ネクロマンサーだけど想い人(死体)が隣に居てくれたので幸せでした。
「君は……、なんて美しいんだ……」
村全体が炎に覆われ、至るところに村人と野盗の無残な死体が転がっている中、僕はとある結婚式会場の教会にて1人の死体を前に涙を流していた。
純白のウエディングドレスに強烈な彩りを加える真っ赤な鮮血。きめ細やかな肌に宝石を散りばめたが如く綺麗なブロンドの髪。
2度と開かれることは無いであろう瞼の奥にはきっと、大海を思わせるあの深く飲み込まれそうな蒼い瞳が眠っているはずだ。
隣で血を流し倒れている新郎になど目もくれず、僕は彼女の体をそっと抱き上げた。腕の中で息絶えている彼女を見て、僕は子供の頃に芽生えた感情が何なのか初めて理解した。
口端から血を流す彼女の唇に、ゆっくりと自分の唇を重ねる。
永遠にも感じる口づけ。
互いの唇が離れ、静かに彼女の頬に触れた。
「僕は、君を愛している。クレア――」
♦♢♦♢
子供の頃の僕にとって、彼女の存在は不可解そのものであった。
村1番の貴族であった父と母が野盗に殺され、莫大な資産と屋敷だけが幼かった僕の手元に残った。僕の一族はかつて死刑執行人を務めていたこともあり、村中の人間からは不気味がられ忌み嫌われていた。
当然、1人残された幼い僕を助けてくれる人間などいない。
病的なまでに白い肌、目の下に出来た異様に濃い隈。伸びきった黒髪は整えることもしない、そんな僕に好意を寄せる人間など客観的に考えているはずないだろう。
村はずれの巨大な屋敷に1人で引きこもり、『黒魔術』に傾倒していく幼い僕を当時の村人たちは酷く醜い存在として扱った。
「気持ち悪い」
「村から早く出ていけ、悪魔め」
「親と一緒に死ねば良かったのに」
両親という守ってくれる存在が消え身寄りのない僕の耳に飛び込んでくるのは、何時だって罵倒の言葉であった。
だがそれでも僕は構わなかったのだ。王都では禁忌とされる『黒魔術』、その魅力に取りつかれ幼い情熱の全てを捧げていた僕にとって、村中から浴びせられる罵倒はとても些細で粗末なものでしか無かった。
それゆえに、彼女の言葉だけは異質なものとして僕の心をかき乱す。
「またイジメられたのね」
村はずれの丘にて、殴る蹴るの暴行を受け命からがら逃げてきた僕の元に、彼女はひょっこりと姿を現した。
白いワンピースに人懐こそうな笑顔、太陽の光に照らされキラキラと光るブロンドの髪の下には深い蒼の瞳が僕を見つめている。
「……だれ?」
「わたしはクレア!」
齢5歳くらいの年齢である彼女は、同い年の僕が手に持っていた本に興味を示すと一切の躊躇なく隣に座った。
「その本はなにかしら? 絵本?」
「……違うよ。これは『黒魔術』の事が書かれてる魔導書なんだ」
「あら、だから村の大人たちが騒いでいたのね。だって黒魔術は良くないものだって、村長が言っていたもの」
無論、『黒魔術』が禁忌とされていた事は幼かった僕でも知っていた。だからこそ、彼女の言葉に僕は黙ることしか出来なかった。
「でも、わたしは素敵だと思うわ」
「……え?」
予想外の言葉、感情の起伏が乏しい僕が驚きの声をあげた。
「あなたが一生懸命その本を読んでいたの、わたし遠くからよく見ていたもの。一生懸命になれるって素敵なことだわ」
「……それが禁忌だとしても?」
「きんき? 難しい言葉を知っているのね! 私の知らない言葉、あなたはとっても頭が良いわ!」
楽しそうに笑顔を浮かべる彼女。両親以外の人間から向けられる初めての笑顔に、僕はとっさに目をそらしてしまう。
「きんきってどういう意味かしら?」
「……やったらダメな悪いことって意味だよ」
「あら、それならきっと大丈夫。だってあなたは悪い人じゃないもの!」
純粋かつ優しい言葉。禁忌の意味を理解できていない彼女にとって、判断基準は僕が悪い人間かそうでは無いか。
そして彼女は僕が悪い人間ではないと判断した。村中から嫌われていた僕を肯定する幼い言葉。
「あなたはきっと、絵本に出てくるような素敵な魔法使いになるわ! 大人になったら魔法のドレスをわたしに作ってくれるかしら? それを着てお城の舞踏会に行くの!」
「舞踏会?」
「絵本に描いてあったの、お姫様はお城の舞踏会で王子様と踊るのよ! わたしはお姫様じゃないけれど、あなたのドレスを着ればきっと大丈夫だわ!」
うっとりと夢を語る彼女は、下げていた鞄から一冊の絵本を取り出した。僕の持っている禍々しい魔導書とは対照的に、明るく年相応の絵本が僕の前に差し出された。
「ほら、ここを見て? 王子様と魔法のドレスを着たお姫様が一緒に踊っているわ。近くには怖い魔物もいるけれど、魔法使いが2人を守ってくれてるの!」
「……この魔法使いが、僕?」
「そう! 大人になったらわたしとあなたは一緒にお城に行くの。そして魔法でわたしを守って! きっとあなたなら出来るわ、約束よ!」
絵本なんてくだらない、あんな幸せなお話は全部作り話に決まってる。幼いながらにそう考えていた僕であったが、屈託の無い彼女の笑顔に自然と言葉が漏れた。
「……うん、約束。僕が君を守るよ」
「ふふっ、あなたはやっぱり素敵な人ね!」
他愛もない幼少の頃の約束。ほんのりと胸を暖かくする感情が理解出来ないまま、僕たちは大人へと成長していった――。
☆
「そろそろ時間、か……」
25の歳を迎え、僕は屋敷にて1人紅茶を口に含むとおしゃれな封筒を手に椅子へと腰掛けた。封筒の中身は手紙と結婚式への招待状。
差出人にはクレアと名前が記されている。
約束をしたあの日以来、僕は村に行くのを避け更に『黒魔術』へと没頭した。恥ずかしい話ではあるが、当時の僕は本気で彼女を守ろうと考えたのだ。
「ふっ。僕がいなくても、君の事を守ってくれる人はいる」
クレアの結婚相手は、王都の騎士団へと所属が決まった村1番の勇気を持つ青年だった。恐らく子供の頃すれ違った事もあるのだろうが、あいにく村の人間はクレア以外名前すら覚えていない。
招待状を眺め、眼の下にある濃い隈をなぞる。
「まさか招待状が届くとは思わなかったよ。僕のことなんてとっくに忘れていると思っていた」
伸びた髪を後ろで縛り結婚式に参加する正装に身を包んでいる僕は、そっと招待状を近くのテーブルの上に置く。
「僕なんかが参加したら結婚式が台無しになってしまう。だがこの屋敷で君の幸せを願うくらいのワガママは、どうか許してほしい」
グラスに注いだ紅茶を片手に、村の方角についた窓へと体を向ける。
「おめでとう、クレア」
紅茶を飲もうとグラスを傾けたその時、僕はある異変に気付いた。村の方角から何やら、黒い煙が上がっているのが見えたのだ。
結婚式のある日に火事とは……。いや、それにしては違和感を覚える。
「……クレア」
たまらず立ち上がり、僕は村へ向かう準備を慌てて整えた。手に持っていたグラスは拍子にガシャンと音を立て床に落下し、薄赤色の液体が広がっていく。
数十年ぶりに戻る村へ近づいていくたびに、僕の心臓の鼓動は早鐘を打ち続ける。明らかに火の手が回り過ぎている。人為的に誰かが火を点けて回らなければ、こうはならないはずだ。
「ハァ……ハァ……。教会は確かこっちの方向だったはずだ」
おぼろげな記憶を頼りに炎に覆われた村を走り続ける。視界の端に村人の死体が転がっているのを捕らえたが、この時の僕には他人の心配をしているほどの心の余裕など存在していなかった。
脳裏に浮かんでいたのは、あの日の丘で出会った幼いクレアの姿だけ。
息を切らしながらたどり着いた教会、そこは正に僕にとって地獄としか言いようが無かった。扉を開いた先、炎により焼け焦げた建物の匂いと顔をしかめたくなるほどの血の匂い。
無骨な野盗が下卑た笑みを浮かべ手に持っていたナイフで、ウエディングドレスを着た1人の女性の腹部を刺していた。
その女性がクレアだと気付くのに、僕は刹那の時間すら必要無かった。
「――ああ、あああ、ああああああッ!!」
感情が言葉に出来ないなんて初めての事であった。
「まだ生き残りが居たのか!?」
僕の叫び声に気付いた野盗たちが全員武器を手に迫ってきた。
この時は怒りに我を忘れ記憶が薄れているものの、『黒魔術』を使って野盗の全てを殺し尽くしたのはその後の奴らの死体の山で察しがついた。
『黒魔術』によって激しく息切れを起こした僕は、教会の長いバージンロードを這うように進みクレアのすぐそばへと近づいた。
彼女の死体を見た瞬間、僕は悲しみより先に美しいと感じてしまった。今まで見てきたどれよりも、間違いなく彼女は美しかった。
冷たくなってしまった彼女と口づけを交わしたのち、ピクリと彼女の指が動く。だがこれはクレアが生き返ったという訳ではない。
死霊術、ネクロマンサー。死者を冒涜する禁断の『黒魔術』、死体を操る背徳的な罪。
この世界において最も最低な行為に手を染めてでも、僕は彼女を偽りでも構わないから蘇らせたかった。そして叶う事なら、彼女と共に歩みたかったのだ。
胸に広がる感情は、あの丘で感じたものと同じくほんのり暖かい。この気持ちが何なのか、僕はこの時初めて気づいた。
――僕はずっと、彼女に恋をしていたのだ。
♦♢♦♢
王都の中央に構える巨大な城。そこで時期国王となる第一王子がいる部屋の一室にて、白い髪の男は息も絶え絶えに壁にもたれ床に座り込んでいた。
白髪の男のすぐ隣にはローブに身を包んだブロンドの髪の女が1人、寄り添う様に座っている。瞼を閉じ、静かに白髪の男の手を優しく握っている。
そんな2人と向かい合う様に王子は立ち尽くしていた。頬に汗を流しながら、腰に差した剣に手をかけつつも鞘から抜こうとはしない。
「い、いま語った話は貴様の過去か? な、なら、そこの女性は……」
震える声で、王子は白髪の男に尋ねる。
「……あぁ、彼女こそクレアだ」
白髪の男は弱々しく隣に座るクレアの頬に触れる。死者の冷たい肌の感触とは裏腹に、白髪の男に操られたクレアの死体は優しい笑みを浮かべた。
「な、なぜ王都の城に侵入するなんて馬鹿な真似をしたんだ? すぐに衛兵が駆けつけてくる。そうしたら、貴様は間違いなく殺されるのだぞ」
「……黒魔術が禁忌とされている理由は、知っているだろうか?」
男の問いに王子は首を横に振る。
「……黒魔術とは、強力な魔術と引き換えに己の命を消費する。僕はクレアを操り続ける為に結婚式の日からの1年間、命を消費し続けてきた」
「1年間ずっとだと……」
「……僕の寿命は尽きかけ、もうじき死ぬだろう」
限界が近づいていたのか、男によって操られているクレアは力なく頭を男の肩へと預けている。互いにうっすらと笑みを浮かべながら寄り添い合う姿を見て、王子は剣から手を放す。
「……クレアに罪は無い。僕が死んだら、彼女の死体は村のレオンという男の墓の隣りに埋葬してもらえないだろうか。彼女が本当に愛した男の墓、だ……」
「貴様の死体はどうする?」
「……僕は墓に入る資格なんて無い。そこらの野山にでも投げ捨ててくれ、魔物が喰い尽くすだろう。……ふっ、禁忌を犯した者に相応しい末路だ」
白髪の男は口から血を流しつつ、震える手でクレアに指を向ける。
「……も、もう持ちそうにない。最後に、これを……」
男が指を軽く振るうと、クレアの着たローブがキラキラと輝きながら消滅し、代わりに見事な装飾が施された青いドレスへと変貌した。
「……王子、質問していいか?」
「な、なんだ?」
「……彼女は、クレアは綺麗だろうか?」
男が振り絞った最後の魔法によって創られた、青いドレス姿のクレアを見て王子はゆっくりと頷いた。
「ああ。彼女は美しい。俺が出会ったどの姫君たちよりもだ」
王子の言葉に、心から嬉しそうに笑みを漏らす白髪の男。
「……そうか。あぁ、良かった。これで……、あの日の……約束を……まもれ…………」
男が息を引き取り、ゆっくりと隣に座っていたクレアの膝の上へと倒れ込んだ。既に死霊術は解かれているはずだが、彼女の手はそっと男の頭を1度撫でると動きを止めた。
同時に王子の部屋の扉が開かれ、慌ただしく衛兵たちがなだれ込んできた。
「王子! ご無事ですか!?」
「……ああ、俺に怪我は無い。それよりも死者を送る準備をしろ。東の村にあるレオンという名の墓の隣りに彼女を埋葬する」
王子はクレアへと視線を向けると、衛兵の1人が白髪の男を指さす。
「この者は?」
「……村の外れに丘があるそうだ。彼の墓はそこに建てよう」
「ですが、この男は王子の身を危険に晒した罪人ですよ? 聞くに黒魔術にも手を染めていたとか」
衛兵の言葉に王子は首を振る。
「死ねば皆、等しく儚い。彼らに最大の敬意を」
――――――――
――――
――
その後王子の指示によってクレアは村へ、男は村はずれの丘に小さな墓が建てられた。
村を見守るように建てられた男の墓の傍らには数十年の時を超え、今なお枯れることの無い一輪の花が咲き誇っている。