香る月下香
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後宮に関する知識は、学校で習った事だけである。
つまりは、国王の奥方たちの住まう所で、現在は第一王妃から第四王妃までと王子が四人と姫が二人だということである。
「後宮か…」
リルはお城を後にして、ジルの家に来ていた。目の前にはジルの魔法で作った煮込み料理がほかほかと湯気をたてている。
「それはなかなか大変そうだな…」
「そうなの?」
「権力争いの中心だからね…それに…女同士のいざこざも多いだろうし、確かに魔法使いの力は必要としているなるだろうな。今は次期王位の争いもあるだろうし不可解な事件か起こってもおかしくはない」
「そう…なんだか、大丈夫かな。私」
「リル…何かあれば必ず俺に言って」
「…うん、そうするね。愚痴ばっかり聞いて、私の事嫌になったりして」
クスクスとリルは笑った。
「少しくらい、リルの事を嫌になった方がちょうどいいくらいだ」
ジルもまたいたずらっ子のように笑いかける。
「さ、冷めないうちに食べちゃお」
リルはそう言うと、料理を美味しく食べはじめた。
こうして二人はリルの家や、ジルの家で食べるということをしていた。誰かと共にする食事はやはり温かくて良いものである。
「そういえば…修行初日は、アラシが家に招待してくれて夕食も作ってくれたな…」
くすっとリルは笑った。
「アラシが?」
「そう、明日倒れたら足手纏いだからって」
思い出すと、なんだか遠い昔のように思えてくる。
「アラシが…それは珍しいな」
「そうでしょ?それに私にペアになったのが自分で悪いって言ってきたりして」
「…なんか…そういうの聞くと、少しムカつく」
ん?と小首を傾げるとジルはじっとリルを見つめていた。
カタン、と音をたててジルが立ち上がって、リルの腕をひいて抱き締めた。
「ジ、ジル?」
顔を伺うように上を向くと、その唇を奪われる。
「…んっ…」
苦しいほどの口づけにリルは喘ぐように声をもらした。
「リル…凄いいい匂いがする…」
首もとに顔を埋めたジルがそう囁いてリルはその低い声にゾクリとした。その瞬間、リル自身にもわかるほどのむせ返るような花の香りがあふれでる。
(これは…たしか…月下香…)
月下香の白い花…。危険なその甘い香りがリルの鼻腔をくすぐる。香りに酔ってしまう…
「ジル…」
リルはその名を呼ぶ…ジルは、答えはなくただ唇でリルを味わうかのように肌に触れていく。ジルの手がそっとリルの手を握り、彼の方へ引き寄せる。二人の影が重なる、言葉もなくただ心の赴くままに…。
 ̄ ̄ ̄ ̄
「リル…、後宮に行くなら言っておきたい事があるんだ」
ぽつりとジルがリルを腕に抱いたまま、そう切り出した。
「なぁに?」
うつうつとしたので、とろんとした声でリルは聞いた。
「俺の生まれは、ゴーント侯爵家なんだ。だから、もしかすると俺の生家の人間がそこにいるかもしれない」
「貴族…だったのね…」
いつかマユリが育ちが良さそうだとジルの事を言っていた。
「だけどあくまでそれは生まれなだけだ。リルも知っての通り俺は今は魔法使いだ。6歳になったあの日から、貴族じゃない…もう、家族はいない。ジルフォード・アルディーン・リース・ミルランディはもういないんだ」
「ジル…」
「他の…例えば俺の生家の人間と会って知るよりも、自分で伝えたかった。だから言っただけだから」
「会ってみたいね…」
「…忘れていてくれれば、良いと思っている。それに、俺は三男だから、それほど重要な息子では無かったんだ」
(忘れていてくれれば…でも、忘れて欲しい訳ではない)
「ジル…」
リルはそっと腕を伸ばしてジルの首に回した。
「私がいる…あなたのすぐ側に…」
「平気だ…ずっとリルがいたから」
ジルはそう言って美しい笑みを浮かべると、リルの頬を撫でて唇を合わせてくる。
「好きだよリル」
「ジル…大好きよ」
(私たちは…わかりあえる。同じ思いを重ねることが出来る…)
ジルを好きな気持ちはいつしか大きく…。かけがえのない物になって行く。




