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第二章 輪廻草と大樹の蜜 その三

 樹齢数百年は、下らないひのきと杉が群生する森の中心にある一本の大木が雲を貫いている。

 厳密に言えば、これは木ではない。

 夥しい量の蔦が生命を持っているかのように蠢き、絡み合い、天を目指して伸びているのだ。

 蔦の太さは、様々で、糸のように繊細な物もあれば、周囲の木々の幹より太い物まで。

 これが億か、あるいは兆の単位が交わり、遠方から眺めると、一つの木を成して、見える。

 紬は、絡み合う蔦の足元から頂上を眺めようと目も凝らすが、精霊と化した視力でさえ、頂を見る事は叶わなかった。


「ヒスイ様、これは?」

「塔と呼ばれている」

「塔?」

「依頼者は、上に住んでいてね。頂上へ上らねばならない」


 ヒスイが一歩踏み出すと、蔦の中でも特に太い一本が、ヒスイの前に項垂れてくる。

 紬の手を引き、蔦の上に乗ると、また別の蔦が天を目指す流れから離れ、ヒスイの前に下りてきた。


「俺から離れないように」

「離れると?」

「試してみるかい?」

「意地の悪い言い方をなさります」


 わざとらしく頬を膨らませると、ヒスイは、悪びれた様子もなく、頭を軽く叩くように撫でてくる。


「木に逆らわなければ大丈夫さね。身を任せればいい」


 蔦のいずれかが下りてくるまで待ち、下りてきた蔦に上ってまた次を待つ。

 それを繰り返していくが、次の蔦が下りてくるまで数秒の時もあれば、十分以上も待たせる時があった。

 紬は、ヒスイの言いつけを守り、焦れを押し殺して耐え、頂上に辿り着いたのは、日が沈みかけたころである。


 頂上の広さは、二十畳ほどであり、羽毛のように柔い蔦が幾重にも絡み合い、床板のように均されていた。

 中央には、革張りの椅子が置かれ、そこに一人の女が座している。

 一見すると人のようであるが、肌の色は、半紙のように白い。

 一糸纏っていないが、蜥蜴の尾に、犬の冬毛のような毛がびっしりと生えそろい、服代わりであるのか、身体に巻き付けている。

 顔は、蒼く隈取されており、カラスに似た瞳が黒く光っていた。

 その面立ちは、少女のように瑞々しく、けれど老婆のような年季を感じさせ、特有の色が香っており、紬の背筋を熱が撫でていく。


「ひさしゅう、ヒスイ」

「久しいな、秋雨」


 秋雨と呼ばれた精霊は、青い紅を差した口元に小さな笑みを咲かせた。


「変わらず、美しい目をしておるな。輝きは、いささかも衰えてはおらぬ」


 月でも愛でるように、ヒスイを眺めた後、秋雨は、紬を眼に映して微笑みかけた。


「そちらは、精霊成りか。今回の当番は、お前さんかい?」

「まぁ、そうさね」

「過酷だな」


 小さく声を漏らしてから秋雨は、視線をヒスイに戻した。


密蜂みつばちが散っていったのが見えたが、あれは、お前さまかい?」

「威嚇で撃ったら散っちまったよ」

「では、あの浅ましを見たかね?」

「一通りは。元締めのシュウという男が、紫電樹に居るそうな」

「間違いないかね?」

「他に心当たりでもあるのか?」

「いくつか、居場所の候補があったのさ。紫電樹も、その内の一つ。なるほどね、あそこに居ったのか……」


 紬が理解する間も与えられず、ヒスイと秋雨の会話は、するすると進んでいく。

 人狩りと依頼者の話に、単なる同行者の立場である紬が口を挟むべきではないかもしれない。

 しかし、精霊成りとなったからこそ、あの場で精霊たちに何が起きていたのか、きちんと理解したい思いがあった。


「あの――」


 遠慮がちに声を割り込ませると、秋雨は、穏やかに破顔した。


「お嬢さん、なんだい?」

「あそこは、一体なんなんですか?」


 紬の問いに、秋雨は、口を噤んでしまった。

 気分を害した、というより、言葉を選んでいるという風である。


「精霊を捕え、人に奉仕させるのさ。どういう奉仕かは、まぁあんたの年頃なら、分かるはずだ」


 もしも、ヒスイが助けにきてくれなかったら?

 想像するのも悍ましい行為をさせられていたはずだ。

 精霊には、人は、狩れない。

 理に付け込んだ悪辣あくらつな行いだ。


「どうして人は、そんな酷い事が出来るんでしょうか?」

「さぁね」


 きっと秋雨は、答えを知っている。

 だが、紬が理解出来る言葉にする術を知らないのだろう。

 はぐらかした秋雨は、自身の尾の先端を指で弄びながら続けた。


「連中は、密蜂を使って精霊を閉じ込める。あれは、精霊には真の夜闇だが、人の目にはほとんど映らん。だから精霊は身動きが取れんが、人は難儀せず動けるのさ」

「密蜂とは?」

「夜の闇に、大樹が持つ樹液を注入すると出来る代物だよ」


 秋雨の説明を咀嚼出来ず、紬が眉間に皺を寄せると、代わってヒスイが語り始めた。


「熱して霧状にした樹液を十日間、夜間、同じ場所に吹き付ける。すると樹液に、夜の闇が浸透して、生き物が出来上がるんだ。作る事は、禁じられているんだがね」

「では、輪廻草とは?」

「大樹が生じた以後生まれた植物で、精神を円環に捉える。あれの種子や花粉に触れた生物は、体内や毛や衣服に輪廻草のそれらがある限り、何日も同じ行動を強制的に取らされるのさね」

「同じ行動を?」

「あれの繁殖力は、弱くてな。生育に適した太陽の当たらぬ場所に、幾度も種をまかねばならん。種を運ぶ生物に同じ場所へ幾度も種を撒かせるため、進化したのさ」

「幾度もとは、どれほどの?」

「数百か、そこらかね」

「数百も? 数百回も撒いてようやくですか?」

「ああ。だから普通は、精霊を頼らないと繁殖出来ない。人の代謝は、早すぎて、すぐ輪廻草が体外に出てしまうし、着替えもし、風呂にも入るからな」


 ヒスイが一旦言葉を切ると、今度は秋雨が口を開いた。


「精霊の場合、輪廻草の影響を濃く受けるのさ」

「何故精霊が強く受けるのです?」

「精霊に頼らんと生きていけんからね。より精霊に的を絞って進化したのさ。だから密蜂と併用されたら、精霊は、あの場から出る事は叶わないんだよ」


 紬が両名からの解説を頷きながら整理していると、ヒスイは、眼光を研ぎ澄ませた。


「俺は、紫電樹に行く。終わったら連絡する」

「期待しないで待ってるさ」

「謝礼は、貰いたいんでね。報告は、ちゃんとするさね」


 ヒスイは、紬の思考整理が終わるのを待ってから塔を居り、その足で紫電樹へと向かった。

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