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鳴神の嫁取り 〜橋の下で拾った龍神様に、十五年越しに溺愛されています〜   作者: まきぶろ


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10/26

 少し前、龍臣が通された応接室では奇妙な沈黙が続いていた。

 龍臣は床の間に背を向けた位置に座っていた。

 御影宗継と要は、その向かいに跪いている。いや、跪いているというより、神威に押されて立ち上がれずにいた。

 宗継は当主としての体面を保とうとしている。

 要は、龍神が本当に御影家まで現れたという事実を前に、さっきまで姉を軽んじていた言葉をどこかに飲み込んでいた。

 菊乃はこの重圧から逃げるように、「お茶を用意させていただきます」と言って厨に行ったはいいが、来客用の上等な茶葉の場所が分からずに千咲の部屋に向かおうとしていた。


 そして晴親は、龍臣の後に御影家にやってきていた。迎える者が誰もいなかったため勝手知ったる婚約者の家に上がってきて、この現場に遭遇したのだった。

 神祇省での騒ぎは鷹宮家の者達と一緒に見ていたが、あの後澪を案じて御影家を訪れたらしい。案じて、というより、納得できなかったのだろう。


 澪ではなく千咲が選ばれた事。自分の婚約者に与えられるはずだった栄誉が、御影家の地味な長女に奪われた事。龍神がその長女を守ると言った事。

 晴親には、どれも受け入れがたかった。


「鳴神様」


 晴親は、若い顔を怒りで赤くしていた。

 相手が神である事は分かっている。

 それでも、澪を守る自分に酔っているせいか、恐怖よりも怒りの方が勝っているようだった。


「恐れながら申し上げます」


 声は震えていた。しかし、その震えを本人は義憤だと思っているようで、自分は一切間違っていないと確信している輝きがあった。


「あの女は、澪の姉というだけで、何の力もない者です。声をかける相手を間違えるなど、神でありながら恥ずかしくはないのですか」


 龍臣は、何も言わなかった。応接室の中の空気がズンと重くなったのに気付かないまま、晴親は沈黙を自分の言葉が通った証だと勘違いしたらしく言葉を続ける。


「水神の加護を受けた、あなたが寵を与えるべき巫女は澪です。澪こそが神に愛されるべき娘だ。あんな、実家で家事手伝いをしているだけの女などではなく――」


 その言葉が終わるより先に、龍臣の神威が爆ぜた。応接室の中に、暴風雨が生まれる。

 開いてもいない障子が軋み、畳の上を水気を帯びた風が走る。床の間の掛け軸が大きくはためき、その前に活けられた花瓶の水が宙に浮き、茶器ががしゃんと割れた。

 家全体も大きく軋み、部屋の灯りが青白く揺れる。

 雷の匂いがした。

 雨は降っていないはずなのに。

 それなのに、応接室はまるで山の中の嵐に呑まれたようだった。


「小僧」


 龍臣の声が落ちる。低く、冷たく、重い声だった。


「今、誰を侮辱した」


 晴親は、ようやく自分が龍臣を怒らせた事を理解したようだった。

 顔から血の気が引き、後ずさろうとして、膝から崩れ落ちる。


「ぼ、僕はただ、澪を」

「俺の前で千咲を侮る口を、まだ動かすか」


 風がさらに強くなる。宗継が畳に手をつき、腰の抜けた要は尻を引きずって完全に壁際まで下がっていた。

 龍臣の目の中には、雷が渦巻いていた。荒ぶる龍神。かつて神々を傷つけ、大神に罰せられた神。

 その一端が、狭い応接室の中に現れていた。



   *



 私が応接室へ駆け込んだ時、そこは私が見慣れた我が家の一室ではなくなっていた。

 畳の上を冷たい風が渦巻いている。床の間には割れた花器の破片が散り、大雨の時のように空気が重く湿っていた。

 龍臣様が、その部屋の中央に立っている。

 その背中から、青白い神威が立ち昇っていた。


 恐ろしい……そう思った。

 知っていたつもりだった……龍臣様は、龍神なのだと。

 広間でも、その神威に人々は膝をついた。母を、家族を、私を傷付ける言葉から守るために怒ってくださった。

 でも、目の前で自分の家の一室が……家族が嵐の前に晒されているのを見ると、体がすくむ。

 龍臣様が本当に神様なのだと、改めて思い知らされた。

 人とは違う。私達とは違う。

 この方が本気で怒れば、家ひとつなど、いえ国一つが簡単に壊れてしまうのかもしれない。


「龍臣様……」


 私の声は、自分でも驚くほど小さかった。けれど、龍臣様はすぐに振り向いた。

 その瞬間、部屋の中を吹き荒れていた風が止まる。

 廊下まで溢れていた神威が、すっと引いていく。明滅していた灯はまたいつも通り落ち着き、はためいていた掛け軸も、浮いていた水滴も何もなかったようになる。

 龍臣様を中心にバチバチと鳴っていた、遠い空の黒い雲が纏うような青白い閃光もゆっくりと消えていった。


「……すまん」


 私を見た龍臣様は、低く言った。

 さっきまで応接室を嵐に変えていた神様が、私の前で頭を下げるように声を落とした。


「お前を怖がらせるつもりではなかった」


 怖かった、それは本当だ。

 でも……私が声を出した瞬間、龍臣様は止めた。父や晴親さんを威圧していた力を、すぐに収めてくれた。

 私が怯えたから。私を怖がらせないために。

 そう気付いた瞬間、怖さとは別のものが胸に広がった。


 この方は、本当に私を傷つけるつもりがないのだ。

 とても強いお力を持った神様で、怒れば嵐が起きてしまうような方なのに。それでも、私が怖がったと分かったら、すぐに止まってくれる。

 そんな事、今まで誰がしてくれただろう。

 今まで私が泣いても、傷付いても、やめてと言っても家族は誰も私の気持ちを尊重してくれなかった。

 でも龍臣様は神様なのに、私を怖がらせた事を謝ってくれる。


「……大丈夫、です」


 声が震えた。龍臣様の眉が、少しだけ寄る。


「本当か」

「はい。少し、驚いただけで」


 けど思わず気を遣ってそう言ってしまった時、また私は自分の気持ちを偽っている事に気付いた。神様相手に嘘を吐いてしまった後ろめたさをつい、少し感じてしまって。


「……いいえ、少し、怖かったです」


 そんな事を言ってから、自分で驚いた。相手を悪者にする言葉なんて、いつもなら飲み込んでいたから。

 でも、龍臣様は怒らなかった。


「そうか」


 龍臣様は静かに言った。


「なら、次は気を付けよう」


 私を気遣ってくれる様子に、胸の奥がまた少し温かくなった。


「支度は出来たか?」


 そう聞かれて、私は風呂敷を抱え直した。

 祖母の筆と硯箱。少しの着替え。私の荷物は、それだけだ。

 でも今は、その小さな荷物が、思っていたより重く感じた。

 家を出るという事は、ただしばらく家以外の場所で過ごす事ではないと、ようやく分かり始めていた。

 私は龍臣様の隣へ一歩だけ近付く。


「支度は、できました」


 そう言った途端、母が弾かれたように顔を上げた。


「千咲、本気なの?」


 その声は、泣き出しそうにも、怒っているようにも聞こえた。


「あなた、本当にこの家を出ていくつもりなの? 自分が何をしているのか分かっているの?」


 私は風呂敷を抱えたまま、指先に力を込めた。

 急に自分が、とてつもなく悪い事をこれからしようとしているような気持ちになってしまう。


「お母様、私は……」

「あなたのせいで澪がどれだけ恥をかいたと思っているの」


 母の声は震えていた。私はその言葉を聞いて、胸の奥の深いところがすうっと冷たくなるのを感じた。


「帝もいらっしゃる前で、あの子がどんな目で見られたか分かるでしょう? 水神様の加護を受けた娘として、今日までどれほど大切にされてきたか、あなたも知っているはずよ。それなのに、あなたが……」


 母はそこで言葉を切り、唇を噛んだ。

 その先を言わなくても何を言おうとしていたのかは分かる。

 私が……澪から奪った? 台無しにした?

 そう言われている気がした。


「千咲」


 父の声が低く響く。

 父は散々に荒れた部屋の中で、私を見ていた。

 その顔にあるのは心配ではない。怒りと、焦りと、家の体面を傷つけられた事による苛立ちだ。


「今ならまだ間に合う。鳴神命に、やはり自分には畏れ多いと申し上げなさい」

「お父様……」

「長女なら、家に迷惑をかけるような真似をするな」


 父は当然のように言った。


「審議だけでも御影家にとっては一大事だ。そのうえ、お前が龍神様の神域へなど行けば、世間がどう見る。お前の軽率な振る舞いで、澪もこの御影家もどれだけ困るか」


 私は、家族を困らせているのだろうか。

 家族から少し離れたいと思った。それは、軽率な事なのだろうか。


「お姉様」


 澪の声がした。振り向くと、澪は水色の振袖の袖口を握りしめて立っていた。

 あんなに綺麗だった着物は、少し乱れている。髪飾りも片方だけ揺れて、今にも落ちそうだった。

 その姿を見て、胸が痛む。

 澪の晴れの日を台無しにした……そう思いかけた時、澪が叫んだ。


「こんなの、おかしいわ」


 涙の混じった声だった。


「だって、水神様の加護をもらっているのは私なのよ。十五年前から、ずっと私が特別だったの。神祇省の方々も、お母様も、お父様も晴親様もみんなそう言っていたわ」


 澪の目が、私を責めるように濡れていく。その白い頬に、一つ二つと水滴が流れた。


「なのに、どうしてお姉様なの? どうしてお姉様なんかが龍神様に連れて行ってもらえるの?」


 お姉様「なんか」。

 その言葉は、たぶん澪の本音だった。

 私は澪の姉で。澪のために髪紐や身の回りのお世話をして、代わりに御札を書いて。

 澪が困らないように、澪が恥をかかないように、澪が特別な娘として見られるように支える存在……それが、澪にとっての私なのだ。


「お姉様が行ったら、私はどうすればいいの」


 澪の声が少しだけ幼くなる。


「私の御札だったのに、書いたのはお姉様だなんて言われてどうしたらいいの。このままお姉様が勝手にいなくなったら、私が困るじゃない。ねぇ、ちゃんとあれは何かの間違いだったって否定してきてよ」


 あれ……それは、私が悪いんだっけ。

 でも、澪を泣かせてしまった。その事実にあまりにも焦った私はつい、ごめんなさいと言いそうになった。

 澪の言う通り、いつものように私が少しだけ我慢すれば、この場は収まる。


 ……そう思った瞬間、喉が詰まった。嫌だ、と思ってしまった。

 静かにそこに立つ龍臣様は、何も言わなかった。母の言葉にも、父の言葉にも、澪の叫びにも、まるで価値を置いていないように見えた。

 いいえ、聞こえていないわけではない。その目は確かに家族を見ている。

 けれど、龍臣様はそれらの言葉に応じなかった。

 言い訳も、反論も、説得も……ただ、私を見ていた。


「千咲」


 低い声だった。

 その声を聞いた瞬間、家族の言葉でいっぱいになっていた頭の中が、少しだけ静かになった。


「行けるか」


 それだけ。

 龍臣様は私以外を見ていない。雷の宿ったその目に真っ直ぐ見つめられて、私は風呂敷を抱きしめた。


 胸が痛い。

 私は悪い娘なのだろう。悪い姉なのだろう。悪い長女なのだろう。

 家族が困ると分かっていて、それでも家を出ようとしている。

 そう思うと、足元が揺れた。……でも、ここに残ったら。

 私はまた、無理して笑わないといけなくなる。澪のために……母のために。家のために。

 龍神様が目をとめた御札はたしかに澪が書きました、何かの間違いですと嘘をつかなくてはならなくなる。

 私が祈りを込めて書いた御札なのに、私のものではないふりをして。

 傷ついたら笑って。嫌がる自分が悪いと言って。家族の空気を守るために、私を少しずつ削っていく。

 それは嫌だ、そう思った。思ってしまった。


「……はい」


 声は、小さかった。けれど、自分が心から望む言葉だった。


「行けます」


 そう言った瞬間、母が息を呑む音が聞こえた。


「お姉様のせいよ」


 涙をこぼしながら澪が言った。


「お姉様のせいで、おかしくなったのよ。今日龍神様に選ばれるのは私のはずだったのに」


 その言葉に、胸がまた痛んで反射的に謝りそうになった。

 でも、龍臣様が私の横へ立って、私の肩にそっと触れた。

 っ……近い……神様の気配が、すぐ隣にある。私はあまりの畏れ多さに思わず身を縮めた。

 龍臣様は澪を見なかった。

 ただ、私の持つ小さな風呂敷を一瞥してから、ほんのわずかに眉を寄せる。


「それだけでいいのか」

「はい」

「そうか」


 それ以上、何も言わなかった。

 哀れむでも、呆れるでもない。ただ、私の荷物がそれだけである事を、そのまま受け止めたようだった。


 龍臣様は、私の方へ手を差し出す。

 私を急かせるものではなく、私が自ら手を取るのを待ってくれているような手だった。

 温かくて、大きな手。大広間で触れられた時の事を思い出しながら、私はそっと自分の手を重ねた。


「では出ようか」


 その声に逆らえる人はいなかった。

 母が何かを言いかけた。父と要は、口を開けたまま惚けていた。

 澪は泣きながら、着物の袖口を皺が寄るほど強く握りしめている。晴親さんは、龍臣様がいらっしゃらなければ私に掴み掛かっていたのではないかと思うほど憎悪を向けてきていた。


 龍臣様の神域に行くという、私の選択を責める家族の目から逃れるように顔を背けた。罪悪感が後から後から湧いて来る。

 私は家族を傷つけているのだと思った。それでも、足を止めなかった。

 龍臣様に手を引かれ、廊下へ出た私の背中を母の声が追いかけてくる。


「千咲、待ちなさい」


 だから、振り返りそうになった。

 振り返って、謝って、いつものように笑って受け入れそうになった。

 けれど、龍臣様の手が私の手を包んでいる。


 その手は、私を無理に引っ張ってはいない。でも、私が振り返りそうになるたび、ここにいると知らせるように、ほんの少しだけ温もりをくれる。

 私は風呂敷を胸に抱き、中でカタカタ動く祖母の筆が傷付かないようにそっと支えた。


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― 新着の感想 ―
荒れてた時代ならこの場で普通にぶっ殺してたんだろうなぁ 愛の力で追放取り消しまで行った神は違うね
家族とおまけ1名にはこの言葉を・ 「必死だなw」 「顔真っ赤だぞw」 「涙拭けよw」
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