嫁げない姫
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ヤバいです、と侍女のレンが声をひそめて私を見る。黒い瞳は兄のアルフレドによく似ているのに、最近髪の色を茶色く染めたから印象はあまり似ていない、になった。
「姫さま、聞いてます?」
「聞いてるけど、私、レン程耳が良くないのよ、ドアの向こうの声なんて聞こえない」
「耳をすませるんですよ、ほらこうやって」
レンは重い石の扉に耳をあて怖いくらい真剣だ。
私も真似をしてみるけど、やっぱり父様の声も大臣の声も聞こえない。だいたい、こんな盗み聞きしている所なんて見つかったら教育係のヒロ爺に叱られてしまう。一応、護衛騎士のアルフレドを見はりに立たせているけど、それでも怖いものは怖い。
「ねえ、レン、もういいよ。また後で父様からお話になるわ」
「しっ。今大事な所で……ああ、やっぱりダメみたいです」
「ダメって、マスラ様のご都合が悪いって事?」
「それ以前の――ご婚約自体、話が進まなかったようです」
「えっ」
思わず声があがって、慌てたレンに口をふさがれた。
廊下の見張りをしていたアルフレドが眉をひそめてこちらを見ながら、そっと唇を動かした。
「ヒロ様が来られます」
爺に見つかったらくどくどと説教が始まってしまう。私はレンと目を合わせて、何事もなかったような顔でへばりついていたドアから離れると、爺とは逆の方向に廊下を歩いた。
それにしても、だ。
「マスラ様は、私と婚約して下さらないという事?」
「今の所はそうみたいですね。ヤバいです」
「所で、その、ヤバい、ってどこの言葉?」
「さあ? 最近、町娘の間で流行しているらしいですよ。危機的状況という意味らしいです」
危機的状況。
そう聞いてしまうと、嫌な汗が流れる。
「それはヤバい、わね」
「ですね」
顔を見合わせると勝手にため息がこぼれおちる。合わせたようにレンも息つき、しみじみと私を見つめた。
「こんなに愛らしいのに……何故、嫁げないのでしょうか」
「しみじみ言わないでほしいわ」
「だって。私の自慢のエリーザ姫なのですよ? この金色の髪をどれだけ丹精こめて育てているか。透き通るような肌を保つ為、私は日夜薬草の研究をして――いえ、そもそもこれだけ愛らしいお顔立ちですし、国内外かかわらず美しい第三王女としてどれだけ話題にされているか。それなのに、隣国のユカリナに嫁ぐのが伝統だからと」
「妙に詳しく説明するのね」
「自分に言い聞かせているのです。ええ、私は認めません。なんとしてもマスラ王にエリーザ様を頂いてもらいます。その為にはしっかりと作戦を練らねば」
「作戦ねえ」
自室の前に着いたと同時に、後ろから伸びてきた手が部屋のドアを開ける。振り返ると頭一つ高い所から、アルフレドが怖い顔で睨んでいる所だった。
「何度も申し上げますが、姫が一番に部屋に入る事はお控えください。中に何が潜んでいるかわかりませんので」
「どうせ鍵がかかっているのだからアルが来なきゃ入れないわよ」
「遅れまして申し訳ありません」
別にそんな事を責めたつもりはないんだけど、アルはいつもこうだ。何かあるとすぐに謝る。それが護衛騎士の仕事なのだろうけど、私としては妹のレン位、アルにも打ち解けてもらいたい。そうじゃなきゃ窮屈で仕方ないのに。
アルが鍵を開け、私とレンは部屋に入る。護衛騎士は部屋の前で待機、それが決まりなんだけど。
「アルも来て? 話したい」
「は……? そのような事できません。姫の自室に入るなど、そのような事は禁じられて」
「兄さま、大事な大事な話です」
「お前は姫に対して気楽すぎる! もっと慎みと敬意を持って――っ」
「アル、私が来てって言ってるの。私が怒られるから、ね?」
「そういう事では」
「いいから」
レンに手を引かれ、半ば引きずられるようにアルが部屋に入った所でドアを閉めると、アルは目の前で餌が取り上げられた犬のような顔でドア見つめた。
「あああ」
「さて、状況を確認しましょう」
「はぁ。辛いわね」
「仕方ありません。そういう運命の元に生まれてしまったのです。けれど、運命は人の手によって変えられます、さあ、姫さま」
「ああああ、私は、姫の自室に入ってしまうなど」
「まず、私がさっき盗み聞きした話ですと、マスラ王はエリーザ姫との婚約をお受けしなかったようです」
「やっぱり、私が……出戻りだから?」
「その言葉は正しくありません。姫は誰とも結婚されてはいないのですから」
「でも、ドルトラル様と婚約していたわ」
「私はどうすれば――護衛騎士失格だ、いっそ城から出ていった方が」
「ちょっとアル、黙って」
「兄さま、うるさい」
叱られて我に返ったのか、後悔に苛まれていたアルが口をつぐみようやく落ち着いて話ができる。アルは優秀な護衛騎士だけれど、優秀すぎるのかもしれない。
「気を取り直して。姫さまはドルトラル様と婚約していましたけれど、それもユカリナ国の情勢のせいですから、むしろこっちが被害者です。それを理由に婚約を断るなど、器の小さい王のすることです」
「マスラ王はそんな人じゃないわ! 昔から優しくて、すごく優しくて、私は」
「分かっています。まだマスラ王が王子だった頃から、姫はいつもマスラ様の話をされてましたもんね。あのままだったら問題は無かったのに」
レンのため息につられて、私もまたため息が出た。




