オトコゴコロ
15
剣技場に入る剣士専用通路で、アルとセイを見つける。
側にいたセイが、ぎょっとしたように私達を見つめたけれど。
「姫、何故こんな所に。早く席へ御戻り下さい」
セイの声につられるように顔をあげたアルが、セイに輪をかけたように目を見開いて青ざめている。
う、また怒られる。
思わず顔の前に手を覆って怒声に備えたけれど、アルは大きく息を吐いただけで何も言わなかったから、拍子抜けだった。やっぱり、さっきの負けが堪えているんだわ、とちょっと苦しくなる。
「兄さま、私は先に戻って姫を探している護衛騎士にここにいる事を伝えます。姫をよろしくお願いしますね」
レンが早口でまくしたてると、慌ただしくこの場を離れた。
「アルフレド、私は剣技場に戻らないといけない。姫の事はまかせていいか」
セイはアルの肩を叩いて足早に通路を奥まで駆けていった。
剣技場の昂揚した民衆の声をどこか遠くに聞きながら、私は立ち尽くしている。いつの間にか周りには誰もいなくなって、すっかり二人きりなんだから、落ち着いてアルと話せると思ったのだけれど、なんとなく、落ち着かない。アルが、全然私を見ないからだ。
お、怒ってる……。
いや、ただ怒っているだけなら、とっくに怒鳴られているはずだ。アルの目は通路の壁を見つめたままで私に向かず、また一つ、大きなため息をこぼした。
これはもはや、怒りを通り過ぎているのでは……。
「あ、アル? アルフレド、あの、ごめんなさい、お、怒ってる、わよね?」
おそるおそる口を開くと、アルは「いえ」と小さく呟いたが、同時にため息がこぼれたのは無意識なのだろうか。
怒鳴られるより、怖いんですけど!
「アル、ごめんなさい、だって私、どうしても貴方の側に来たくて」
ようやくアルが私を見た。まっすぐで精悍な私自慢の護衛騎士。その目の奥が、暗い。やっぱりマスラ様に負けたから……?
「あ、アルは強いわ! ユカリナの剣士達、誰にも負けなかったじゃない! 一国の王を伏せるなんてそりゃあ、王にしかできない事よ。マスラ様もちょっと卑怯よね、誰も倒せない事を分かっているのでしょうから」
いや、私は何を言っているのだろうか。私はマスラ様が好きなのだから、強くて素敵で、もっとうっとりマスラ様を見ていなければならないはずなのだけれど。
でも、今はアルにこんな目をさせたマスラ様にちょっとだけ怒りを感じている。
だってアルは私の自慢の騎士なんだし……?
「アル、あの、うん、格好良かったわ。やっぱり貴方は私の自慢の騎士で――」
「姫」
アルがそっと私の顔の前で手をかかげる。言葉を制されたのだと、私は息を飲んだ。
「ありがとうございます。けれど、今は少し、一人にさせてもらえませんか」
私ではアルを元気にさせる事ができないんだと、寂しかった。ずっと側にいて私の事を分かってくれるアルなのに、私はどうしたらアルが元気になるのかさえ、分からない。
私って、何も出来ないんだわ。
しゅんとしてうつむくと、また大きなため息が響く。
「すみません、姫、こんな所まで来て下さって嬉しいのです。ただ、今は少し時間が欲しいので」
「……オトコゴコロ?」
「え?」
「レンが言ってた。きっとアルは私に側に来てほしくないって。男心なんだって」
アルは口元を押さえて、少し笑った。その少しの笑顔が嬉しい。ああ、レンはこうやってアルを笑顔にさせてあげられるのだ。私じゃ、駄目なんだと思い知らされて寂しい。
「姫、私はササーラの剣士として自負も誇りもあったのです。それをマスラ王に打ち砕かれて、まあ、その、落ち込んでいるので、立ち直る時間が欲しいのです」
「……一人で?」
「そうです。男とは弱い自分を人に見せたくない生き物ですので」
ああ、そういう事なんだと、目の前が明るく弾けた気がした。私だから嫌、って訳じゃないのなら、それなら、もうそれでいいわ。
「わかった。じゃあ、私は戻るね」
「レンが騎士を連れてくるまではお待ちくださいね」
やっと笑いかけてくれたアルに安堵して、私はようやくいつもの自分ペースに戻れた。そういえば、大事な事を聞けていない。
「ねえ、アル。何で変装までして、この剣技大会に出てるの?」
「それは――試してみたかったので。自分が姫を守るに足る腕なのかと」
「じゃあ、証明されたわね。アルが一番格好よかったし」
「――一番?」
「そうよ、誰にも負けていないわ」
そんな事、私はずっと知ってたんだけどね。どこか誇らしく思いながら、アルに頬笑みかけると、アルはやけに真剣な目で私を見つめている。ちょっと、怖いくらいなんだけど。
「アル?」
「セイよりもですか?」
「そうよ」
「――王よりも?」
え、と思った瞬間に、アルは大きな手で自分の口元を押さえて顔をそむけた。はっとしたように息を飲んで「なんでもないです」と小さく呟く。
そんな姿に、なぜか心臓が大きく鳴った。
だってこんなの、まるでアルが子供みたいに私に褒めてもらいたがっているみたいに見える。そんな訳ないのに。だってアルはもう子供じゃないんだし。
でも、なんだか、妙に、可愛らしい。
「申し訳ありません、忘れて下さい」
すぐに固い声に戻ったんだけど、ちょっと忘れられそうにないんですけど。アルって、こんな顔もするのだなと、嬉しくなる。
「マスラ様より格好いいかって?」
「ですから、お忘れ下さいと――」
「不敬だから大きな声では言えないわよ」
だから、そっと耳元で囁いてあげる。
「一番って言ったじゃない」
これで私もレンみたいにアルを笑顔にさせてあげられるのだと、私は自信満々だった。
のに。
アルは苦しげに眉をひそめて唇を噛んだ。
な、何でー!?
喜んでくれると思ったのに!
何、これもオトコゴコロ?
訳がわからないわ、オトコゴコロ。
おろおろする私をちらと見つめて、アルは大きく首を横に振った。
「エリーザ様は、両親を亡くした私達にとてもよくして下さった。恩人です。感謝してもしきれず、私はその恩を返すために命を賭して貴方をお守りする。そう、決めている。――俺は、貴方を、守りたい、のに」
「ま、守ってくれてるわよ? どうしたの、アル、変よ?」
「そうですね、俺はおかしい。どうかしている。貴方がマスラ王を真摯に想う姿が、辛いなど」
「え」
最後の方はよく聞こえなかった。
剣技場でひときわ大きな歓声が上がったからだ。思わず顔を見合わせて、アルが剣技場の通路先を見つめる。
「どうしたのかな」
「……見てきます」
「私も行くわ」
気付けば、通路を掛けていた。
剣技場の中心では、マスラ様が何かを話されているようだった。
マスラ様はしばらく民衆の歓声に手をあげて答えていたが、いつまでも収まらない声に苦笑しているようでもあった。そのうち、兵士たちが触れ回ったのか、歓声が止まる。そしてマスラ様が声をあげた。
「今日はもう一人手合わせしたい者がある」
ざわめく場内の中、客席から躍り出た影は、ドルトラル様だった。けれどその姿は見慣れた姿ではなく。
「ドルトラル……様?」
髪の色は深い緑。瞳の色は澄んだ青。優しげな顔立ちの、けれど、今は柔らかな雰囲気はない。緑の髪に青の瞳。その姿の印象は強烈過ぎて、もしかしたらユカリナの人達はドル様だと気付いていないのかもしれない。
「う、そでしょう? ドルトリアン……?」
あちこちでその名が囁かれる。もちろん、私とアルも顔を見合わせてそう呟いた。