#05:自己嫌悪のお昼休み
「妃さん、少しお話があるんですけど……」
ランチタイムに休憩室でお弁当を食べていた私の前に、同じ営業部の女子3人が立った。この3人は朝、トイレでお喋りをしていた3人だ。
彼女達が私に何の用があるのだろう?
「話って、ここで?」
丁度食べ終えた私は、お弁当を大判のハンカチに包みながら、3人に尋ねた。
「いえ、ちょっと来てもらえますか?」
3人に連れだって行った先は給湯室。こんな所へ連れ込んで、まさかイジメ?
「妃さん、森課長の歓迎会の夜、森課長と一緒に帰ったって、本当ですか?」
え? どうして……。まさか、森課長、言ってしまったの?
「二人が一緒に帰って行くのを見た人がいるんです」
今度は別の子が口を挟んだ。どちらも非難する様な雰囲気がこもっている。
「ちょ、ちょっと、待ってよ。たまたまよ。普段森課長は車通勤らしいんだけど、あの日はお酒を飲むから電車通勤だったらしくて、たまたま同じR駅まで行くのに一緒になっただけなのよ」
誰かに見られていた事に少し動揺してしまったけれど、疾しい事は何もないのだからと自分に言い聞かせ、言い訳をした。
「でも、妃さんの方が先に帰られましたよね? それなのに後から帰った森課長を待ち伏せしてたのですか?」
また別の子が、同じく非難するように詰め寄った。
「待ち伏せって……そんな訳ないでしょう? お酒飲んでたから、いつもより歩調はゆっくりだったと思うけど……でも、森課長は2次会へ行ったものだと思ってたもの。帰り道で声をかけられて、驚いたのは私の方よ。帰り道に上司と一緒になって、さっさと先に歩いて行けると思う?」
私は「待ち伏せ」の言葉にキレた。たまたま上司と一緒に帰っただけで、どうしてここまで言われなきゃならないんだ。
「私はあなた達のように、森課長を狙って無いの。いい上司だとは思うけれど、それだけよ。みんながみんな森課長狙いだなんて思わないで」
私の剣幕に怯んだ3人は「すいませんでした」と謝ってくれたけれど、どうにも暴走した怒りはおさまらなかった。
しかし、自分の席に戻ると、自己嫌悪に陥った。
あそこまで言う必要なかったのに……。
本当は分かっている。森課長にドキドキするのを見透かされた様な気がした事。
でもこのドキドキは単なる錯覚の条件反射だから。
誰ともなく心の中で言い訳し、午後からの就業のため活を入れた。
*****
基本昼食はお弁当を持って行く。それでも、寝坊した朝やあまり食材が無い日や、気分が乗らない日などお弁当を作らない日は、朝のうちに友人の上条美奈子にメールして、社員食堂で一緒にランチをする。それが週に1~2回あり、美奈子との情報交換及びお喋りタイムだった。
それでも今日は、先週から美奈子と約束していた外ランチの日。最近会社近くに出来た自然派レストランへ行ってみようと言う事だった。
お店の中はレストランと言うよりカフェっぽくて、圧倒的に女性の方が多い。こう言うのはやはり女性受けするよようだ。
日替わりのランチメニューは2種類あって、ご飯の定食とパンのセット。今日のメニューは、ご飯の方が五穀米と豆腐ハンバーグにサラダ、カブのあんかけ、ワカメとえのきの酢の物、味噌汁。パンの方は、全粒粉のパンと米粉パンのサンドイッチに同じく豆腐ハンバーグとサラダ、スープ。
どちらを選ぼうか悩んでいると、美奈子に「時間無くなるよ」と言われ、結局ご飯の方にした。パンも食べてみたかったけど、食事はやはりご飯の方がいい。美奈子も同じものを注文していた。
「先週の金曜日、森課長と一緒に帰ったんだって?」
注文を聞いたお店の女性が去った途端、美奈子は爆弾を落とした。
驚いて彼女を見つめると、意味深にニヤリと笑った。
「なんで……」と言いかけたところで、彼女が声を出して笑い出した。
「ごめん、ごめん。でも、さっきの莉奈の呆けた顔、写真に撮っておけばよかったわ」
「なによ」
彼女の言い草にムッとしたけれど、出たのはそんな言葉だけで、頭の中が混乱している。
まさか、もう噂が広まってるのだろうか?
「私の隣の席の子が見たのよ。莉奈と森課長が一緒に歩いてるところ」
「えっ?」
噂の根源がこんな身近な所にあったなんて……。
「隣の彼女が月曜日の朝訊いて来たの。『上条さんがよく一緒にお昼食べてる営業部のお友達は森課長と付き合ってるのか』って。私が莉奈と一緒にいるのをよく見かけてたからなんでしょうね。だから、どうしてそんな事を聞くのって訊いてみたら、金曜日に二人が楽しそうにおしゃべりしながらR駅の方へ歩いていくのを見たって言うから……これは莉奈に問い詰めないとって思った訳」
美奈子は面白いネタを見つけたと言わんばかりに、楽しそうに話す。
「もう、美奈子まで勘ぐらないでよ。たまたま帰りが一緒になっただけ。普段は森課長は車通勤なんだから。あの日は飲み会だったから電車だったんだって。それなのに月曜日の朝、営業部の女の子達に『待ち伏せして一緒に帰ったのじゃないか』って責められたんだから。もう、勘忍してよね」
私はあの時の怒りと自己嫌悪を思い出し、嫌な気分になった。
「あらあら、若い子たちは血の気が多いわね。それにしても森課長って、やっぱりモテるわね」
美奈子はクスクスと、私の情けなさを笑い飛ばした。
その時、背後で聞き覚えのある声が聞こえた。美奈子が「噂をすれば……」と入口の方へ視線を向けた後、私に向かって苦笑した。
「まだ振り返らない方がいいわよ。観葉植物があるから見つからないと思うけど……森課長ともう一人営業部の課長さんかな? それと……あれは営業部の藤川さんみたいね。他に女子2人と……奥の窓際の方へ行くみたいよ」
美奈子が小声で状況を説明してくれた。私は彼らが去って行く後ろ姿を確認した。
「あの3人が私を責めてきた子達よ」
それにしてもタイミング良過ぎと言うか、悪過ぎと言うか……。
「藤川さんが森課長を狙うんだって言ってたのよ。早速行動に移してるのね。それにしても森課長も、いつも女子社員にランチに誘われてもやんわりと断っているのに、今日は断り切れなかったみたいね」
美奈子に説明しながらも、胸の中にモヤモヤしたものが渦巻く。
まあ、森課長が誰に狙われようが、関係無いのだけど。
それからすぐに注文した料理が来て、私は食べる事に専念した。
「莉奈ってさ、森課長、タイプでしょ?」
「はぁ?」
「だって、莉奈の好きな俳優にちょっと似た感じじゃない?」
うっ、その事は考えないようにしてたのに。好きな俳優に似てるのは分かってたけど、余り気にせずにいた。それなのに、あの金曜日の夜からその俳優の出ているCMを見ただけで変にドキドキしてしまうのだ。
「そりゃータイプは似てるかも知れないけど、現実の恋愛とは関係ないから」
「やだな、そんなに真剣に否定しなくてもいいのに」
美奈子にハハハッと笑い返された。
なんなのよ。いったい何が言いたいのよ。
「別に森課長を好きになれと言う訳じゃないけど、そろそろリハビリしてみたら?」
「リハビリ?」
「そっ、恋愛のリハビリ。莉奈はあの二股野郎の後、恋愛事を拒絶してるでしょ? ねぇ、森課長とお喋りしながら歩いた時、ドキドキしなかった? まだときめく事できる?」
的外れな事を言っているようで、ずばり見透かされている様な問いかけに、動揺してしまった。
「じょ、上司にドキドキして、どうするの?!」
ああ、噛んでしまった。自分の動揺っぷりを自覚しているせいか、場数を踏んだポーカーフェイスも友人の前では発揮されなかった。
「ああ良かった。莉奈ったらもう枯れちゃってるのかと心配してたんだけど、さすが森課長レベルだと、女心が反応するよねぇ。私だって森課長なら、ときめくもん。あの爽やかな笑顔はヤバイよねぇ」
枯れちゃってるって……そんな風に思われてたのか。でも、森課長にドキドキするのは女性なら当たり前だと言われた様で、ちょっと安心したかな。この心臓の条件反射は、特別でも何でもないって事だよね。
「まあね。目の前であの笑顔を見せられると、ホントヤバいと思う事あるのよ。営業部の女子も目の前で話しをしている森課長に見惚れている子がいたりするし、私も近くにいる時は出来るだけ顔を見ないようにしてるの。しかもね、課長の声もヤバイのよ」
私は美奈子が同じ思いでいてくれた事に気が緩んだのか、森課長に感じてる事をべらべらと話してしまった。
「ふ~ん、声もねぇ。莉奈、それって、相当意識してるんじゃないの?」
ニヤリと笑った美奈子に突っ込まれ、私は話し過ぎた事に気付いて慌てた。
「ち、違うから。あの森課長を前にしたら、女子なら皆同じ反応するから」
「まあまあ、ムキにならなくてもいいわよ。莉奈にそんな反応をさせる森課長のイケメンぶりに感心してるのよ」
そう言ってクスクスと笑い続ける美奈子を、私は「なによ、それ」と睨んで返した。