46 天使になった男(自称)
咄嗟の判断で船坂はヒップホルスターの拳銃を引き抜いた。
P226の銃口を相手に向けながらも表情だけは満面の笑みを浮かべておく。
尻を丸出しにしていた少女は、あわててそれを隠す。
「て、天使さまだとっ。それは本当か?!」
暗がりの植え込みの中であるから、相手から船坂の顔を確認する事はできなかったろ。
だが船坂の方からはナイトビジョンで相手の表情はバッチリ確認できた。
フード付きのローブを目深に被っていたが、そのフードをガバリと外しながら、目を白黒させた表情がサーマルビジョンにしっかりと浮かんだのだ。
「ああ、少なくともひとは我を守護聖人と呼んでいるのを聞いたことがある」
「しゅ守護聖人、やはり天使さまで間違いないのッ」
ただしそれは邪神の守護聖人ではなく、女神様の守護聖人であるのだが。
そんな事は言わなければ嘘をついている事にはならないという理屈で、船坂は言い逃れする事にした。
するとヘルメットから暗視装置をずらした船坂を、マジマジと覗き込んでくる少女だ。
「て、天使さまがどうしてこの様な薄汚い野営地の中に?」
「それはきみが知る必要のない事だな……」
「しっ失礼しました! もしやこのわらわを迎えに来るため、わざわざお越しになられたのかの?」
ブツブツと何やら呟きながら、眼の前のローブの少女は顔を右に左にと振って周辺を警戒した。
どうやら誰かが近くにいないのかを確認したかったらしい。
ホっと安堵の溜息を聞こえたのを確認したところで、改めて船坂に向き直りこう続けるのだ。
「であれば、邪神さまのお言葉を伝える為、天使さまがお越しになられたのでしょう。ひと目のある所では、まずいかもしれんの。天使さま天使さま。ささっ他の衆目が集まる前に、こちらへお越しなされ」
「う、うむ。すまぬな……」
仰向けになって銃を構えていた船坂に、小柄な少女が手をさし伸ばしたのである。
それにしても妙なキャラ設定を持ち出した彼は、少女を相手にどこまでこの演技を続けられるのか。
内心でヒヤヒヤしたものがあった。すると、
『こ、コウタロウさまが邪教徒のひとりと接触してしまった様ですッ』
『……あの馬鹿、いったい何をやっているのだ。だから筋肉モリモリは嫌いなんだ、まったく世話の焼ける。ど、どうなっているのだ?』
ヘッドセットからは船坂の侵入を誘導していたレムリルたちの声が聞こえてくる。
焦った白銀の騎士シルビアが、どうやらレムリルから双眼鏡を奪い取ったのかも知れない。
今度はようじょスナイパーの悲鳴めいた声が聞こえてくる。
『あっ。コウタロウさまは、フードを脱いだ女のひとと、だっこしていますっ』
『だ、ダッコだと?! 本当だ。あの筋肉モリモリめ、いったい何を始めるつもりなのだ』
『ここからだと、コウタロウさまと女の体が被さって狙撃するのが難しいですねー』
『そんな事は見ていればわかる! ああこら、コウタロウどこに行くのだ!』
騒がしいヘッドセットから漏れ聞こえる声に、船坂は顔をしかめた。
訝し気な表情で眼の前の少女が見上げてくるからだ。
「天使さま、どうなされたのだ……?」
「い、いや何でもないでござる、気にする必要はない」
口から飛び出たござる口調に、船坂自身が驚きながらも指摘をする。
「それよりきみはおしっこをしなくていいのか?」
「そ、そうであたの。先に天使どのをわらわの天幕にお連れする故、お待ち願いまいか」
「わかった。では案内してもらおうか」
「おほほ、わらわの天幕はこちらだ。ささこちらへ天使さま」
ローブの少女に手を引かれた船坂は、そのまま誘われるままに天幕の方へ向かう。
途中でキョロキョロと周囲を見回しながら、彼女は「こちらだの。静かに……」などと邪教徒の野営地にありながら、抜き足差し足進むではないか。
「わらわは常々、信徒どもに囲まれて不自由な生活をしておったのでな。天使さまともなると、この気持ちお分かりいただけるであろう」
「まあ、当然だな」
「さすがに天使さまがこの陣中で見つかってしまえば、上へ下への大騒ぎ。すぐにもわらわと同じ立場になってしまう。それはわらわとしても忍びない……」
どうぞ中へ。
天幕の入口をぺろりとめくった少女は、静かに船坂の背中を押しこむ。
「では、わらわはお言葉に甘えてお花摘みにいってくるでの。天使さまは、ゆるゆるそこでおくつろぎくだされい……」
「ゆっくりな……」
首だけを天幕に突っ込んだローブ少女は、そんな言葉を残して入口の幕を締めた。
どういうわけか案外疑われる事も無くここまで来たのはいいのだが、さてこの先をどうしたものか。
「こちらコウタロウ、レムリル聞こえるか……」
『聞こえますよーコウタロウさまっ。そちらはどうなっていますか? 途中でテントの陰に入って見えなくなったけれど、捕まっちゃったりしましたか?!』
「大丈夫だ。咄嗟の事だったので、俺が天使だと名乗ったら、邪神の遣わした守護聖人と勘違いして司祭らしい女の子に匿われた」
『天使に司祭だと?! ふむ、どういうことだ……』
「とにかく今は彼女がトイレに行っているので、連絡が出来るのは今の間だけだ」
本部の近くに潜入して奇襲タイミングを待つのが作戦予定だったが、これでは行動ができない。
逃げ出すにも、ここで姿を消しては「やっぱり不審人物だった」という事をバラしてしまうので不用意な事はできないのである。
「しばらく様子を見て、隙がある様なら囚われの生贄をタイミングに合わせて救出する事にしよう」
『コウタロウさまー。生贄のひとが捕まっているのは、そのテントの付近から少し南に下ったあたりですよう。目印は資材置き場と、陣中なのに見張りが常時立っている事ですっ』
「わかったそれが目印だな。……おっと、通話をいったん切るッ」
どうやら司祭の少女が戻って来た様だと、船坂はあわてて通信を切った。
耳元では「おいコウタロウ!」とシルビアの声が聞こえていたが、外に漏れ聞こえては不味い。
急いで居住まいを正して振り返ると、いそいそと司祭の少女が入ってくる姿が見えた。
「天使さまにおかれましては、お待たせして済まないの。そんなところに立っていないで、イスに腰かけて下さればよろしいのに」
純真無垢な顔をした少女がそこには存在した。
天幕内に置かれたランタンの位置を調整すれば、エルフ特有の長耳がある事も改めて確認できる。
そんな穢れの無い顔をした彼女が、船坂にイスを進めながら自らもローブの皺を気にしつつ着席する。
「邪神さまに祈りました通り、生贄の準備はできてござりますぞ。しからば眼前のカラカリル攻略を果たした暁には、邪神さま復活の儀式は確かに行えましょうな」
「た、魂の召喚儀式か」
「天使さまはそれを成すわらわたちを見届けるために、こちらに来られたのではないのかの?」
「いや。俺はただ、見守るためにここへきたわけだが……」
下手な事を口にしては正体がばれてしまう。
どこまでも純真無垢なのだろうか、灯りの元でこのファンタジー世界では異形の格好をしているはずの船坂を見ても、まだ信じて疑わない姿の司祭少女であった。
その疑いを知らぬ彼女に疑念を抱かされるのは得策ではない。
「なるほど邪神さまは寛大であらせられるから、ただ見守れと!」
「そ、そういう事だ」
「であれば、ますます成功させねばならぬな。わらわたちの信心、とくとご覧いただくがよろしいだろうっ」
うっとりとした表情の司祭少女に呆気に取られていたところで、船坂は耳した言葉を反芻した。
邪神を復活させるための生贄。確かにそう口にしたのだ。
「まだ完全なる復活を行うには数が足りませぬが、この世界に染まっていない異邦人の生贄は、今後も鋭意収集するつもりである。今はこの生贄ひとつで邪神さまはお許し下さるだろうかの……?」
「そうだな……それはお前たちの努力次第だ」
適当な返事をしたところで、ふと天幕の周辺がさわがしくなった。
すると、驚いた司祭少女が船坂をあわてて天幕の奥へといざなうではないか。
「まずい、天使さまこちらへ。奥の寝台に潜り込むのだッ」
「ちょ、泥が付いてるしいいのかよ。何事だよ」
「幹部信者どもが来た様だ。四の五の言うている暇はないので、ご容赦だ!」
小声だが、ハッキリとした口調で天幕の奥にある寝台に押し込まれた船坂は、バサバサと毛布を被せられて急ぎ隠れたのだ。
するとそこにドカドカと地面を踏み鳴らす音と「失礼します大司教さま!」という大きな声が聞こえたのである。
「わ、わらわも入れてたもれ。寝ている風を装うのでご無礼を……こりゃ動かないでください天使さまっ」
「おられませんか、大司教さま?!」
「なんだの? わらわは寝ているところであるッ!」
もぞもぞと布団の中に体を突っ込んだ司祭少女は、大きく息を吐き出して冷静さを取り繕ったところで、そう返事をした。
敵の陣中で、見つかっては絶対に死ぬ。
装備の中にある手榴弾の場所を密かに探りながら思うのだ、 船坂の人生最大のピンチであると。
少女のお股の間に、船坂の顔があるのだ!