気の毒な犬
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元々、私はユカリナ国王子マスラ様と幼い時から婚約関係だった。それは昔からの同盟によって国同士が暗黙の了解のように行っている政略結婚だが、それでも聡明で美しいマスラ王子は私の憧れの相手だった。マスラ王子の妃になれるのが嬉しくて、いつもその事ばかりを考えていた。十歳の頃までは。
私が十、マスラ王子が十五歳の頃、ユカリナは大臣のクーデターにより情勢が変わった。王の一族は殺され、その混乱時にマスラ王子も討たれてしまったらしい、と私は聞いていた。
「あの時は苦しかったわ」
「ああ、クーデターの時ですね。本当に大変でした」
「おまけに、それからすぐに大臣の息子との婚約話になるし」
「デリカシーの欠片もないですもんね」
「せめてドルトラル様が優しい方でよかったわ」
ユカリナ王に代わって国を治めていた大臣の一人、その息子との婚約話に父様は悩まれた末、乗られた。この国ササーラは小さく武力を持たない国だから、剣大国ユカリナとの同盟は絶対だからだ。
大臣の息子、ドルトラルと婚約したのは十一の頃。すぐにでも結婚の話になるだろうとあきらめていたのだけれど、私の気持ちが整理できるまで、とドル様は結婚を先延ばしにしてくれた。マスラ王子とは親友であったらしく、彼にも色々思うところがある、と言っていたのが忘れられない。
ドルトラル様がのらりくらりと結婚を延ばすものだから、私はすっかり「結婚してもらえないかわいそうな姫」となっていた。マスラ王子は初恋の人だったし、亡くなったと聞いたのは辛かった。
けれど、時が流れれば「結婚してもらえない姫」の称号の方がきつくなる。十五の時に意を決してドル様に「もう気持ちの整理はつきました」と伝えたのだけれど、その時のドル様の答えは「否」。
『もうすぐこの国はまた変革する。今俺と結婚してしまえば君もまきこまれる。このままかわいそうな姫のままでいた方がいい』
その時は意味が分からず、振られた事にふてくされていたのだけれど、その意味が分かったのは今年になってからだった。
ユカリナで、またクーデターが起きたのだ。
起ったのは亡くなったはずのマスラ王子だった。
密かに生き延び、この時を待っていたのだろうと爺は言っていたけど、あんなに綺麗で目立つ人が密かに隠れていられたなんて、私はすごく驚いた覚えがある。
マスラ王子はクーデターを成功させ、圧政をしていた大臣達を排除、ドルトラル様は他国へ亡命、そして私はまた婚約者を失ってしまった。
「それまでは嫁げないかわいそうな姫だったのに……」
「めっきり、婚約すると国がクーデターになる呪いの姫に……」
「悪夢よ」
「悪夢ですわ」
「マスラ王は、もしやこの事が原因なのかしら。またクーデターが起こったら大変だものね。私なら絶対お断りだもの、呪いの姫なんて」
あまりに縁起が悪すぎる。自覚すればするほどに心が重くなってしまうのはどうしようもない。
どうしてこうなっちゃうんだろう。
この国の第三王女に生まれた運命とでもいうんだろうか。
もう一度深い息を吐こうとした時、黙りこくっていたアルフレドが急に口を開く。
「姫は呪いの姫などではありません。わがササーラの大事な存在です。呪いなどくだらない噂話です」
いつも難しい顔をしているか、私のわがままに困った顔をしているかなのに、今だけは変に威勢がいい。真面目なだけに不器用なアルが彼なりに私を慰めてくれているのだろうと、少し元気がでた。
「ありがとう。だからこそ、そんな不名誉な称号とはさよならしたいの」
「その為には、なんとしてもマスラ王に娶っていただかないと。兄さまもそう思うでしょ?」
「いや、私はそのような事に口だし出来る立場ではなく」
「呪いの姫にいつもぴったりくっついてる護衛騎士の評判は知ってる?」
レンがアルの顔先に人差し指をつきつけて首を振った。
「な、何だ?」
「気の毒な犬」
「何?」
「だから。兄さまは呪い姫の気の毒な犬って言われてるのよっ! 頭きちゃう、兄さまは本当はこの国で一番の剣の使い手なのに」
「気の毒な犬……」
アルは呆然と立ち尽くしているが、私こそそうしたい。アルがそんな風に揶揄されているなんて知らなかったからだ。
「レン、それ、誰に言われているの」
「姫さまは気になさらないで下さい。これは姫さまのせいではないのですから。兄さま自身の問題なんです」
気にするなと言われても、最も近しい護衛がそんな風に言われているなんて許せないし、ほとんど私のせいだ。
「やっぱり、呪い姫の汚名は返上するしかないわ!」
「そうです、そのいきですよ、姫さま!」
「私、マスラ様とお話させてもらうよう父様に頼んでくる」
クーデターの復権から一度しかお会いしていないのだから、きっと私の事をご存じないだけに違いない。マスラ王の知っている私は十歳の子供だったけれど、今はもう十六、直接お会いできれば何かが変わるかもしれない。それこそ、運命が。
「お供しますわ、姫さま」
「ま、待って下さい、それはつまりユカリナに行かれるという事ですか? そうなれば様々な手続きや根回しが必要に――それに何より危険です。ユカリナはまだ不安定な情勢下にあり、他国の侵入者などの話も聞いております、それから」
「だから父様に頼むんじゃない。ただの幼馴染が遊びに行きたいって頼むだけよ、政治的な事が動くわけじゃないし」
「いえ、ですから立場上の」
アルが心配する事は全て正しいのだけれど、今回は聞いてあげない。私は呪い姫の、アルは気の毒な犬の汚名を返上しなければならないのだから。
「それに危険からはアルが守ってくれるんでしょう? 貴方がいなければ無理よ。だから、守って欲しいの」
「いえいえいえいえ、これはですね、いつものお忍び市場町娘風とは訳が違うのですよ!」
「なにそれ」
「姫が市場で刺繍を売るアレですよ」
「そんな言い方してるのね、アル」
アルはまずい事を言ったという風に一瞬目をそらして、いかにもごまかす風に声を荒らげた。
「とにかく! 無茶はお慎み下さい!」
「ということは。私の事は守れない、と言う事?」
まっすぐに見つめると、アルフレドは息を飲んでから、がっくりと肩を落とした。
「それが、私の仕事ですから」
「ありがとう、頼りにしているわ」
レンに目配せをして、私はにっこりとほほ笑んだ。




