、折りたたまれた手紙を広げていく。
「貸しな!」
それを横から分捕ったのがイシェカ会長。
やれやれ、浅ましや。お国が知れるというもの。
引き際を見失った老人ほど見にくいものはない。某も同じ轍を踏まぬよう肝に銘じよう。
「なんだって! 利権を放棄しろと? 金も……1億セスタ? 明日の昼までに? やっぱり届け出なくて正解だったね。役所に届けた場合、アンニャの命は無いって!」
「返してください!」
オットー殿が会長より手紙を奪い返した。
そうでござるよ。御店の主はオットー殿。そなたが主となって動かねばならぬ。
「1億セスタですって! 本店の金庫にはそれだけの金は……かき集めるとしても、明日の昼までにはとてもとても!」
「あなた! それじゃアンニャが!」
カティさんが大変な事になっている。
「安心しろカティ。絶対に金は用意する。いいですね、お母さん!」
イシェカ会長はグッと歯を食いしばっている。決断を躊躇しているのだな。
「利権は仕方ないとして、今この時期に一億セスタはつらい。買い掛けが払えなくなる」
つまり御店が危ないということか?
「あ、安心おし! か、金はあたしが出すよ。万が一の為、5千万セスタは秘密の資金としてプールしてある。残り5千万セスタなら、何とかなるだろう?」
血を吐くような台詞。さすがに吝嗇で悪評高い会長も、可愛い孫の為なら金に糸目は付けぬか。安心したよ。
「お母さん!」
「お母様!」
ご両親も、一安心だ。
これで最悪の事態は防げたかというと、そうでもない。
「誘拐犯が約束を守るかどうか。信用できるのか?」
エランが余計な事言った。いや、的確な指摘だと言い直そう。
「誘拐犯を……信じるしかないでしょう?」
「オットー殿の言う通り。まずは誘拐犯と信頼関係を結ぶことが肝要でござる」
これ以上は言葉遊びとなる。それよりも――
「イシェカ会長。その文面から犯人の当たりを付けるのは難しいでござるか?」
イシェカ会長は即答した。
「……バルテオ商会。ここんとこメキメキと力を付けてきた新しい商会だね。あの利権を一番ほしがっていた」
会長の顔付きが獰猛な物となった。
「そうさね、ややこしい世界に食い込んでるって噂だよ。常習的に汚い手を使う荒っぽい連中さ。あの利権を喉から手が出るほど欲しがってるのは、あいつらだけとは限らないけどね」
「ニャーン」
ミウラが帰ってきた。
『旦那、突き止めました。会長が言ってた通り、バルテオ商会です』
決まったな。
『危険です旦那。連中、ゴロツキを50人ばかり集めています。それはもう水をも漏らさぬ警備体制。とてもじゃないが忍び込めない』
50人か。さすがにちょいとそれは……。
うむ、耳が萎れてしまった。
「会長!」
勢いよくドアが開いた。びっくりした!
「店長! 会長! お嬢様が! アンニャ様が!」
「どうした!」
オットー殿が慌てて聞いた。某も慌てた。エランは……片方の眉を上げただけ。
「お帰りになりました!」
「え?」
「良かったよー! アンニャ-!」
アンニャちゃんにしがみつくイシェカ会長。そこはご両親に譲るべきでござろう?
大人げない老人でござる。
さて、確かに、確実に、本人が帰ってきた。
寄り道をしていて、帰るのが遅くなったとのこと。
「だとすると?」
朝と今とで違っている点。
それは――
「アンニャ、ネコ耳カチューシャはどこへやった?」
「コリンナちゃんに貸してあげたの。だけどコリンナちゃんがいなくなったの」
「なんだって!」
これは! もしや!
「みんなで探してて、遅くなったの」
最悪でござる!
「フッ! 誘拐犯め。間違えやがったか」
エランの言う通り。
「コリンナ-!」
コリンナちゃんの母親が泣き崩れた。
「会長様! どうか、コリンナをお助けください!」
イシェカ会長は――、アンニャにしがみついたまま、無視。
「会長様! 店長様ぁ!」
コリンナちゃんのお母さんは、店長の足にしがみついた。
「う、うん。そうだ! アンニャは帰ってきたが、コリンナは帰ってない」
徐々に言葉が力強くなっていく。
「ましてやうちのアンニャと間違えられて攫われた。いわばアンニャの身代わり! 金は出さなきゃなるまい」
「それはさせないよ!」
イシェカ会長が口を挟んできた。冷たい声で。大声で!
「赤の他人に、何で金出さなきゃならないんだい?!」