努力を悪用した人間は
父親視点の話です。
話の内容が分からない方は上記のリンクから飛んでいただき最初から読んでいただけると幸いです。
鳶が鷹を産むという諺がある。
平凡な親から非常に優れた子どもが生まれることをたとえた諺だ。
親より子どもの方が才能や器量などで大きく優れている。
その逆もあり得る。
私、ヒューズ゠サンチェスはまさに平凡な人間だった。
私の父や祖父は偉大な人物だった。
祖父までに築いた莫大な財産。
父——グラハム゠サンチェスは貴族としても投資家としても有名だった。
父が手掛けたのは音響電信機の実験・開発だった。
有名な学者に投資し、電気的に声を伝送する「電話」を開発。そこまでに至るには大変な道のりがあったと言われる。「先代が築いた財を捨てる愚かな行為」と周囲に笑われたこともあると言っていた。
だが、周囲の嘲笑など父は気にせず引き続き電話の開発に投資をしていた。
完成し、それは認められ国に普及した。今まで電報で文字として伝えていたことが音声で伝えられるというのはあまりにも画期的だった。それらを事業として瞬く間に王都に広げた。
ある時、天才とは何かと尋ねる人間に父はこう返した。
「彼らはただ諦めなかっただけだ。踏まれても叩かれても、努力さえし続けていれば、必ずいつかは実を結ぶ」
その言葉は私の中にすっと入り、私の大切な言葉になった。
父の残した事業を王都だけではなく国全体に広げる計画は私の代からだった。
妻と結婚し、私も父となり2人の娘にも恵まれた。
最初に生まれた子をエリスと名付け、2年後に生まれた妹をクリスティーナと名付けた。
娘たちはすくすく大きくなる。
ゆくゆくは私の仕事を継いでもらうためにエリスには幼いころから教育係をつけた。教育係にエリスの評価を尋ねると「普通」とのことだった。私はそのことに別に気にはしなかった。むしろ私の娘だなと受け入れられたくらいだった。
だが、妹のクリスティーナは違った。
最初はエリスの真似をして遊んでいるだけかと思ったが、遊んでいるのではなく理解して自分の物にしているのだ。これには私も妻も驚き、自分の子供の優秀さに歓喜した。
「……お父様。これを見てください」
私の書斎に入ってきたエリスが一枚の紙を持ってくる。教育係が作った試験問題のようだ。
「ほー、満点か。すごいな」
「はいっ!」
エリスは嬉しそうに微笑む。
クリスティーナを褒めた次の日にこの結果を持ってきたということはクリスティーナばかりに構っていた私たちに少し思うことがあったのだろう。悔しかったのかもしれないし、負けたくないと思ったのかもしれない。
2人ともとても誇らしい娘だった。
クリスティーナが才女なら、エリスは失敗を「学び」と捉える成長志向の考え方ができる子なのだろう。
努力ができるのも才能だ。
努力に勝る才はない。
父の言葉は道を示していた。
環境と学習で天才は作れるのだ。
エリスは失敗や悔しさをバネに頑張れる子だ。
私の父——グラハムのような人間になれるかもしれない。
初等学院に通うようになってから見せてもらった試験は満点ではなかった。エリスの表情も暗い。下唇を噛み悔しそうだ。
だから私は励ましの言葉を送る。
「エリス。努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。もっと頑張りなさい」
「はいっ」
エリスは元気よく返事をした。
クリスティーナが初等学院に入学してからエリスはますますクリスティーナに負けないように勉学などに励むことになった。
「エリスは少し追い込みすぎるくらいがちょうどいいのかもしれないな」
やはり私の考えは間違っていなかったと確信し、エリスを褒めるようなことは滅多にしなくなった。
どうすればエリスの才能を伸ばしてやれるのか。
負荷がかかればかかるほど負荷が人を研ぎ澄まし、苦労で迷いが消える、背負うほど精神的にもブレにくくなる。
父のような人間になってくれるはずだ。
中等学院に進学し、貴族らしく婚約者を決めなければならない。
そう言って私は釣書を家令に見せる。
「アンカーストレムの次男……ですか? 理由をお聞きしても?」
「もともと電報事業で大きくなった家だ。電話の普及で電報も使われなくなるだろう。それに通信塔を建てるために必要な職人や土地にも詳しく、事業を提携することでより人手も増やせる」
ついでに言えば相手の息子はエリスの才能を伸ばすために必要な負荷になれるような人間性だった。恩を売っておけば取引もこちらに有利に持っていきやすくなる。
娘の幸せは才能を伸ばしてあげることだ。
◆
エリスが大きくなるにつれて仕事にも携わらせるようにした。
私が仕事を与え、エリスは作った資料を持ってくる。
「……これでは無駄が多い。理想ばかり先行していている。もう少し考えなさい」
「……はい」
エリスが持ってきた資料を私が確認し、修正を入れる。
「クリスティーナならもう少しうまく考えるだろう」
「……」
エリスが一番悔しく思うのはクリスティーナと比較された時だ。クリスティーナの名前を出すと今以上の結果をもってやってくる。嬉しくもあり、頼もしかった。
何度も何度もクリスティーナと比べる。
疲れた顔もするがそれは今だけだ。将来はクリスティーナと肩を並べる存在になるだろう。
その先にある未来のために頑張ってほしいと思い、私はエリスに厳しく指導した。
「旦那様……エリス様に少々厳しすぎませんか?」
「あれくらいがエリスにはちょうどいいんだ。クリスティーナは天才だが、エリスは努力の天才。いわば大器晩成型の人間だ、もう少し私の娘を信じたらどうだ?」
「……」
エリスは追い込まねば成長しないというのに家令の発言は甘いと言わざるを得ない。
何度もエリスには努力という言葉を使い励ました。
「差し出がましいようですが……エリス様がお辛そうです」
「——旦那さまっ!!」
ノックもなしに使用人が執務室に入ってきた。その無礼に声を荒げて叱る。
「何事だ! 入室を許可した覚えはないぞっ!!」
「申し訳ございません。しかしエリス様がお倒れになりました」
「な、なんだと……?」
厳しくしていたとはいえ、自分の娘が倒れたとなれば気が気でない。
医者を呼び、診てもらうと過労のようだった。
ベッドの上に眠るエリスの顔。
その表情には疲れがにじみ出ていた。
疲れていることには気が付いてはいた。
だが、エリスの才能を伸ばすには追い込みをかけるしかなかった。
「……私は間違っていたのか?」
エリスが倒れるまで私は自分の過ちに気が付けなかった。
自身の中の後悔が押し寄せてくる。
「……お母様、お父様。もうボロボロになったお姉さまを見ていられません」
エリスを一番身近で見ていたクリスティーナが辛そうに話す。
「……そうね。あの子には無理をさせすぎたみたい。あなたとは違うのに……」
「期待してのことだったのだが……追い詰めすぎてしまった」
心の底からエリスに詫びる。
父の言葉を信じ、自分の言葉に酔いしれ大切な存在を壊してしまうところだった。
大きな期待を背負わせ後に引けず、エリスの相談も自分で考えた方が成長につながると思い私は何も答えなかった。
これ以上は身を滅ぼしかねない。
どうすればいいのかと悩んだが、クリスティーナが声を挙げた。
「……私がお姉さまの代わりになります」
「クリスティーナ……けれど、妹のあなたは家を背負う必要は」
「大丈夫です。お姉さまにはこれ以上背負わせません」
クリスティーナもまた大きく成長していた。
エリスのおかげで事業の基盤はできた。
これからは家のためにその基盤をどちらがより活かせるかを考えなければならない。
眠るエリスを見る。
エリスにはもう頑張らなくていいと伝えたかった。
◆
エリスにザイアンとの婚約破棄とサンチェス家の当主、事業を引き継がせるということ伝える。
「この婚約がどれほど大切なものか分かっているでしょう? 急にそんな解消なんて」
「……婚約者には妹——クリスティーナがなる。だから心配はいらない」
体調がよくなったらまた事業を手伝ってくれればいい。だが、今は仕事の話をするよりもエリスには何より体を休めてほしかった。
「『努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない』そうおっしゃったのはお父様ではないですか」
「……すまない……私がお前を追い込んだ……お前には無理なことをさせた」
心の底から後悔する。
努力をしていたのは知っていたのに、それを否定してエリスを褒めようとしなかった。認めようとはしなかった。
「お前にはうちの所領に行ってもらう。そこでゆっくりと休みなさい」
「……なるほど、私はもう用なしですか」
「違う……そうじゃない……違うんだ……ただ身体を休めてほしくて」
倒れたエリスの姿を今でも夢に見る。
あんな思いはもうごめんだった。
「……なら、私の気持ちはどうなるのですか」
私はその声にハッとする。
「私の今までの努力は? すべてなかったことにしろということですか? 今までの成果もすべて妹に渡せと? 私の身体が心配? 今更、私の身体のことを考えられるのであればなぜ私の心のことを考えてくださらなかったのですか!? すべてを奪われて終わってもなにも思うことはないのですね!?」
あんな風に声を荒げるエリスを初めて見た。
クリスティーナの頬を叩き、部屋から出ていく。
鳶が鷹を産むなんてことはあり得ない。
蛙の子は蛙だったのだ。
◆
エリスが所領に向かうまでの間に私はエリスのために所領の人事を整えた。
エリスには所領での仕事をしてもらうにあたってすべての権限をエリスに与えることにした。こちらの仕事をこなせるのであれば問題ないと判断してのことだった。
エリスが無理をしないように私の目として働ける人材を屋敷で雇わせた。向こうで好きなことをして穏やかに過ごしてほしい。
だが、エリスの好きなこと。
私は何もわからなかった。いつも勉強や仕事ばかりさせていたな。
エリスとの会話もほとんど事務的なことや仕事の事ばかりだ。報告で聞いていることもあったが、たかだかそれしきの知識で私はエリスを知ったような気になっていた。
所領に向かう日はエリスに申し訳なくてエリスと目を合わせて見送ることができなかった。
時間を空けてからエリスに任せてある領地を訪ねる。
エリスが作った基盤にクリスティーナが事業を引き継いでくれるので私たちは心置きなくこちらへと来れた。
王都から遠く離れたこの地は騒がしさなどなく、田舎で穏やかな土地だ。身体を休めるにはちょうどいい環境だ。
屋敷に入る。
だが、エリスは私たちを出迎えてはくれなかった。屋敷のメイドが私に頭を下げる。
「エリスはどうしたんだ?」
「……旦那様がお見えになると分かるとすぐにお部屋に戻られてしまいました。お引止めしたのですが……」
愕然とした。
明確に避けられている。その日は屋敷に泊まったがエリスの姿を目にすることすら叶わなかった。
クリスティーナを利用してエリスを弄ぶような私の姿に何を思ったのだろう。すまないエリス許してくれ。
「すまない、すまない……」
私は扉の前で遅すぎる謝罪を繰り返すしかできなかった。何度も許しを請うしかない。涙を流すことしか私にはできなかった。
エリスには支えてくれる人間が必要なのだと思った。
私はエリスに縁談を勧めてみたが、エリスは何の反応もない。
後悔ばかり募る毎日だ。
自分の行いを振り返る。
私はエリスに努力を強要してしまった。努力せざるを得なくする環境を私は作ってしまったのだ。自分の価値観を押し付けてしまった。幼い頃からそのように育ってきたエリスは疑問にすら思うことはなかったのだろう。
今度こそは間違えない。
5年以上経過してもエリスには一目も会えなかった。
その間にクリスティーナが結婚し、孫が生まれた。
クリスティーナもエリスに会いたいと言っていた。
私と妻。クリスティーナとザイアン、そしてその子供と一緒に領地を訪れた。
「お姉さまは?」
「……私たちが来ても出てこないのよ。いつものことだから安心して」
「そうですか」
いつも通りエリスは出てこなかった。
もうそれが当たり前のように受け止める妻——ソフィア。
昔から妻はエリスよりもクリスティーナを可愛がっている節がある。出来のいい子ほど可愛がりたくなるのも分かる。そのことに気が付いていたが昔の私はそれを良しとしていた。今更、私に何も言えることはなかった。なんと言っていいのかもわからない。
「ねえ、このバラを屋敷に飾って。私が育てたバラなの」
「かしこまりました」
クリスティーナは持ってきたバラを渡す。
エリスはこちらに来てからガーデニングを趣味としている。クリスティーナはそれを真似て新種のバラを開発したようだった。エリスのガーデニングの趣味を聞いてソフィアは怪訝な顔をしていた。庭いじりを趣味としている貴族は多いが虫などが苦手なソフィアはよく思っていないようだった。
「そういえば湖に遊覧船があるの。みんなで行きましょう」
ソフィアに促されて私たちは湖へと向かう。
屋敷ではメイドたちが屋敷をバラで彩るために動き回っていたのが見えた。
湖から帰ってくると信じたくもない光景が広がっていた。
クリスティーナが育てたバラたちは無残に花弁を散らし、割れた花瓶が「もう元には戻らない」とまるで私たちの関係を象徴するかのようだった。
5年ぶりにエリスの顔を見た。
大人っぽくなった娘の冷たく気高い目元は家族を見るような目ではなかった。報告では落ち着いた日々を過ごしているようだったが、エリスを見て私たちは来るべきではなかったのだと悟る。
「使用人も全員いなくなるから、今日から給仕も世話もできないわね。もうお帰りください」
この館にいた使用人たちはすべて解雇となり、私たちは屋敷から追い出された。
メイドたちがいなくなればエリスの近況を知ることもできなくなる。それだけはダメだ。私の息のかかった使用人を雇ったのは自殺などという最悪の事態を避けるためだ。また新しく雇用しなければならない。
「そんな無駄な努力をする暇があれば仕事をしなさい。すきでしょう? 私から奪ってまで手に入れたものなんだから」
無駄な努力——エリスの口からそんなことを言わせてしまったのは私の過ちだった。
◆
それからしばらくして家令に家の者たちの様子がおかしいことを報告される。
「はあ? ザイアンが家のワインを全て叩き割った!? わ、私のもか!?」
「全て、です」
「……」
呆れた。
鬱陶しいくらいにワイン、ワインと言っていたのに。
なんでも以前のパーティーで恥をかかされたのは聞いていたが、とうとう気でも狂ったのか。
「なぜそのような……」
「……旦那様はエリス様が書かれた本を知っていますか?」
「……エリスの本? なんだそれは?」
エリスが本を書いていたなどと初めて聞いた。
「やはりご存じありませんでしたか。書店でメイドが見つけ騒いでおりましたよ」
「なぜ、そのことを報告しなかったんだ?」
「私も読みましたが……知らぬなら知らぬ方がよいと思いました」
気まずげに頭を下げる家令。
そんな妙な様子に腹が立った。
「馬鹿なことを言うなっ!! それは報告すべきことだろう!!」
私は怒鳴り、家令にその本を持ってくるようにと命令した。
◆
「……まさかこんな……」
その日のうちに本を読み終え、私は絶望した。
その本の登場人物はまるで私たちのようだった。
フューリーの築き上げてきた物を奪い、絶望させることを楽しんでいた存在。
もしかしてエリスには私たちはこう見えていたのか。
そして、最終的にはフューリーによって無残に殺される。因果応報だが、私たちに殺意すら覚えていたのかと目元を押さえる。
殺された人間は私たちに類似している点が多すぎる。
読む人間が読めば、これは私たちがモデルということがすぐに分かる。家令やメイドたちはそのことを察した。そして、恐らくクリスティーナもこの本——『サン゠ジュスト家の怪死事件』を読んだのだろう。
エリスはそれを狙ってこの本を書いたのか。
だが、登場人物で1つ気になることがあった。
そこはエリスに聞けばわかるだろうか。
「……エリスに会いに行こう」
エリスに会って何をしたいのかは分からない。
翌日に、エリスに会いに行くため馬車を出し領地へと向かった。
◆
領地へ続く道を人を乗せて馬車が走る。
このあたりは治安がいい。今まで何度も通った道だった。
王都から離れるにつれガタガタと馬車の揺れは激しくなる。
森に差し掛かった一行は、短い休憩を終え、また動き始める。しかし、私たちが動き出してからすぐに外の様子がおかしくなった。
「ど、どうした?」
私のそんな声と同時に外が騒がしくなる。
ダーンと鳴り響く轟音。
銃声だった。
「どうした! 一体何が——」
困惑する私の声をかき消すように、大勢の男たちの乱暴な声と、馬の鋭い嘶きが聞こえた。
唐突に、バンッと激しい音が響いた。
馬車の扉が外から開かれたのだ。
馬車の中に伸びてくる無数の手に私は引きずり出される。
外に立っていたのは見知らぬ男たち。
明らかに無法者とわかる容貌をしている。御者や従者たちはすでに倒されており、亡くなっているのか気絶しているのかは分からない。
「……おい。こいつか?」
「ああ、こいつの所為で俺たちの土地が……家が……」
「連れていけっ!!」
「や、やめっ——!!」
そのまま私は森の奥へと連れていかれた。
彼を襲ったのは彼の事業により土地を追われた人たちだった。乱暴な開発や強制的な立ち退きを迫られ住む土地を奪われた者たちは明日をも知れぬ身となり、その原因に恨みを募らせていた。
彼がこの時間帯にここを通ることや護衛を連れていないなどの情報を流したのは彼の娘——フューリーだった。
仮面の奥にある冷たい目で連れ去られる父親を見送る。
死んだ男の名はヒース・サン゠ジュスト。
死因は複数人による暴行死だった。土地を奪われた者たちにあらん限りの暴行を受け、発見されたときには顔は腫れあがり、面影はほとんどなかったという。
そして、彼を襲った犯人たちはまるで証拠を残さなかった。
衝動的な犯行ではなかった。計画的で、緻密だった。
犯人を捜そうにも容疑者が多すぎる。
誰も彼もが口裏を合わせ、犯人は見つけられなかった。
◆
小説と同じにならないように護衛を連れていく。領地に行くための道のりで過去にも強盗があったという話を聞いたこともある。
それに私は何処かでエリスを恐れていた。
エリスのいる領地へと向かう。家令には「エリス様のお気持ちをお考え下さい」と止められたが居ても立っても居られなかった。
あの小説を読んだ。
何を想ってエリスはあの小説を書いたのか。
それほどまで私たちを恨んでいるのか。
なんでもいいから知りたかった。
可能な限りエリスに償おう。
今度はちゃんとエリスの話を聞いて——
◆
「エリス様は現在お留守にしております。屋敷にはおられません」
「……は?」
エリス個人が雇ったであろう家令にエリスの不在を伝えられる。
エリスには領地の全権を与えてある。だから、現在の人事について私は何も知らない。
「どこかに行ったのか?」
「さあ? 私たちにはわかりかねます。いつもふらりと帰ってきますので……それにそちらもアポイントはありませんでしたよね?」
家令は何処か私たちを馬鹿にしたような口調だった。
「ああ、失礼。私はこの屋敷の管理を任されておりますが、田舎者ゆえ礼儀にはご容赦を」
「エ、エリスは領主としての仕事もしていないのか?」
「代官を雇われておりますので。そちらでも領地経営については確認をしっかりとされているはずですが? 領地でなにか問題がございましたか?」
王都で働く貴族が己の領地に代官を立てるのは珍しくもない。実際、エリスがここに来るまでの間も代官を雇っていた。
だが、あのエリスが自分の仕事を他人に任せていなくなるなんて思わなかった。
「いつ帰ってくる?」
「さあ? 私たちにはわかりかねます。ご自身でお尋ねになっては?」
「貴様っ! なんだその態度は!!」
へらへらと笑い、すっとぼけるように答える仕草に私はやはり馬鹿にされていると感じる。
「申し訳ございません。田舎者ゆえご容赦を」
「いったいどこの田舎の生まれだっ! 無礼すぎるっ!!」
「……」
私の言葉にすっと家令の男の表情が消える。
やがて、屋敷の人間たち全員が私を見据える。
「……あなた方が奪った田舎ですよ……」
◆
逃げるように去っていく馬車を見つめる屋敷の使用人一同。
「「ぷっ……」」
やがて馬車が豆粒ほどの大きさになると屋敷の人間たちは一斉に笑った。館全体が笑いに包まれる。
「見たかよ、あのツラっ!!」
「マジでビビってたなー」
「あー、やっべえ。笑えるわー。あの偉そうな貴族様の顔ときたら! みんなにも教えてやろうぜ」
彼らの表情はみんな悪戯が成功した子供のような心底楽しいという笑顔だった。中には涙まで流している人もいる。
「あー……全部がエリス様の思い描いていた通りになったな」
「多分、王都に着くまでずっとビビってるだろうぜ。あの小説みたいにならないようにな。くっふふふ……」
「お前のあの最後のセリフが効いただろ」
「いやいや、ここにいる全員が一斉に睨みつけたのもあるだろ」
ここにいるのはサンチェス家たちの事業で土地を追われた人間だ。
エリスは行く宛のない人たちを自身の領地へと招いていた。自身の土地を奪った憎い相手の家だが、エリスだけは特別だった。誰よりも真摯に自分たちのために取り組んでくれたエリスをここにいる全員は慕っていた。
だからこそ、エリスを苦しめたサンチェス家の人間はここにいる使用人たちとっては敵だった。
その敵をやり込めたことや、それ以上に自分たちの土地を奪った憎い敵に一泡吹かせたというのは非常に痛快だった。
「これからはあの方には自由に過ごしてほしいからな」
「「陰険かもしれないけど、言葉にしてみたらすっきりしたわ」ってこんな本を書くんだもんな。十分すげえよな」
「国外にも広がってるみたいだ」
「わざわざ俺たちが作ったワインやモデルとして俺たちを小説に使ってもいいのかって確認を取られたな……」
「下手をすれば実際に手を出していた可能性もあるからな」
復讐を考えたことはあった。
だが、貴族に手を出せば自分たちの家族の身も危ない。
エリスは自分たちの中で燻っていた思いを最高の形で発散させてくれた。
これからも彼らはエリスがいつ帰ってきてもいいように領地を守り続ける。
◆
王都から遠く離れたこの土地は作家のエリスが治めた土地として有名になった。
この土地の屋敷には創作のためにいろいろな地を巡るエリス宛にファンレターが多く届いた。
後年、穏やかな気候に自然あふれる長閑な土地は、老後に暮らしたい場所として一番に名前が挙がるほど魅力的な田舎となり、ワインやチーズなど素朴なグルメも楽しめる土地として知られていくことになる。エリスもこの土地のワインを愛した。
「あそこに行けば殺される」と怯え、ある一家はこの土地に入ることはもう二度となかったという。
そして、これはエリスも知らなかったことだが、今回のエリスの復讐の中で小説とは別に実際に一人だけ亡くなった人間がいる。
その死の一因には少なからずエリスも関わっていたが、彼女は最後までそのことを知ることはなかった。
それは小説『サン゠ジュスト家の怪死事件』で亡くなったモデルの内の1人だった。
皆様に読んでいただき感謝です。
もうすぐ完結予定でいますが完結し次第、短編から連載へと変更したいと思っております。




