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第三章 燻りの森 その一

 紬がヒスイと共に訪れたのは、恐らく森である。

 恐らくとしか表現出来ないのは、尋常の森ではないからだ。

 木々のいずれも大木と行ってよいほど背が高いのだが、どの木にも葉が一枚として付いておらず、枝も樹皮も赤黒く燻っていた。

 しかし不思議と暑くはなく、むしろ心地の良い涼風が髪を撫でてくれる。

 地面には、草の一本も生えておらず、灰が積もるばかりで、周囲の大気は、煤と灰と煙の臭いに支配されていた。


「ここは?」


 紬が問うと、ヒスイは、足並みを止めずに答えた。


「燻りの森という」

「山火事でもあったのですか?」

「ここは、寿命を間近に迎えた大樹が訪れる場の一つだ」

「大樹の?」

「死期を悟った大樹の根が渡って来るのさ。残った生命力を炎に代える。これはそういう在り様の大樹が住まう場所」


 ヒスイの解説を、紬は、租借し切れていなかった。

 普通の木々は、枯れるばかりで燃えはしない。

 そもそも普通の生き物は、何であれ炎を出せはしないだろう。

 何故終わりの時、燃え尽きるのか。

 どうしてこの場に渡ってくるのか。

 次々に疑問が浮かんでくるが、全てをぶつけてはヒスイを困らせると思い、紬は一番の気がかりを尋ねた。


「大樹の最後は、皆燃え尽きるのですか?」

「違うさ。終わり方の一つに過ぎん」

「一つ? 他にもあるのですか?」

「死して屍が朽ちるのが生き物の終わり方の常だが、大樹は違う」


 ヒスイは、立ち止まると足元の灰をすくい上げ、一つ息を吹きかける。

 細かい灰色の粒子が宙を舞い、時折、日差しを反射し、鈍い光を放った。


「ある物は、他の木々と同じように朽ちもする。ある物は、燃え盛り、灰となって土に変じ、また別の物は、凍て付き、やがて大気へ溶けていく」


 掌に付いた灰を払い落とし、ヒスイは続けた。


「何故そのような終わり方をするのか、人は解明出来ていない。だからこそ人は、大樹を祀るのさ」


 紬にとって、未知は恐怖だ。

 今でも大樹の底の知れない生態に好奇心より、恐れが勝っている。

 けれどヒスイにあるのは、隣人に向ける親しみだった。


「大樹が万物の理の根幹となったのは、神秘だからだ。人の叡智に解き明かせぬからこそだ」

「私は、分からない事は怖いです。おかしいのでしょうか?」

「当たり前だ。俺も怖いよ」

「うそです。とてもそうは見えません。なんだか、ヒスイ様は楽しそうです」

「人は、未知という物を畏怖もするが、何よりも好もしくて、愛おしくてたまらぬもんさね」

「そうでしょうか……」


 自分の感覚がおかしいのだろうか?

 紬が肩を落とすと、ヒスイは中腰になって、紬と目線を合わせてくる。


「以前、神あるいは、神々と呼ばれた存在は、目に見えなかった」

「神さまですか?」

「人の目には、見えぬ故、様々な解釈で信仰されたのだろう」


 現在の大和では、神への信仰は失われている。

 以前は、無数の信仰があったと言われているが、詳しい資料は、残されていない。

 文明が幾つも終わり続けるうちに、失われてしまったのだろうとする学者の解説を紬は、本で読んだ事があった。

 そして、神話が存在していた頃、大樹は存在していなかったのだとも。


「奇跡が形を成して眼前に横たわったら? あるいは、語り継がれた奇跡に限りなく寄り添う所業が現実となれば――」


 文明が移り変わっても、人の根幹は、決して変わらない。

 故に人は求めるのだ。

 よりどころとなる物を。


「すなわち世の理の根幹となる」


 全てを失った人類の前に姿を見せた大樹と言う存在に、人は縋る事に決めたのだろう。

 縋らねば生きてはゆけないと、本能が知っていたから。


「俺達が住んでいる世界は、大樹の存在により、過去とは一線を画している。だが、古来大和の思想では、神は万物に宿るそうな。故に大樹は、世の理となったのさ」


 人が、何故大樹に寄り添うのかを、ヒスイは教えてくれる。

 けれど紬の知りたかった肝心の部分に、ヒスイは触れていない。


「なぜこのように終わるのか、分かりはしないのですね」

「分かった所で市井の民の暮らしが変じる事はない。だが知りたいと思う事は悪じゃない。好奇心は、人を人足らしめている。抱けぬ時、もはや人ですらなくなる」

「なんになるのですか?」


 途端、ヒスイは、途端に頬を緩めて、覇気のない声を上げた。


「さぁ。俺も答えを知りたいね」


 どうにもヒスイは、人を煙に巻いて楽しむ癖があるらしい。

 紬の頬は、ヒスイとは対照的にパンパンに膨らんでいった。


「ヒスイ様は、世の理を聡く見抜いているようで、時折適当を混ぜますね」

「心外だな。俺は、いつでも真面目さね」

「ほら。またそうやって!」

「すまん、すまん」


 紬のへそが曲がる度、ヒスイが上機嫌になっていく。

 紬が苛立ち任せに、ヒスイに先んじて歩いていると、見覚えのある赤が足を止めさせた。

 輪廻草の赤である。

 灰ばかりの土の中、燃え盛るが如く咲き誇る様は、自身がこの森の主であると主張しているようだった。


「あんなにたくさん。精霊たちを閉じ込めていた場所よりも多いです」

「ここまで大量に自生する事はあり得んね」

「人為的だと?」

「無論」


 ヒスイは、しゃがみ込み、一本の輪廻草を引き抜いた。


「触ったら危ないんじゃ……」

「これは、まだ蕾だよ。花が開いていなきゃ大丈夫さね」


 根の主根は、ヒスイの前腕ほども、側根ですら親指よりも膨らんでおり、根毛が大人の掌でも余る程の灰と土を纏っていた。

 貧相な花や茎とは、比較にならない力強さを誇っている。


「とんでもないね、こりゃ」

「輪廻草って繁殖力が弱いと、土竜さんが教えてくれたんですが」

「大樹の遺骸の灰が累積した土だ。栄養価は、人の常識の域ではない」

「そっか。これは全部……」


 世の根幹を成す存在の遺骸。

 灰となって尚、尋常を凌駕する影響を残し続ける。


「村に持って帰りたいな」


 この灰があれば、どれほど作物が育つのだろう。

 遅れ米に頼らねばならない歪な生き方を止められるかもしれない。

 数十年に一度の奇跡を待望し続けるだけの日々が終わるのなら、それは得難い幸福のはずだ。


「でも、私の願いは、きっと人の身勝手ですよね」

「そうでもないさね。紬の故郷も、古い資料によれば、ここのような土地だったのさ」

「私の村が?」

「行き場をなくした人々が、あの地に辿り着き、憐れに思った大樹が土地を明け渡したそうだ」

「何故行き場をなくしたのでしょうか?」


 何か悪い事をしたのだろうか?

 それとも悪い人に追われたのだろうか?

 初めて聞く故郷の始まりの物語は、紬の興味を引き付けたが、


「さぁ、俺も知らんのだ。資料にも書いていなかった」


 申し訳なさそうにヒスイは言うと、気まずさを拭うように咳払いを一つした。


「俺が知っているのは、あの土地に大樹の灰が眠り、それが目に見えないほど小さい微細な精霊を寄り集めるという事だ」

「どれほど小さいのですか?」

「眼前を漂っていても見えぬほどさね。菌や微生物の亡骸が大樹に取り込まれ、精霊化したもので、菌類との最大の違いは、彼等が人や獣に匹敵する意思と知恵を持つ事だ」

「私たちと同じに考え、同じに思うという事ですか?」

「そうだ」

「例えば誰かを愛おしく思ったりとか」

「するね」

「誰かに苛立ちを覚えたりとか」

「もちろん」

「目に見えないほど小さいのに?」

「ああ。そして土や、大気、場合によっては、生き物の体内を選んで、彼等は住みつく」

「住みつかれた生き物に、影響はないのですか?」

「むしろ良い事の方が多い。精霊が住むという事は、実に優れた身体の持ち主という事だ。生命力に富み、意志も強い」


 饒舌な語り口だったヒスイの表情に、突如陰りが差した。


「だが、あまりに波長が合いすぎて、精霊との共生関係が崩れる場合がある」

「波長ですか?」

「相性とも言うべきかな」

「崩れると、どうなるのですか?」

「相性が良過ぎて、互いの存在の境が無くなってしまうのさ。そうなると――」

「私のようになる?」


 互いの存在の境が無くなるとは、混じり合い、一つとなる事。

 シュウの意識に取りつかれ、肉体を奪われた我霊とは違い、共にあるうちに混ざり合ってしまった者を、


「精霊成りと呼ぶのですね」


 紬は、昔から病気どころか、風邪の一つもひいた事がない。

 精霊が体内に住んでいる事で、悪い細菌から紬を守ってくれていたのだろう。

 紬にとって、守り神に等しい存在であったはずなのに、今では両親や故郷と共に居られない試練を与えてくる。


「遅れ米の発生時、村の土地に住む精霊の活動が活発化する。彼等の気配にあてられて、紬の中の精霊も活性化してしまったんだ。そして溶け合ってしまった」

「溶けて、消えた?」

「精霊が悪いわけでも、ましてお前さんが悪いわけでもない。自然の節理の一つに過ぎん」


 ヒスイは、紬から視線を外し、ばつが悪そうに、右の人差し指で頬を掻いた。


「と言うのは、簡単だがね。容易く我が身の理不尽を納得出来んだろう」


 ヒスイの想いとは対照的に、紬は、理不尽に憤っていなかった。


「私の中に居た精霊さんは、怒っていないでしょうか?」


 紬が想うのは、溶けてしまった精霊たちの事だ。

 直接声を交わしたわけでも、顔を合わせたわけでもない。

 けれど十数年を共にした彼等が、消え失せても紬の自意識は変わらない。


「彼等は、私に溶けてしまったけれど、私の意志は、以前と変わりません」


 紬は、紬のままである。

 身体も、意識も、紬に溶けてしまった精霊たちとは違う。

 見た目が少々変じはしたが、それ以外に大きな変化があったわけではない。

 まるで、精霊たちの力だけ、奪ってしまったような感覚にさせられた。


「私が奪ってしまったのでしょうか?」


 紬を捕える不安を拭うようにヒスイは、紬の頭を撫でた。


「彼等は、自然の理と思っているよ。むしろお前に申し訳なさを抱いたかもしれん」

「何故?」

「自然の理ではあっても、人の理を外れる事に変わりはない。過酷である事に変わりはない」


 精霊たちは、時として、人間に手酷い仕打ちを受けている。

 黄金のために殺しを厭わない青年。

 自らの美貌のために、精霊を利用した男。

 しかし精霊たちは、いずれも自らのために人狩りを呼んだわけではない。

 彼等が人にも危害を加えるからこそ、引き金を引くよう、ヒスイに懇願したのである。

 どうして精霊たちは、人をこれほど愛せるのだろう。


「大丈夫です」


 その答えを、紬は悟っていた。

 紬は、最早人ではない。

 人でない故、精霊故、人を好もしく思う彼等の気持ちに寄り添える。


「ヒスイ様が隣に居てくださいます」


 人を狩り、金を得る仕事。

 きっと今より以前の文明では、浅ましと罵られたであろう生業。


「寂しくないとは言いません。父と母に会いたい事もあります」


 そんな男が愛おしい。

 人を狩り、人を愛するヒスイと言う男の矛盾が。


「でも、寂しいと思い、隣を見るとヒスイ様がいらっしゃいます」


 命を尊ぶ心持が。


「それだけで私の寂しさは、どこかへ行ってしまうのです」


 自分を連れて行くのがヒスイで良かった。

 彼が罪人に死を与える姿を見続けても、その想いは消えるどころか、増していくばかりだ。


「辛くないとは言いません。でもあなたが思うほど辛くはなく、楽しい事もあります」

「人を狩る様を見つめる事は、辛かろう」


 紬は、答えなかった。

 答えない方がヒスイに、自分の気持ちが届くと思えたから。


「そうだな」


 ヒスイも察したのだろう。


「俺も、一人旅の侘しさは紛れる。楽しいよ。だが、同時にお前を村に帰してやりたいとばかり考えている。すまんな。理などと言い聞かせても、やはり理不尽である事に違いはない」


 言い終えるとヒスイは、いつもの飄々とした雰囲気を取り戻していた。


「行こうか」


 紬がヒスイの後を着いて、輪廻草を掻き分けてしばらく歩いていると、小屋が一件、ぽつりと佇んでいるのを見つけた。

 屋根には、雪のように灰が積もっており、時折落ちてきては、小さな噴煙を上げている。

 住まいというより、物置と呼ぶ方が適切な風情だ。

 人が三人も入れば、手狭に感じるだろう。


「こんなところに?」

「あれだな」

「あれとは?」

「耳を澄ましてみな」

「はい」


 紬の鼓膜を微かに揺らす音がある。

 自分の息遣いではない。

 ヒスイの声でもない。

 灰を踏み締める音でも、古びた小屋の家鳴りでも。

 間もなく尽きる大樹の命が燃える音でもない。

 誰かを呼ぶ泣き声だった。

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