マスラ王って手ごわい
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とはいえ、事は全然簡単ではなかった。
ユカリナ城に着いたものの王は出ているとかで、会えたのは次の日の夜。レンが全力で着飾ってくれたけど、マスラ王は綺麗な顔で笑いながら『随分と大きくなりましたね』と頭を撫でられた。
まるっきり、子供扱い。
とっておきの空色の絹ドレスだったのに、とてもがっかりした。
「私って、そんなに子供っぽいかな」
「そんな訳ありませんっ、こんなに美しいのに。私の腕が足りないのですね、すみません」
むしろ私よりレンの方が落ち込んでて、これ以上私が落ち込む訳にはいかなかった。
「そうよね、そんなに悪くないと思うの。ねえ、アル?」
「えっ、あ、いや、私ですか」
「他に誰がいるのよ」
「そうよ兄さま、気のきいた事でも言って欲しいわ」
「え、いや、だって、俺が姫の、え、」
「ほら、お美しいでしょう?」
「あのな、俺は護衛だぞ? 姫の美しさについて言葉にするなど――」
「何言ってるの、今更じゃない。寝所にまで入っておいて」
アルは言葉に詰まってから力なく肩を落とした。だって、本当に今更なのだ。アルともレンとも小さい事からの付き合いだし、子供の頃はかしこまった言葉なんて一つも使わなかったんだから。
観念したのか、アルは虫の声くらいの大きさで呟いた。
「とてもお似合いだと思います……」
「でしょう? これでぐらっといかないなんてマスラ王はやはり一筋縄ではいかないわ。姫さま、作戦変更しましょう。マスラ様は見目で動かせないのかもしれません、そうなると、中身です」
「中身?」
「殿方の心を掴むには健気さです!」
拳を握って立ちあがるレンに押されて思わず拍手なんてしてしまう。同じように押されたのかアルも拍手をしていたのがおかしい。
「それで、どうするの?」
「料理ですわ」
「料理なんて私できない」
「だからこそです。姫が料理などする必要はないのに、あえて、あ、え、て、マスラ王の為だけに調理場に立つのですよ? ねえ兄さま、健気でしょう?」
「俺に振るな……」
とにかく、と腰をあげたレンは明らかにイキイキしていた。
調理場を借りるには誰かにお願いしければいけない。ユカリナにいる間、そういう事も含めて全部の事を迎えに来てくれたセイに相談するようにとの事だったから、とアルはセイを探しに出ていく。
と思ったらすぐに戻ってきた。
レンが顔を輝かせて部屋を出るから、私もそれについて出た。
セイは私達のユカリナ滞在中の護衛もマスラ王から頼まれているのだとりりしい表情で教えてくれた。アルフレドがちょっと面白くなさそうだった。
「調理場を?」
レンの申し出にセイは首を傾げる。
「姫がマスラ王の為に手料理をふるまいたいとの事なのです」
「料理を? 姫は料理もたしなまれるのですか、すごいな。私なんか肉しか焼けない」
「セイ様は騎士なのに、お肉を焼けるのですか、素敵……」
「いえ、本当に私など剣を振るうくらいしかできないので」
レンの頬が赤い。完全にセイに見惚れている姿はちょっと可愛くてほほえましいけれど、このままでは話が進まない。レンの服の裾を引くと、ようやく気付いたように調理場を借りる話になった。
調理場を借りたのはいいものの、本当に私は料理なんてしたことがない。レンに習ってなんとか焼き菓子のようなものができたが、味見をすると甘みが足りなくて、それから固い。
「これは、失敗じゃないの」
「うーん、何故でしょう」
レンも首を傾げていたが、そのうち大きく頷く。
「いえ、でも、この方が可愛げがありますね、一生懸命したんだから、感が出て」
「本当?」
「ね、兄さま」
「だから、俺にいちいち振るな」
「アルも食べて?」
キツネ色に仕上がる予定が熊色に仕上がってしまったそれをアルに差し出すと、一瞬その顔が曇る。
「アル?」
「いえ、これは姫がマスラ王の為に作られたのですから私が口にする事はできません」
「味見だってば」
「いえ」
頑として口を開かないアルに辟易していた頃、不意に調理場に涼やかな低音声が響いた。
「なんだ、楽しそうだな?」
ひょいと顔をのぞかせたのはマスラ王その人だった。
途端に調理場内に光が満ちたような気がする。神様が本気で作ったらこんな美しい顔になるのかしらと、ばかみたいな事を考えてしまうけれど、そう思わずにはいられない。
上品に焼き上げた陶磁のような肌に寸分の狂いもなく配置された切れ長の目やすうっと伸びた鼻筋、その下には艶を含んだ唇。でも、セイのような中性的な綺麗さとは違って、凛々しくて本当にまぶしいわ。
漆黒の瞳と同じ色の腰まで伸びたつややかな髪。私はいつもその黒に見惚れ、切れ長の目で見つめられると小さな声しか出なくなってしまうのだ。
「マスラ王……」
アルとレンは慌てて膝をついた。
「いや、気軽にしてくれ。セイから聞いてね、何をしてるのかと思って」
砕けた言葉のマスラ王は初めて見るくらい柔らかな顔をしていた。
「これを姫が?」
マスラ王は私の焼き菓子を一つ口にする。
「うん、甘みが押さえられていいな。ありがとう」
う、うわあ、なんか嬉しい。思わず口元を押さえると、また子供を褒めるみたいに頭を撫でられる。
あ、と思った時にはマスラ様はもう外から人に呼ばれて出ていってしまった。
「れ、レン」
「はい、姫さま」
「ありがとうって」
「そうですね、しかし、喜んでいる場合ではありませんっ、また子供扱いでした」
だけど、嬉しかった。
「次の作戦を練りましょう。そうだ、姫は刺繍がとても得意ですから、何か贈り物をしてはどうでしょう」
確かに刺繍は得意だし、ササーラではお忍びで市場に並べて売ったりもしている。
「でも道具を持ってきてないわ。刺繍はササーラの針がないと」
「そうですね、では違うものを」
「じゃあ、ここ片づけないと」
手にしていた焼き菓子を乗せた皿を見つめてちょっと心が沈んだ。まだいくつか残りがあるのだ。一つ食べてもらっただけでも嬉しいけど、やっぱり全部食べてもらえるようなものを作りたかったな。
「あの、もう王に差し上げないのなら、頂いて構いませんか」
不意にアルが焼き菓子の皿を私から取り上げる。
「いいけど、固くて甘くないわよ」
「いえ、頂きます。固い焼き菓子好きなので」
そんな話初めて聞いた。目を丸くする私の前でアルは失敗焼き菓子を全部食べてしまった。
「兄さま……」
「アル……貴方そんなに固いものが好きだったのね」
「――はい」
そんなに好きなら今度から固めの物はアルにあげよう。
そんな調理作戦も失敗に終わって、今度は贈り物作戦へと移行した。