赤ふん
「何やっているの?」
上杉藤生は言った。
「靴を揃えて、こんな所に立っているんだ。君、頭が悪いの?」
中学の屋上で、杉田勇気は言った。
「何だよ。まだまだ戦えるじゃないか」
上杉は、杉田の三メートル手前で立ち止まったまま言った。
「上杉君だったね。僕がいじめられているのに、何もしない、その他大勢の」
「そうだよ。杉田だって、誰にも助けてくれとは言わなかったじゃないか」
「そんなこと、言えると思っているのか。本当に君は頭が悪いな」
「俺のこと、何も知らないくせに頭が悪いと決めつけるのは、結論を急ぎすぎてないかい。今やろうとしていることも。なぜ、そんなに急ぐんだ?」
「君だって同じことをするさ。もし、僕と同じ立場だったら」
「また、結論を急いだね。結論を出してしまうと、楽しみがなくなってしまうだろう。何でも、答えを探す過程が楽しいはずなのに。お前は、人が一番楽しいはずの過程を捨てようとしているんだ」
「屁理屈ばかりだな。さっき言ったことは撤回する。上杉君は頭がいいんだね。すまなかった、結論を急いで」
「許してあげるよ。だから、教えてあげる。俺は、トランクスもブリーフも履かない。親が許してくれないから」
「何を言っているんだよ。この状況で。分かった。結論は急がない。それで、何を履いているの?」
「決まっているだろう。日本人だからさ。褌さ。それも赤いやつ」
「馬鹿言うな」
杉田は笑った。
「見せてやるから、来いよ」
杉田は、屋上の縁から上杉の元へ歩み寄った。
上杉はベルトを緩め、チャックを下ろし、赤い褌を杉田に見せた。
「ほらっ。どうだ。赤ふんだ。参ったか」
上杉は得意げに言った。
「参らないけど、どうしてだ?」
「そんなことも分からないのか。これから相撲を取るのだ。俺とお前で」
上杉はシャツも脱ぎ捨て、赤ふん一枚になって四股を踏み始めた。
杉田は仕方なく、上杉ほど足が上がらないが、見よう見まねで四股を踏んだ。
力が湧いてくるのを感じた。
「手加減はしなくていい。思いきりぶつかってこい」
上杉は遠慮なく、杉田を投げ飛ばした。
杉田は何度も向かっていったが、上杉を転がすことはできなかった。
別れ際、上杉は杉田に言った。
「林たちに言っておけ。俺の赤ふんのこと。そしたら、奴らは対象をお前から俺に変えるだろう」
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三十年後、杉田は思わぬ形で林竜次と再会することになる。
杉田は、某電子機器メーカーの営業部長を務めていた。規模は小さいが、技術的には優れている。杉田自身、部長まで昇進するとは思ってもいなかったが、上司は杉田の、どんな小さな案件にも真摯に向き合う姿勢を認めていた。そんなアットホームな会社であった。
日本最大手の堤自動車から、自動運転絡みの部品コンペを行うと、杉田の会社に参加案内が届いた。堤自動車の場合、受注すると五年間その部品は製造され、年間五百万個規模になる。今回のコンペの部品単価はおよそ千五百円で、売上は三百億円を優に超える。このコンペには、外資のメガサプライヤーも含まれていた。
一回目のプレゼンは、堤自動車が抱える課題に対し、どのようにアプローチするかが求められた。杉田の会社も独自の対策を提案し、見事、次のステージに進んだ。
二回目のプレゼンでは、一回目の提案が成立することを、具体的なデータを使って説明することが求められた。そして、価格帯の提示である。杉田は技術部と何日も徹夜でデータと格闘した。営業部でありながら、技術的な準備にも積極的に参加した。
二回目のプレゼン当日、杉田は二社目だったため、待合室で一社目が終わるのを待っていた。
プレゼンを終えた一社目の中に、見覚えのある男がいた。相手も杉田に気づいたようで、
「あれ、意気地なしじゃないか!」
名前と性格が真逆だったので、林が中学時代につけたあだ名であった。
杉田は内ポケットから名刺入れを取り出し、
「杉田と申します。○○メーカーで営業をやっています」
と、両手で名刺を差し出した。
「へえ、部長なんだ」
「俺はまだ課長待遇。まあ、会社の規模が違うけど」
そう言いながら、右手で名刺を渡した。英語表記側を表にして。
「ありがとう。これからプレゼンだから」
「まあ、頑張ってくださいな」
そう言い終えると、林は自社のメンバーが待つ輪に戻った。
「Hayashi-san, do you know that guy?」
部長のマイクが言った。本社から日本に三年の任期で出向していた。
「Yes. We will win this competition for sure.」
(はい。このコンペ、楽勝です)
-------最終プレゼン当日
最終プレゼンまで残ったのは、二社であった。
待合室で、林は英語でマイクと大きな声で話していた。時折、杉田に見下した目を向けた。マイクがいなければ、林は杉田の側まで来て、何か言葉を発したであろう。
最初に呼ばれたのは、杉田の会社であった。
一時間ほどして、杉田たちが会議室から出てきたが、杉田の様子がおかしい。入る時にはきちんと締められていたネクタイを右手に持ち、シャツもズボンから八割ほど出ていた。急いで前側だけズボンに入れたのだろう。
「お疲れ様でした」
林はニヤニヤしながら言った。
「この間、お前に会ってから、お前と中学の時、仲が良かったやつの名前を思い出そうとしているんだが、思い出せなくて。何て言ったっけ?」
「私も、卒業して以来、会っていなかったから」
「いや〜、大事なプレゼンの前に気持ち悪くて」
「Hayashi-san, what are you doing? Hurry up! If you lose this, you are done!」
(林、何をしている。早くしろ。これを落としたらクビだからな)
マイクは声を荒げた。
林たちはプレゼンルームに入った。
堤自動車側の顔ぶれは、部長以外は前回と同じである。
林は緊張しながら、名刺を堤部長に両手で差し出した。
「林と申します。本日はよろしくお願いいたします」
言い終えると、
「――赤ふんです」
と、堤は林に名刺を差し出した。
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杉田は会社に戻り次第、木村社長に報告した。
「杉田部長、聞いたよ。堤部長と相撲を取ったって本当か?」
木村はハンカチで額の汗を拭いながら言った。
「私も知りませんでした。堤部長が中学の同級生だとは。現・堤自動車社長の婿養子になっていて、名字が変わっていたのです」
「それで、相撲の経緯は?」
木村は身を乗り出した。
「堤が言ったのです。『杉田、お前、また結論を急いでいないか。お前の会社は選ばれない』と。そして、いきなりズボンを下ろし始めて、私が相撲で堤に勝ったら我が社に決めると。私は必死で頑張りました。営業で毎日歩いていましたから、足腰には自信があります。だから、堤部長を投げ飛ばしました」
「お前、本当に部長を投げたのか?」
「ええ。借りがありましたから。すると堤は、こう言ったのです。
『今日が二回目だ。赤ふんを締めるのは。一度目は、お前の《過程》を見たくて、わざわざ締めてやったのだ』と」
「そんな話はいいから。プレゼンはどうだったんだ?」
「社長、結論は急がないでください」




