27.さらば、スベア でござる
日はあっという間に過ぎ、とうとう出航の朝となった。
集合時間である朝四つの鐘にやや遅れて船乗り場へ着いた。
『ギリギリだったじゃないですか。何でこんな事に』
「竹パンを買っていたら遅くなってしまった」
『なんですか? 竹パンって?』
「上手そうなパンだ。夜食にでもと思ってな」
『食い物買ってたんなら仕方ないですね』
「ミウラならそう言ってくれると思っていた」
この南蛮船は、乗客乗員合わせて百二十人乗り。千石船より大きい!
荷物も客も乗せる船。貨客船というそうだ。
風がある時は三本の帆で。風が無い時は、魔法の絡繰りで進めるらしい。
さすがイセカイでござる。
船賃一万セスタを払い、乗船券を手に入れた。
係の者が、個室を用意したと言っていた。
一万セスタの料金は大部屋料金なのだが、ビラーベック商会が気を利かせてくれた。同料金で個室にしていただいたのだ。これは有り難い。エンリコ殿、人の心の機微を突くに長けた男である。
さて、乗船しようかと移動しかけたところ、後ろから声が掛かってきた。
ヘイモだった。
「イオタさん! スベアを出るとは聞いていましたけど、こんなに早いなんて俺たちに言ってくれなかった! 水くさいじゃないですか!」
走ってきたのだろう。荒い息をして頬がピンクに染まっていた。
「拙者、水っぽいのが苦手でござる。それに、所詮は余所者でござるからな」
「余所者だなんて! もっとイオタさんと冒険したかった。きっとみんなそう言いますよ!」
「すまぬ」
こういった湿っぽいのを避けたかったから秘密にしていたのに、蓋を開ければドツボである。
別れの挨拶を交わし、名残を惜しみ、それじゃあとなってからが本番だった。
「イオタさん、トロールの一件ですが……思うんだけど、俺たち、冒険者ギルドに嵌められたんじゃないでしょうか?」
某、周りをざっと見回し、声をひそめる。
「その通りでござる」
「やっぱり!」
半信半疑だったのだろう。もしくは、そうであって欲しくないと思っていたのだろう。
こんな粗い計画、いつかは誰かが気づく。
「声は大きくない方が身の為でござるよ」
「大丈夫です。俺以外誰も気づいてないんです」
うん、みんな馬鹿で助かった。
「だとしたら、ギルドマスターは犯罪者。死んでいった仲間の敵を討たなきゃならない!」
ヘイモの目に憎しみと決意の光が宿る。
放置すれば暴走するな、こりゃ。
「それは止めた方が良いでござる。領主も各ギルドも、有力者全てがグルでござった。ここで刀を抜くと、逆にヘイモ殿が犯罪者となるでござるよ」
「それでも、男にはやらなきゃならないことがある!」
釘を刺したが、効果は無かった。チラチラと某を見る目に籠もる熱が気持ち悪い。
そっち方面からの熱意は面倒くさいでござる。
仕方ない。
ヘイモに顔を近づけ、耳元で囁いた。
「ヘイモ殿、これからの話しは誰にも口外せぬと拙者と約束して欲しい」
「う、うん。イオタさんがそう言うなら」
顔を赤らめながらヘイモが頷いた。
『イオタの旦那が美少女って事を忘れちゃいけません。ヘイモ君にとって永遠の女性になってしまいましたよ』
うっかり!
「ギルドマスターのボリスに妻がおることは知っていような?」
「は、はい」
「では、受付嬢のカーリンと不義密通していることは?」
「え? ええー!?」
「声が大きい!」
ヘイモの口を手でふさぎ、腕で動きを押さえる。周りを見回したところ、こちらに気づく者は居ない。よかった。
『旦那、美少女美少女!』
うっ! 抱きついているように見えるか?
しかしここまで来れば後へは引けぬ。乗船時間が近づいておるからな!
「昨夜も乳繰り合っているでござる」
『憧れのお姉さんの口から「乳繰り合う」という単語を聞いて、なおのこと赤面するヘイモ君であった』
「場所はカーリンの家。ボリスが金を出して借りているのでござるよ」
あの夜ミウラと別行動を取っていたのは、これを調べる為。ミウラはネコの特性を生かし、こっそり後を付け、探り当ててきたのだ。
「そうだ! それをボリスの奥さんに教えてやれば――」
「遅いでござる。既に昨夜、奥方が、どこかの誰かの導きにより、モニャモニャの真っ最中に踏み込んだでござる。あれは目を背けたくなる修羅場でござった!」
「どこかの誰かの……あーっ! イオタさん!?」
「しーっ! 声が大きいでござる!」
ヘイモの腕を引っ張ってしゃがみ込んだ。ヘイモも自主的にしゃがんでくれた。
「そりゃ大変だ。ボリスの奥さんって、貴族様の出だよ。ボリスが今の地位に就けたのも、奥さんの実家の影響力があったって噂だし!」
ヘイモがニヤニヤと笑っている。
そうか、それは知らなかったな……。
「……悪い事してしまったかな?」
「そんな事ないよ! 天罰覿面だよ!」
「そうじゃなくて……。念のためと思って……」
興味津々の顔色で某を見つめてくるヘイモ。
ふぅ、やはり話さねばならぬか。
「言いにくいのでござるが……。奥方とボリスが『話し合い』をしている隙に、屋敷へ忍び込んで手紙を置いてきたでござる。『奥さんと離婚してくれるって約束してくれたから、わたし、ボリスさんのプロポーズを受けます』って内容の手紙でござる。差出人はエリザベスという女性でござるが、そのような女は何処にもおらぬ。これ! 声をあげて笑ってはいかぬ!」
ヘイモが笑いをこらえるのに必死になっていた。
「これは二人だけの秘密でござるぞ!」
旅立ちは、明るいものとなった。
……ボリスを除いて。
『船は出て行く煙は残る。残る煙がしゃくの種、ときたもんだ!』
遠く、スベアの港を甲板の上から眺めていると、ミウラがまた訳の分からぬ事を言い出した。
船から煙が出れば、それすなわち船火事である! しゃくの種どころの騒ぎではあるまい?
『旦那、未来の船は火の力で動いているんですよ。ちなみに船は鉄で作られるようになります』
はっ! はっ! はーっ! 面白いぞその冗談!
なにか? 船の尻に火を付けて走らせるか? 鉄は水に沈むでござるよ!
『いや、ほんとなんですって! 日本は全長263メートル……えーと870尺の鋼鉄製戦艦を作った事もあるんですって!』
八百七十尺と来たか! また大きく出たものだ。
長屋が何軒建つというのか? それとも大名屋敷でも建てるか?
『司令塔は甲板から50メートル、えーと約130尺あります』
「はっはっはっ! どこの船に天守閣より高い建物を作るというのだ?」
ミウラの冗談に合わせて笑っておいてあげた。
ネタは不味いが、二人の関係故、ここは笑うべきであろう。某、空気を読むの長けているのでござるよ!
『あの5万セクタは惜しい事をしました。あれがあればもっと楽な旅が出来たはずです。本当にあれで良かったですか?』
「くどいぞ、ミウラ」
北へ向かったチームの、たった一人の生き残りが養生所の寝床でうんうん唸っておる。命に別状も無く、しばらくすれば復帰できるとの事であるが、仲間はもうおらぬ。生活も苦しくなるであろう。
ボリスからもらった賄賂の五万セクタは、その者の寝床へ放り込んでおいた。
泡銭は、もっとも相応しい者が受け取るべきである。
ボリスの件は秘密である。そのようにヘイモと約束したが……。
『人の口に戸は立てられぬ、と申しますからねぇ』
「いかにも、ゲソにもスルメにも」
船の上の人になった以上、スベアの町の事でじたばたしても意味は無い。成るようにしか成らぬであろう。
さて、明後日の朝には大陸へ着く。
ゲルム王国のグレイハルトという港町だ。
目指せヘラス王国! 理想の土地、保養地タネラ!
「ミウラよ、本格的な旅はこれからでござるよ!」
『俺たちの旅は今始まったばかりだ!』
―― スベアの町編 完 ――