お忍び市場INユカリナ
12
道中、ずっとお説教を続けたせいか、アルは随分疲れた顔をしてる。
……私のせいだよね。何か元気づけたいと思ったけれど、そもそも私のせいなんだから私が何を言っても逆効果よね、と押し黙るしかない。
でも、レンはたくましい。何のためらいもなく、アルに話かけている。
「兄さま、そんな顔で姫さまが守れるの?」
「分かっている。使命は果たす。しかし、こんな危険なこと」
「そういえば、何でアルはあんな所にいたの?」
「姫が馬の練習をしていたので、もしやと思っていたのです」
「兄さま、後をつけてきてたの? それにしては遅かったわよね」
私が悪いのに、何故かアルが責められそうになっている。レンってば、怖い。
「レン、そのおかげで私達助かったんだから」
「分かってますけど、もっと早く兄さまが来てくれたらよかったのに」
ちらと私を見たアルフレドは大げさにため息をつきながら肩をすくめた。
「見失ったんだ!」
「やっぱり兄さまの失敗なんじゃない」
なんだか、アルが悪い事になってしまっているんだけど。レンだけは敵にまわすのはやめておこう。
「そもそも、お前が姫を止めなければいけないだろう! 何を張りきって一緒に馬なんて乗ってるんだ!」
まっとうなアルの意見なんて、レンには通りもしない。
「私は姫の気持ちを大事にしているだけですぅ」
「姫の気持ち?」
「マスラ王の力になれる事を探しておられるのでしょう? 健気です、姫っ」
レンはアルフレドを睨みながらこちらも大げさに私に向かって泣き真似をしている。
「大げさよ、レン」
「いえ、大げさではないですっ」
「……とにかく、早く見て早く帰りますよ――セイにも迷惑かけてるのに」
「セイ様?」
レンの顔がぱっと輝く。
「なんでもない。さ、行きますよ姫」
「あ、アル。姫禁止で。エリって呼んで」
「うっ、え、エリ、様」
「様も禁止、エリ」
お忍びなのだから当然。私の言葉にアルが額の汗を拭った。なんでよ、この前は恋人設定だったじゃないの。
「え、恋人設定?」
「なんで嬉しそうなの、レン」
「いえ、なんでもないです、さあ、兄さま早く行きましょう」
アルとレンが顔を見合わせてなんだか妙な空気の中、なんとかユカリナの国境を越えた。そこでドルトラル様の使者と落ち合う。ドル様は市に居るとのことだった。
ユカリナの市場へ向かう途中、荒れた家が何軒か見えた。
「アル、あれは?」
「この場所から移ったのでしょう」
「移った?」
「ユカリナを出たのかもしれません」
「それって」
「捨てたんですね」
何故、と言いかけて口が止まる。それがユカリナが不安定という意味なんだろう。
そのうち市についたが、それはササーラとはやはり違った。
まず、数が少ない。ユカリナの方が大きい国なのにだ。
「少ないね」
「そうですね。出ているのもユカリナの民が多そうです」
「他国の商人が少ないって事?」
「そうです。ササーラは逆に多かった。大方、今までユカリナ市を開いていた他国の商人達が流れてきたのでしょうが」
「そうなんだ」
爺が言っていた貿易の流れが止まるっていうのはそういう事なのだろう。売っているのはユカリナの人で買うのもユカリナの人って事だろうか。
「うーん、そうとも言えないかもしれません。ちらちらと他国人もみえますね。まあ、私達と目的が同じかもしれませんが」
つまりユカリナの様子を見に来ているのか。何の為に? それを聞くのははばかられた。いい理由ばかりじゃない気がする。
ドルトラル様の使者からドルトラル様を呼んでくるから待つように言われ、私達はしばらく市を見て回ることにした。
しばらく市を見て回って、私はすっかり疲れてしまった。ササーラの市はわくわくしていつまででも楽しめる。活気も違う。これが現在のユカリナを表しているのだろう。
「どうしてこんなに違うんだろう」
「国民は不安なのかもしれません。クーデターが続いた事、大臣の政治が圧政だった事もあって、国力自体衰えている。マスラ王の人気はありますが、やはり不安は取り除けてはいないのかと」
でも、マスラ様は前の大臣王とは違う。毎日へとへとになって国内を見回っているし、国の為にって、いっぱい動いてる。
「マスラ様が強いって分からせればいいなら、剣の大会でもやればいいのに。ユカリナは剣大国なんだし」
「ああ、それは面白いかもしれません。しかし、今はそんな余裕もないのでしょう」
確かに、きっと皆毎日を生きるので必死なんだろう。
「もう気が済みましたか?」
アルに頷こうとした時だった。不意に市の店主から声を掛けられた。
「そこのお嬢さん達、見ていってくれるかい?」
「あー、結構、もう帰るので」
「そう言わずにほら、この干しブドウはよくできたんだ、味見だけでも」
断るアルに髭の店主はしつこくからむ。面倒になったのか、アルが手を差し出し、味見用を貰う。
「ほら、そっちのお嬢さんも」
言われるままに手を差し出すと、髭の店主は座っていた椅子から立ち上がり、私の側に寄って立った。やけに距離が近い。アルが眉をひそめて私と髭の間に割って入る。
「なんのつもりだ」
「味見だよ、味見」
そういいながら、店主は私に向かって片目を閉じた。
……なんか。見た事がある気がするんだけど。
でも、こんなおじさんに見覚えはないし……そう思っていると、店主は片目を閉じたまま小さく囁いた。
「無事についたようだね。エリーザ」
途端、アルフレドが顔色を変えて剣に手を掛ける。
「貴様?」
「分からないか? ドルトラルだ」
「は、はあ?」
分からないかと言われても分からない。だってあまりに風貌が違いすぎる。でも、それで思い出した。あの片目つぶりは確かにドル様の癖でもある。
「しかし」
「すみません、エリーザ様」
その隣には国境まで私達を迎えに来てくれた使者が申し訳なさそうに首をたれているところだった。迎えに行くと言って姿を隠したのは、このどっきり作戦の為だったらしい。
「ドルトラル様……お戯れが過ぎるのでは」
眉をひそめたままのアルに、ドル様らしき人は笑ってみせる。
「いやあ、君は本当に護衛の鏡だ。俺の部下に欲しいくらいなんだがな」
「駄目ですわ、アルは私の大事な護衛なので!」
思わず叫んでから、はっとする。ドル様とアルが目を丸くして私を見つめていたからだ。その目の奥が、笑っている。これは冗談だったのだ。
おおげさに焦ったりして、私って恥ずかしすぎるわ。
「いや、すまないエリーザ。君の大事なアルを連れていったりはしないよ、もう冗談でも口にするのはやめよう」
そんな事いいながら、ドル様は声をあげて笑っているんだから、意地悪だ。恥ずかしさをごまかすのに、私は顔を背けて荷物を開ける事にする。
市を見るのに町娘風にまでしたのだから、いつもササーナでしているように、ここでも作った刺繍を置いてもらう為だ。刺繍を施した手の平大の布はちょっとした飾りになるからとササーラでは喜んでもらえる。
「あの、ちょっとだけ置かせてもらっていいですか?」
「構わないけど、それは君が作ったのか。そういえば刺繍が好きだったな」
ドル様は刺繍布を手にして、しげしげと見つめてから優しく笑ってくれた。
「うん、いい出来だ。喜ばれると思うよ」
褒めて貰えると素直に嬉しくて、私は思わず持ってきたもの全部をドル様に見て貰ってしまった。刺繍の柄を考えるのは楽しいし、それが形になるのも楽しい。それを喜んでくれる人がいて、褒めて貰えるのは本当に楽しくて嬉しい事だった。
ドル様は嫌な顔一つせず、それを全部聞いてくれて、さっきは意地悪だなんて思ってしまったけれど、やっぱり優しい人なのだと、私はすぐ上機嫌になってしまった。
「それにしても、エリーザ様は変わっておられますね。市が見たいとか、そこで売るものもご自分で作られるとか」
ドル様の護衛さんが心底不思議そうに呟いた。
うっ、変わってるってのは褒められているわけではないのよね。自覚はあるんだけど、やっぱり私が嫁げないのはそういう所も原因なのかしらと、ちょっと苦しくなる。
「しかし、それがエリーザの美徳でもある。……エリーザはどうして市が見たいのかな」
唐突にドル様に切り出されて、私は思わず肩をすくめた。「姫らしく」ないのは自覚済みだけど、それを人から指摘されるのには慣れていないのだ。何と答えるのが正解なのかが分からなくて、結局本当の事を言うしかない。
「楽しいんですもの。作る事も、売る事も、そのお金で買い物をする事も。市じゃなきゃ出来ない事だから」
「まあ、真理だな。その為に稼ぐってのも人が生きる術の一つだから。そこが滞ると、活気がなくなるのも必然」
ドル様はそっと顔をあげ、市場を見渡している。つられるように私も市場を見渡して、やっぱりササーナより人出も少なくて、なんとなく元気がないように思えた。
「商業が滞ると国力も滞ると言いますね」
今まで黙っていたアルも口を開き、なんとなくこれが今のユカリナの現状なのだろうと心寂しく思った。
「ところでエリーザ。唐突で悪いが、少し頼みたい事がある」
不意にドル様が私を真剣な目で見つめた。そんな風にみられるのは珍しくて、どきりとする。
「少し、向こうで話せないか?」
護衛はアルフレドだと知っているからか、ドル様はアルにも目配せした。
「何です、急に」
「君の頼みを聞けたのも何かの縁ってね。エリーザ?」
「わ、分かりました」
「姫」
どこか心配げなアルだけれど、こんなに声をひそめて見た目が違いすぎるドル様の「頼み」ってきっと、大事な事に違いない。
ぞろぞろ歩くと目立つからと、レンをその場において私達は少し市から離れた路地に入った。
「それにしても、その姿は慣れませんね」
「ちょっと変装頑張ったんだよ。ほら、俺はこの国ではお尋ね者だから」
そうだった。これってかなり危ないんじゃ……。
そんな事には最初から気付いてたんだろうアルが声をひそめて低く囁く。
「危険な事は引受られません」
「たいした事じゃない。マスラと会わせてくれないか」
「っ、危険な事ですね、引受られません」
「俺はエリーザに頼んでる」
そういいながら、ドル様に見えないドル様が私を見つめるけれど、アルの顔が怖すぎてとても素直に頷けそうにない。
「駄目ですよ、姫」
「う、ん」
「ドルトラル様も分かっておいででしょう? 姫にはそこまでマスラ王との接点はないのです」
「振られたからか?」
はっきり言われるとぐっさりささるわぁ……。
「だったらだからこそ、だろう? 接点なんてのは自分から作るもんだぞ。エリーザ、マスラが好きなんだろう? 会いたいと思わないか?」
「ドルトラル様! 煽らないで頂きたい」
「何も城へ連れて行けという訳じゃない。俺がここにいる事を伝えてくれればいいんだ」
「ご自分でどうぞ」
「できれば苦労しない。これはマスラにとっても悪い話じゃないはずだ。話がしたい」
「こちらもお忍び中です」
「でも、マスラにはばれてるだろう」
え。え?
「どうして?」
私の問いに、アルが顔を曇らせる。
「え、アル、どういう事」
「――ユカリナはまだ不安定だと言ったでしょう。何かあったら困るので、少し」
「マスラ様に言ってあるの?」
「いえ、そんな事は。ただ、その、セイとは個人的にやりとりができるので」
「さっき、あいつが隠れたのが分かった」
ドル様が笑う。アルは大きなため息をつきながら首を垂れた。
「セイが見守ってくれてるって事?」
「ずっとではありませんよ、ただ何か会った時動いてくれると思うので勝手をしました。申し訳ありません」
「ううん、それはいいんだけど。だったら、マスラ様にドル様を会わせるの、できるじゃない? セイに頼めばいいんでしょう?」
「むしろ、ドルトラル様がセイに頼めばいいのでは? お知り合いなのでしょう」
「それはまあ、ちょっと、あいつとは顔を合わせにくい事情ってもんが」
珍しく言葉を濁したドル様に、アルはまた大きなため息をついて、やっぱり首を横に振った。
「とにかく、今回は姫様がユカリナの市を見たいというので来たまでで、もう帰りますから。これ以上は関われません」
「でもアル、セイに頼むだけなんでしょう?」
「間に立てという事ですよ? 他国の事に干渉はできません」
「国の事じゃなくて、俺とマスラの友情の事だとしたら?」
「そんな訳」
「ねえエリーザ。あいつとは昔からの友人なんだけど、やっぱり今はこの状況だし、俺が直接城に行く訳にはいかないんだよ、なんとかならないか」
セイ様に頼むくらいなら、してあげてもいいと思うんだけど。
「アル、なんとかならないの?」
「アルフレド、このさいセイを間に挟んでくれて構わない。後は知らない顔をしてくれていいから」
アルは強く強く首を横に振る。
「無理です」
「アル、いいじゃない、話、するだけなんだから」
「何の話か分からないのに。私達が関わっていい話ではないです」
「セイに頼んであげて? セイと友達なんでしょう? 私が頼んでも、駄目なの?」
「う……姫」
「よし、では頼んだぞアル」
まだアルが何も答えないうちにドル様は何事もなかったように市へ戻っていった。
残されてアルが苛立たしげに舌をうった。珍しい、こんなアル、めったに見ない。
「あ、アル?」
「分かっているのですか。これは内政干渉かもしれませんよ」
「違うわ、友達に会いたいだけなんでしょう」
「そんな人ですか、あの方が」
「私はそう聞いてるから、そうなの。それに、セイに頼むだけなんだから、その先は関係ないでしょう?」
「そんな簡単に」
「だって、なんか、すごく必死だったじゃない」
変装までして危険と分かっている場所にいてまで、マスラ様と会いたいなんて、よっぽどの事情に決まってる。やっぱり知らない顔できないよ。
「姫は、私の言う事は聞いて下さらないのに」
「それに、マスラ様にもいい事っていってたじゃない? ドルトラル様がそこまで言うんだったら、マスラ様にとってもいい事なんだよ、きっと」
「そうですか。姫はマスラ王の為なら国の規律も破っていいとおっしゃる」
なんか、アルが怒ってる。私が無理言ってるせいなんだけど。
「そんな事言ってないでしょ」
「こんな所まで来た事も、そもそもマスラ王の為、ですからね、姫はマスラ王がよければそれでいいと」
「だから、そんな事言ってないじゃない! なんなのよ、さっきから。言いたい事あるならはっきり言えばいいのに!」
迷惑かけてるのは、私だって分かっているんだから。目を合わさないアルの腕を掴んで見上げると、その手は振りほどかれて、ちょっと傷ついた。
「アル」
ようやく目が合う。見下ろされるその視線は見た事ないくらい、怖かった。
「言っていいのですか」
「ぅ、いいって言ってるでしょう」
とはいえ、怖い顔で踏み出してこられるとやっぱり怖い。思わず後ずさったら、背中が路地の壁にぶつかった。のに、アルは寄ってくるのをやめない。
「アル?」
「私は」
壁に追い詰められた私の顔の横に、アルの拳が叩きつけられて、勝手にびくりと体がすくんだ。
「私は……」
何か言いたげなのに、アルはそのまま声を噛んで首を振っている。
「ア、ルフレド、なに」
「貴方には、分からない」
「え」
何が、と聞こうとしたけれど、その時にはもうアルは私から離れていつもの顔に戻っていた。
「セイに話をつけます。姫はレンと一緒にドルトラル様の店を見ている振りをしていて下さい」
「う、ん」
頷いたけれど、なんか、心が落ち着かない。アルあんな顔初めて見た。怖かったけど、それだけじゃなくて。
なんだろう、どうしてこんなにドキドキするんだろう。
「さあ、ドルトラル様の店まで送るので」
「うん」
背中に手をまわされて、そのどきどきはもっと強くなった。近かったからかな、でも、こんな近さ、今までもあったのに。
訳が分からなくなりそうだったから、慌てて頭を振る。
今は考えるのをよそうと、思った。