6.少年タキ 3-2
「小松林の親分さん、動けるでござるか?」
「なっ! ばっ! バカにしてんじゃねぇ!」
赤い顔をした親分さんがガラガラ声で怒鳴った。
「それだけ声が出れば大丈夫でござるな」
「何を偉そうに! 俺が誰だか――」
「おや、大きいのが来たでござるよ?」
焚き火の向こう。焚き火に照らされた大きな顔がヌッと――
こいつがボスだ! 家くらいの大きな夜光狼が、俺たち人間を見下していた。
「うへぇ」
親分さんの腰が砕けた。ぺたんと尻を落とした。
俺も父ちゃんも、気がつけば、尻を地面に付けていた。
イオタさんはボス狼を見上げている。
「またこれは立派な!」
イオタさん、そこは感心する所じゃないですよ。
「夜光狼王、ゼノ!」
親分さん、物知りですね。
ゼノが小舟ほどの大きな前足を振り上げる。俺たちを踏みつぶすつもりだ!
ゼノの口が開く。笑ってるように。
鼻面がすぐそこだ。目が爛々と燃えている。頭の上の耳がそばだってる。イオタさんが耳の間に立って笑ってる。
イオタさんが耳の間に立って笑ってる?
え? イオタさん? いつの間にそんなところへ?
あ、ゼノが気づいた! 気のせいかな? 焦った目をしている?
「ふんす!」
気合いと共にイオタさんが刀を振るう。
危険を感じたのだろう。激しく首を振ってイオタさんを振り落とす。
ゼノの額から鼻先にかけ、一直線に赤い筋が入り、血が吹き上がった!
「浅かった!」
普通に着地したイオタさん。残念そう。
またイオタさんが消えた。この人どんだけ速く動けるんだ!
ゼノが大きくのけぞる。後ろ足で立ち上がった。ゼノの胸元がまた赤く染まる。
「ウォオオオーン!」
一声鳴いて、後ろ飛び。でっかい尻尾をこちらに向けて……あ、またイオタさんが切った。
お尻を切られたようだが、振り返らずに走っていく。
残り少なくなった夜光狼が後に続く。さっきの一声は逃げろって合図だったのか!
イオタさんほぼ一人の力で恐ろしい夜光狼の群れを撃退した。あと、小松林の親分さんも現場にいて、避難誘導してたっけ?
「皆の者、大丈夫でござるか?」
イオタさん!
刀に付いたゼノの血を振り払い、刀を掌で一回転させてから鞘に入れた。
うっわ! 格好いー!
『ミャーン』
ミウラちゃんが俺の足下で鳴いている。何か言ってるっぽい。でも俺を見上げる顔が可愛いー!
「くっ! 助かったぜイオタさん!」
親分さんだ。
肩をさすってる。転がったときに打ったんだ。
「礼には及ばぬ。拙者、タネラの一住民として当然の事したまで」
一住民でこんなコトできる人は居ません。イオタさん、ここへ来る前に何やってたんだろう?
親分さんが大声を出した。
「今のゼノは手負いだから気が立ってる。山の衆はほとぼりが冷めるまでこの町にいろ。ゼノもしばらくは温和しくしてくれるだろう!」
そうだね。夜光狼の群れが減ったことだし、ゼノも怪我したことだし。しばらく安全な日が過ごせる。
「いや、ここは追撃の一手でござる」
「え?」
小松林の親分さんも、間抜けな声を出せるんだ。
「数を減らし、王が弱ってる今こそよき機会でござる。殺せなくとも今一度手痛い目に遭わせ、人間は恐ろしい生き物だと思わせねば、これからも襲撃を受け続ける事でござろう」
「そ、それは……確かに……」
親分さんが尻込みする所を初めて見た。
「装備を調え、明日、日の出と共に追撃を開始。目にもの見せてくれるでござる。山の方々は道案内の人数を出して頂きたい。なに、安全な所までで良いのでござるよ!」
にっこり笑うイオタさん。すごく可愛い。話の内容は血なまぐさいけど。
「殺伐とした件は拙者と、希望者で……」
手を上げる者どころか、一歩も二歩も下がる皆さん。
「俺、行きます!」
「止めろタキ!」
俺が手を上げた! 父ちゃんに止められたけど!
誰も行かないなら俺が行く!
「タキか? その意気は嬉しいが、子どもは却下でござる」
「あうー」
俺、そこそこ良いと見せられると思うんだけどなー。
「確かに危ないのでござる。危ない所に素人を連れて行けないでござる」
チラリと親分さんを見る。
「拙者だけで――」
「バカヤロウ! 俺も行くに決まってんだろ! 俺を誰だと思ってやがる! 泣く子も黙る小松林のアソピタス親分たー俺のこってぇ!」
「……期待しておる。矢を扱える者がおれば都合して頂きたい」
「おう! 任せとけ! それから町の衆! 頼りにならねぇ護民官に代わって、この小松林のアソピオスが出たからにゃもう安心だぜ! 大船に乗ったつもりで昼寝でもしておくんな!」
青い顔してるけど、戦争前の武者震い的なアレなんだよね?
その場はそこで解散となって、みんな家に帰った。
イオタさんも帰った。俺も帰った。
でも眠れなかった。興奮してて、明日のことが心配で、夜光狼のことも心配で。全然眠れなかった。
翌朝、東の空が白み始めるまえ。こっそり家を抜け出した。
夕べの焚き火はまだ燃えていた。護民官の人達が火を見てくれていた。やっと出てきたんだ。遅いよ。
ぼちぼちと人が集まってきた。
山の案内役っぽい人。目の下を黒くした小松林の親分さん。そしてその子分さんが10人ほど。護民官の人も10人。大勢だ。
みんな、夕べは眠れなかったんだろう。顔色が悪い。
「遅くなって申し訳ない! 寝坊いたした!」
イオタさんだ。すっごい元気。この人、あの騒ぎの後、寝てたんだ!
「ニャオン!」
足下にミウラちゃん。俺に挨拶してくれた。
「にゃごにゃご」
イオタさんがミウラちゃんに話しかけてる。ネコ語なんだろうか?
イオタさんは足元を固く纏めていた。
腰に大きいのと小さいのと、2本も刀を差している。
腕にも防具らしいのを付けていた。ずいぶん手慣れてるみたい。
「集まったでござるか? 各々方、装備や食糧は揃えたか? 案内役の方はどなたでござるかな?」
シワシワの爺さんと、俺と同じくらいの子供が出てきた。
「ワシとこの子じゃ。ワシが一番山に詳しい。ゼノが潜んでいそうな場所も心当たりがある」
「ずいぶんとお年を召しているようでござるが、大丈夫でござろうか?」
「ハッハッハッ! これは手厳しい!」
顔全体で笑うお爺さん。
急に怖い顔になった。
「猟師の足腰を嘗めてもらっては困るのう。それと、充分生きたから、万が一の時は見捨てて頂いて結構! ワシらの土地の災難じゃ。ワシらが命かけんでどうする? カッカッカッ!」
最後は笑った。この爺さん、動きがキビキビしてる。
「気に入ったでござる。この件さっさとかたづけ、皆で温泉に浸かるとしよう。では参ろうか」
イオタさんは、案内人を従え山へ向かって歩き出した。
「バカヤロウ! てめぇ勝手に頭とってんじゃねぇぞこら!」
「バカはどちらだ! 護民官が指揮をとる!」
「大事なときに間に合わなかったヤツが偉そうな口きいてんじゃねえよ!」
親分さんや護民官達が、主導権を奪い合いながらイオタさんの後に付いていく。
「温泉が楽しみでござる」
イオタさんはどこ知らぬ風で先頭を歩いていた。