18.宿屋でござる
ここが「銀の森亭」でござるな?
人通りが多くもなく少なくもない通りに面している。
「御免! 部屋は空いてござるか?」
「あ、ネコ耳族の女の子!」
十三、四だろうか? 若い娘が受付に立っていた。
大きな声に、意識とは別に耳が動いてしまった。ネコ耳族の特性であろうが、感情が外に漏れるのは遺憾に思う。
「ひょっとして『バルディッシュのオーガー』一味50人をやっつけたネコ耳族の剣士さんですか?」
「10人でござるよ!」
「ビラーベック商会に賞金をだまし取られたんですって?」
「多少お高い手数料を払っただけでござる!」
尾ひれのついた噂が宿屋にとどいているという事は、これ、町中に広がっておるな?
役場で一暴れしたからなー。
早まったかなー。
「えー、拙者、ボリス殿よりここを紹介されたのでござるが」
「冒険者ギルドマスターのご紹介ですね? 空いておりますよ。何泊なされますか?」
どこぞの受付嬢と違って、明るく華やかだ。この宿の看板娘であろう。
「取り敢えず二泊お願いする。おそらく延長するであろう。ちなみに値段はいくらとなってござるか?」
「1泊2食付きで700セスタですが、2泊以上の方は、500セスタとなっております」
銭と換算して、400セスタあたりが前世の相場であるから、割高であるな。
『わたしの生きた世界ですと、ビジネスの安い所で食事無しで500セスタが相場です。ここは、かなり良心的ですよ』
うむ、住む世界が違うと物価も違うのだな。
「ではそれで頼もう」
「ではこちらにお名前を」
帳面を広げられた。いろんな名前がいろんな筆跡で書かれている。宿帳であるな。前世の宿と同じ手順だ。某の名をここへ書けば良いのであろう。
イオタ――っと。
「ああ、そうそう。ネコも一緒なんだが大丈夫であろうか? 下の躾は完璧であるゆえ、そちらはご安心めされよ」
「ニャーン!」
懐から顔を出したミウラは、いつもより可愛く鳴いた。
「あら、可愛いネコちゃんね! 大丈夫ですよ! 後で抱っこさせてくださいね!」
『どれ、異世界の娘の抱かれ心地、堪能してくれよう! M先輩、無断借用ご免なさい』
ひょいと跳びだし、娘の腕にすっぽりと収まるミウラ。
あざとい!
「キャー可愛い!」
抱っこしてスリスリ。
某を見て口の端をゆがめるミウラ。
こ、こやつ!
そ、某も胸に飛び込めばスリスリしてもらえるのだろうか?
いやいや、まてまて! 亜人への差別を忘れるな!
勤めて平静を装った。
「晩ご飯は間もなくですね。先にお風呂を済ませておけば丁度いいかと思いますよ」
娘に宿の説明を受ける。
一階の床の間は、飯屋になっている。夜ご飯と朝ご飯を出してくれるらしい。追加料金を出せば別の料理も出せるとのこと。
昼食も別料金だ。
「そうしよう。できればミウラの分もお願いしたい」
「このネコちゃん、ミウラちゃんていうのね! 承りました!」
なんとなくミウラの方が良いおかずを出されそうな気がする。
「トイレですが、女性客の皆さんは、そこの従業員トイレを使ってください。野郎共は中庭の掘っ立て小屋ですから、そこには近づかないようにしてくださいね。お風呂はあそこを入った所です」
風呂!
女子泊まり客と一緒に風呂に入れるっ! 夢にまで見た世界!
男子の五指に入る夢の職業。その上位こそ湯屋の番台。
しかも番台に座る以上の夢。堂々と女風呂へ入ること! 某、女子でござる故、風呂へ入った女子の体を観察することが出来るのでござる。盗み見などする必要が無いのでござる! 堂々と、じっくりと、嘗め回すように見ることが出来るのでごわす!
緊張するなー。あー緊張する!
「カウンターでは各種便利器具を販売、貸し付けしております。タオルとかサイコロとかカードとか、紙から封筒まで、ご要望の商品を申しつけてください」
ほほう、賽子まであるのか。
紙は今後必要なので買っておくのも良いかな?
「賽子二つと紙に筆記具を頂こうか」
「まいどあり!」
紙は紙だったが、筆が棒切れとはこれいかに?
『鉛筆です。旦那。使い方はご説明いたします。そこの鉛筆キャップも買ってください』
鉛筆キャップ? 銀色のアレか?
イセカイの木の棒は、文字を書く事ができるのである。さすがイセカイでござる!
「ではお部屋までご案内致します」
武器は部屋に持ち込んで良いそうだ。物騒に思えるが「もし犯罪に巻き込まれた時、武器が無いと反撃できないでしょう?」と返された。
武器があれば犯罪を防げるのか、武器があるから犯罪が起こるのか? イセカイには、ちと変わった思想が広まって居る模様。
『ああ、普遍的ライフル協会思想ですね。外国ではよくある習慣です』
まあミウラが言うのだからね。あるんだろうね。外国じゃ。
明るい娘の後について階段を上る。フリフリ蠱惑的に動くお尻が素晴らしい。
あてがわれた部屋は板張りの間であった。
小さな机と椅子。服掛けが一つ。小さな窓も一つだけのこぢんまりとした作り。
だが、部屋の半分近くが足つき寝台で占められている! まるで帝が使うようなような寝台である! 足が付いている! なんて豪華なんだ!
気に入った!
「これ部屋の鍵です。表に出かけられる時はフロントに預けてくださいね。ではごゆっくり」
娘は戸を閉めて出ていった。
部屋に鍵を掛けるとは……。まるで部屋それぞれが一軒家のようではないか?
『全部の部屋が鍵付きですよ。個人主義の国だと皆こうです。防犯に役立つでしょう? ずいぶん前から我等の国でも、外国式の旅籠で採用されていましたよ』
全室施錠完備! 安全な宿である! 気配りが行き届いた良き宿である!
さすが冒険者ギルドマスターおすすめの宿!
さて、荷物を置いたら何をおいても風呂である!
『ちょっ! ちょっと旦那!』
ミウラを小脇に抱えて突入した!
5人ほど入れる大きな湯船に浸かって体を温める種類の風呂であった。江戸の湯屋とそう変わらぬ。久しぶりの湯である。大いに寛いだ。
……期待していたのだが、……一人っきりの風呂であった。
少し早かった模様。
お、おのれっ! 女人が入ってることを確かめてから入れば良かった! 己の迂闊さを呪うべし!
早めの風呂だったので湯が熱かった。これだけでも良しとしよう。
話戻して、……なんでもこのイセカイ、水が豊富らしいので、どこの町でも湯屋があるらしい。
正直助かる。
「なあミウラ、オッパイはどうやって洗うんだ?」
『そこをこうしてああしてナニするんです。お股は前から後ろへ洗うのが決まりですからね』
うむ、女子の流儀はなかなか複雑である。
旅の垢を落とし、さっぱりとなったが、ちょっぴり寂しい。
「あれイオタさん、耳が萎れてますが、どうかなさいました?」
看板娘が気を使って声を掛けてくれた。
「いや、何でも無い。気にするな。そして拙者の頭を撫でるな!」
この心を埋めるには、看板娘との入浴だけである!
……とても声に出して言えないが。……某の意気地無し!
部屋へ戻って一休み。
『旦那、明日の試験でご相談が……』
おっ! 軍師ミウラが顔を覗かせたぞ!
『このままですと、無難にCクラスに落ち着いてしまいます』
Cは……上から三つめで、評価ただの「凄い人」であるな。
『我に策有り。どこか人気の無い場所で秘密特訓しましょう!』
秘密特訓? 心躍る言霊である!
看板娘に適切な場所を聞き出し、宿を出る。
「ネコの集会ですか? 門限は午後の鐘5ツですよー! 道に迷ったら『銀の森亭』はどこですか? って人に聞くんですよー! 知らない人について行っちゃだめですよー!」
「集会ではござらぬ! 地理の心配は要らぬでござる! 某は大人でござる! 門限に間に合わなければ戸を閉めて寝てもらってかまわぬ!」
「あ、2階の窓開けとけば入ってこれるよね?」
「拙者、ネコではござらぬ! ネコだけどっ!」
こうして宿を後にして某らは、夜が更けるまで原っぱで試験対策秘密特訓を繰り返したのであった。