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第三話:石碑のルール

遺跡の中で迎える二度目の朝。石の床の硬さと冷たさには、まだ慣れそうにない。昨夜は、あの巨大な石碑の発見とその不気味な存在感のせいで、誰もが落ち着かず、なかなか寝付けなかった。特に小野寺は、考古学者としての興奮と、未知の文字への探求心からか、夜遅くまで松明の灯りを頼りに石碑の文字と格闘していたようだ。彼の目の下には濃い隈が刻まれ、その表情には異様なまでの熱意が浮かんでいた。


朝食は、昨日採れた乏しい木の実と根っこを、焚火で炙っただけの粗末なものだった。それでも、空腹を満たすというよりは、生きるために胃に何かを詰め込む、という感覚に近い。皆、黙々とそれを口に運び、視線は自然と、石碑の解読に没頭している小野寺へと集まった。彼の口から、どんな言葉が語られるのか。希望か、それとも更なる絶望か。私たちは固唾をのんで待っていた。


「…少し、分かってきましたよ…!」


全ての食事が終わるのを待っていたかのように、小野寺が顔を上げ、かすれた声で切り出した。彼の言葉に、ホールの空気がピンと張り詰める。


「この文字は、やはり非常に難解です。しかし、いくつかの繰り返し現れるパターンや、他の古代文字体系との類似点から、部分的にですが、意味を推測することが可能になってきました。そして、どうやらこの石碑には…この島で生きる上で我々が守らなければならない『規則』、あるいは『掟』のようなものが、厳格に定められているようなのです」

「規則だと?」郷田が、太い眉をひそめて聞き返した。「どんな内容だ? まさか、人身御供になれとか、そんなんじゃないだろうな」

彼の言葉は冗談めかしていたが、その声には隠しきれない緊張が滲んでいた。


小野寺は、震える指でノートのページをめくり、解読できた箇所を読み上げ始めた。

「まず…『陽、昇りきる前、聖域に足を踏み入れることなかれ』…とあります。『聖域』が具体的にどこを指すのかは、まだ特定できません。この遺跡の特定の場所…例えば、昨日の壁画があった石室や、さらに奥深くかもしれません。あるいは、島のどこか別の特別な場所という可能性もありますが…いずれにせよ、夜明け前に特定の場所へ行くことは禁じられているようです」

「夜明け前にうろつくなってことか。まあ、夜の森や遺跡が危険なのは当たり前だろうしな。当然の注意書きみたいなもんだろ」郷田は、まだ余裕のある口ぶりで肩をすくめた。


「次に…『島の恵み、我が物として独り占めすることなかれ』。これは比較的解りやすいですね。食料や水など、この島で得られる資源を、個人の利益のために独占してはならない、という意味でしょう。公平な分配が求められているようです」

この言葉が読み上げられた瞬間、黒木が鋭い視線で郷田を一瞥した。郷田はそれに気づかないふりをし、「ふん、当然だろ、んなこたぁ。こんな状況で自分だけ助かろうなんて奴は、どのみち生き残れねえよ」と、さも当然のように言い放った。しかし、その言葉とは裏腹に、彼の目がわずかに泳いだのを私は見逃さなかった。


小野寺は、二人の間の険悪な空気を意に介さず、淡々と続けた。「そして、『定められし道以外、その足で踏みしめることなかれ』。これも、具体的な道の指示はありません。しかし、おそらく島の中には、安全に通行できるルートと、そうでない危険な場所…例えば、断崖絶壁や底なし沼、あるいは、もっと超自然的な意味で『禁じられた場所』が存在することを示唆しているのかもしれません」

「つまり、下手に探検するな、決められた範囲で大人しくしてろってことか」黒木が、吐き捨てるように言った。「窮屈なこった」


ここまでの規則は、解釈の余地はあるものの、まだ辺境の地での生活の知恵や、共同生活を維持するための規律の範囲内とも考えられた。しかし、小野寺が次に読み上げた規則は、明らかに異質で、私たちの理解を超えた、不気味な響きを伴っていた。


「…ええと、これは…非常に解釈が難しいのですが…『呼ばれぬ名を、虚空に放つことなかれ』…と読める部分があります」小野寺自身も、首を傾げながら説明する。「文字通り解釈すれば、誰かに呼ばれてもいないのに、その人の名前を呼んではいけない、ということでしょうか? しかし、それではあまりにも不自然です。あるいは…この島に存在する『何か』、あるいは、かつて存在した『誰か』の、特定の『名前』を口にすることが禁忌とされている…? まるで、呪文や真名のような…」

「なんだそりゃ? 意味わかんねえな」郷田が、いよいよ怪訝な顔になる。「名前を呼ぶな? 馬鹿馬鹿しい」

「でも…なんだか怖い…」栞が、小さな声で呟いた。彼女の隣で、陽菜も不安そうに唇を噛んでいる。確かに、理由の分からない禁止事項というのは、それだけで不気味さを感じさせる。


「そして、もう一つ、さらに不可解な規則があります」小野寺は、さらに声を潜めた。「『鏡、あるいは静謐なる水面に向かい、偽りの己を語ることなかれ』…と。これもまた、謎めいています。この島に鏡があるとは思えませんから、やはり泉や水たまりなどの水面を指しているのでしょうか? そして、『偽りの己を語るな』とは…? 嘘をつくな、という意味なのか、それとも、自分自身を偽るな、という意味なのか…解釈が分かれます」

「鏡に嘘をつくなぁ?」黒木が、今度は嘲るように鼻で笑った。「ますます意味不明だぜ。まるで、子供向けのなぞなぞか、たちの悪い心理テストみたいだな」


小野寺は、重いため息をつき、ノートを閉じた。「今のところ、比較的確からしい解読ができたのは、これだけです。しかし…問題は、まだ解読できていない、この石碑の下の部分です」

彼は、石碑の下部を指差した。そこには、これまでの文字とは明らかに違う、禍々しい印象を与えるシンボルや、より複雑な図形がびっしりと刻まれていた。

「この部分には、おそらく、これらの規則を破った場合にどうなるか…つまり、『罰則』に関する記述があると思われます。そして、ここに多用されているシンボル…例えば、この牙を剥いた蛇のような図形、人の頭蓋骨を模したような模様、そして、この…光を失った黒い太陽のようなシンボル…これらは、古代文明において、一般的に死、破滅、呪いといった、非常に不吉な意味合いを持つことが多いのです」


小野寺の言葉は、それまでのわずかな希望的観測すら打ち砕くには十分だった。拠点の空気は、完全に凍りついた。骸骨、蛇、黒い太陽…そのどれもが、私たちの脳裏に、抗いようのない破滅のイメージを植え付けた。


「…ば、罰則だと? ふざけるんじゃねえぞ!」


最初に沈黙を破ったのは、やはり郷田だった。彼は、恐怖を怒りで塗りつぶそうとするかのように、顔を真っ赤にして叫んだ。

「どこの馬の骨とも知れねえ古代人が作った、ただの石ころじゃねえか! そんなものの脅しに、いちいちビビってられるか! 俺は信じねえぞ! 断じて信じねえ!」

彼はそう叫び、石碑を蹴りつけるような素振りまで見せた。しかし、その足は途中で止まり、彼の顔には隠しきれない恐怖の色が浮かんでいた。彼もまた、心の底では、この規則の持つ不気味な力を感じ取っているのだ。


「郷田さんの言う通りよ! きっと、大げさに書いてあるだけだよ!」陽菜が、震える声で郷田に同調する。彼女もまた、恐怖を否定することで、自分自身を保とうとしているのかもしれない。

しかし、栞はもう限界だった。彼女はわなわなと震え、「嫌…怖い…! 守らないと…絶対に守らないとダメなんだわ…! 破ったら…破ったら、きっと、私たちも…郷田さんみたいに…」と、意味不明なことを口走り始めた。(まだ郷田は消えていないので、この部分は不適切)…破ったら、私たちも消されちゃうんだわ!」と、涙ながらに訴えた。


「だから言ったろ、郷田さん」黒木は、腕を組み、冷ややかな目で郷田を見ていた。「これはただの脅しじゃねえ。警告なんだよ。アンタみたいに、ルールを軽んじて、自分の欲望のままに行動する奴が、真っ先に痛い目を見るんだ。そうなっても、俺は助けてやらねえからな」

「うるさい!」郷田は、黒木の言葉に激昂した。「非科学的なことを信じる奴は馬鹿だ! 俺は、俺の力で、この島から生きて帰る! こんな石ころの言うことなんぞ、聞く必要はねえんだ!」


規則の判明は、生存者たちの間に、修復不可能なほどの深い亀裂を生じさせた。規則を頭から否定し、自らの力を過信する郷田。規則に怯え、思考停止に陥る栞。規則を盾に、他人を牽制し、疑心暗鬼を煽る黒木。規則の謎を解き明かそうと、さらに危険な領域に踏み込みかねない小野寺。不安を隠し、場の空気を和ませようと必死な陽菜。そして、規則の持つ力を冷静に受け止め、静かに警戒を続ける海斗。


私は…そのどれでもあり、どれでもなかった。規則は怖い。罰も恐ろしい。でも、それ以上に、この島の正体、私たちをここに閉じ込めている「何か」を知りたいという気持ちが強い。規則は、その「何か」が私たちに課したルールなのだろう。ならば、その意図を理解することが、生き残るための鍵になるはずだ。


用心しなければならない。海斗の言う通りだ。でも、ただ怯えていては、何も変わらない。意味不明なルール…「呼ばれぬ名」「鏡」…これらにも、きっと何か重要な意味が隠されているはずだ。それを解き明かさなければ…。


その日の夕食は、昨日よりもさらに乏しいものだった。芋はもうなく、木の実も残りわずか。私たちは、黙々とそれを分け合った。誰もが空腹だったが、「独り占め」の規則を意識してか、誰も余分に取ろうとはしなかった。


しかし、郷田だけは違った。彼は、自分の分の木の実を食べ終えると、皆の視線が集まる中、臆面もなく、明日以降のために残しておいた、ひときわ大きく熟した実がいくつか入った袋に手を伸ばしたのだ。


「おい、郷田!」黒木が、鋭い声で制止した。「それは皆の分だろうが! 何勝手に手を付けてんだ!」

「うるさいな!」郷田は、悪びれもせずに言い返した。「俺が管理すると言ったはずだ。それに、リーダーであり、一番体力を使う俺が、少し多めに栄養を摂るのは当然だろうが!」

「ふざけるな! それは『独り占め』じゃねえか! 石碑のルールを忘れたのか!?」

「だから、迷信だと言ってるだろうが! いい加減しつこいぞ、黒木!」郷田は立ち上がり、黒木を睨みつけた。その目は、怒りと、そしてどこか自暴自棄な光を宿していた。「それともなんだ? 俺が怖いか? この規則とやらを破ったら、俺に何か罰が当たるって本気で信じてるのか? 見てろよ! 何も起きやしねえってことを、俺が証明してやる!」

彼はそう言うと、袋から一番大きな木の実を掴み出し、見せつけるように、それを大口を開けて頬張った。


ばりっ、と硬い殻が砕ける音が、静まり返ったホールに響く。私たちは、息をのんで郷田の行動を見守った。


しかし、何も起こらなかった。郷田は、何事もなかったかのように木の実を咀嚼し、飲み込むと、勝ち誇ったような顔で私たちを見回した。

「ほらな? 言った通りだろ? ただの迷信だ。こんなものに怯えてるなんて、馬鹿馬鹿しい!」


郷田はそう言って笑ったが、その笑い声は、どこか空虚に響いた。彼の行動は、勇気ではなく、恐怖を振り払うための虚勢にしか見えなかった。そして、その虚勢が、取り返しのつかない悲劇の引き金になるのではないかという、暗い予感が私の胸をよぎった。


石碑の規則は、本当にただの迷信なのだろうか? それとも、その罰は、もっと静かに、もっと確実に、私たちの知らないうちに執行されるのだろうか?


その夜、私は再び、郷田がこっそりと拠点を出ていくのを見た。彼が向かったのは、昨日と同じ方向。甘い実がなる木、そして…遺跡の奥深く、小野寺が「聖域かもしれない」と推測していた場所。彼は、自らの行動で何も起こらなかったことに気を良くし、さらに大胆になっているのかもしれない。


今度こそ、止めなければ。そう思った。しかし、やはり体が動かなかった。恐怖と、そして心のどこかにある、黒い好奇心。


私は、ただ、暗闇の中で震えながら、彼の無事を祈るしかなかった。遠くで、不気味な鳴き声が、また聞こえたような気がした。

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