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第二話:苔むした石の巨人

石の床の硬さと冷たさが、薄いブラウス越しに容赦なく伝わってくる。夜中に何度か目を覚ましたが、そのたびに感じるのは、体の節々の痛みと、じっとりと肌にまとわりつくような湿った空気、そして暗闇の奥から聞こえてくるような気がする微かな物音への恐怖だった。結局、ほとんど眠れた気はしないまま、空が白み始めていることに気づいた。


拠点のホールには、弱々しいがまだ火が残っていた。昨夜、郷田が持っていたライターで起こした焚火だ。揺らめく炎が、苔むした石壁に不気味な影を踊らせている。他のメンバーも、私と同じようにほとんど眠れなかったのだろう、疲労の色を隠せない表情で、次々と身を起こし始めていた。


「うぅ…体がバキバキだ…こんな所で寝るもんじゃねえな…」黒木が、首を鳴らしながら悪態をつく。

「寒かった…」栞は小さく体を震わせ、焚火に手をかざしている。

「ですが、雨風をしのげただけでも幸運でした。昨夜はかなり冷え込みましたから」小野寺が、眼鏡の位置を直しながら冷静に言う。彼の分析は正しいのだろうが、今の状況で「幸運」という言葉は空々しく響いた。


「ぐずぐずするな! いつまでも寝てるんじゃない!」郷田の大きな声がホールに響き渡った。「今日は本格的に動くぞ! まずは水と食料の確保だ! それから、この遺跡をもっと詳しく調べる! 脱出の手がかりがあるかもしれん!」

彼の強引な仕切りに、またか、と内心でため息をつく。確かに誰かがリーダーシップを取らなければならないのかもしれないが、彼のやり方はあまりにも一方的で、他のメンバーへの配慮が感じられない。


「偉そうに命令するなよ、郷田さん」案の定、黒木が噛みついた。「まずは役割分担だろうが。それに、この遺跡を調べるって言っても、どこまで安全か分かったもんじゃねえぞ」

「うるさい! 文句があるなら一人で勝手にしろ! だが、水も食料も分け前はやらんぞ!」

「んだと、てめえ…!」

早くも険悪な雰囲気になる二人を、陽菜が慌てて止めに入る。「まあまあ、二人とも落ち着いて! 喧嘩しても何も良いことないよ!」

「陽菜さんの言う通りです」小野寺も同調する。「今は皆で協力しなければ。水は昨日見つけた泉がありますから、汲みに行きましょう。食料は…やはり森を探索するしかないでしょうね。遺跡の調査も、危険がない範囲で進めるべきかと」


小野寺の提案は現実的だった。結局、郷田と黒木は渋々ながらも矛を収め、役割分担が決まった。体力のある郷田、黒木、そして意外にも海斗が食料調達班として森へ。陽菜と栞が水汲みと火の番。小野寺は遺跡の調査。そして私は…特にこれといった役割を与えられず、郷田に「拠点周りの整理でもしてろ」と雑用を押し付けられた。少し不満だったが、危険な森へ行くよりはマシかもしれない、と思い直す。


男たちが森へ出発し、陽菜と栞が泉へ向かうと、拠点には私と小野寺だけが残された。小野寺は早速、壁に刻まれた模様や文字の調査に取り掛かっている。私は、言われた通り、拠点として使っているホールの床を掃いたり、荷物を整理したりし始めた。といっても、荷物と呼べるほどのものはほとんどないのだが。


作業をしながら、私は改めてこの遺跡の異様さを感じていた。石壁はひんやりとしていて、外の熱帯の気候とは別世界のようだ。天井は高く、声が奇妙に反響する。壁に刻まれた模様は、どことなく有機的で、植物の蔦のようにも、あるいはもっと不気味な、何かの触手のようにも見える。文字らしきものは、これまで見たどんな古代文字とも異なり、まるで複雑な記号の羅列のようだ。これが本当に人間の手によるものなのだろうか? あるいは、人間ではない、何か別の存在が関わっている…? そんな荒唐無稽な考えまで頭をよぎる。


海斗が言っていた「嫌な感じがする」という言葉を思い出す。彼は、この遺跡の何に気づいているのだろう? 彼が食料調達に行くと言った時、少し驚いた。単独行動を好みそうな雰囲気だったからだ。あるいは、彼もこの遺跡から一時的に離れたかったのかもしれない。私と同じように、この場所に言い知れぬ不安を感じている…?


考え事をしながら拠点の隅の方を整理していると、床に落ちていた枯葉の下から、何か硬いものに手が触れた。なんだろう、と思って枯葉を掻き分けると、それは石でできた小さな人形のようなものだった。高さは10センチほどで、奇妙な仮面をつけ、体をくねらせたようなポーズをとっている。これも遺跡の一部なのだろうか? 不気味な造形に、思わず手を引っ込めてしまう。だが、好奇心に負けて、もう一度手に取ってみる。石はひんやりと冷たく、ずっしりと重い。仮面の奥の、彫られていないはずの瞳が、こちらを見ているような気がして、ぞくりとした。


「水瀬さん、どうかしましたか?」

背後からの声に、私はびくりとして人形を取り落としそうになった。振り返ると、壁の調査をしていた小野寺が、訝しげな顔でこちらを見ていた。

「あ、いえ…なんでもないです。変な人形みたいなものを見つけただけで…」

私は拾い上げた石の人形を彼に見せた。小野寺は興味深そうにそれを受け取ると、眼鏡越しにまじまじと観察し始めた。

「これは…! 土偶のようなものでしょうか…? しかし、この様式も全く見たことがない…。仮面の意匠も独特ですね。もしかしたら、この遺跡を作った民族の信仰に関わるものかもしれません」彼は興奮気味に早口でまくし立てる。「どこで見つけました?」

「あそこの…枯葉の下に」私が指差すと、小野寺は頷き、「なるほど。他にも同様のものが見つかるかもしれませんね。重要な手がかりになる可能性があります」と言って、再び壁の調査に戻っていった。


私は、なんとなくその石の人形を自分のポーチにしまい込んだ。不気味ではあるけれど、この島の謎を解く鍵になるかもしれない、と思ったからだ。それに、少しだけ、お守りのようなものになってくれるかもしれない、という淡い期待もあった。


しばらくして、陽菜と栞が泉から戻ってきた。二人は、木の皮を器用に使って作った その場しのぎの 容器に、なみなみと水を汲んできてくれた。陽菜は「重かったー!」と言いながらも、どこか達成感のある表情をしている。栞も、少しだけ顔色が良くなったように見えた。

「秋穂ちゃん、何か変わったことあった?」陽菜が聞いてくる。

「ううん、特には…。あ、でも、小野寺さんが何か壁の文字を解読しようとしてるみたい」

「へー、すごいね! 何か分かるといいけど…」


それから一時間ほど経っただろうか。森へ行っていた食料調達班が戻ってきた。郷田と黒木は、いくつかの木の実や、食べられそうな根っこを抱えていたが、その表情は険しいままだった。

「チッ、思ったより収穫が少ねえな。こんなんじゃ、すぐに腹が減るぜ」黒木が吐き捨てる。

「森の奥は危険だ。妙な鳴き声も聞こえたしな」郷田も不機嫌そうだ。「食料探しも楽じゃねえぞ」


三人のうち、海斗だけが少し違うものを持っていた。それは、大きな葉に包まれた、赤黒い奇妙な形のキノコだった。

「おい、篠宮、それは何だ? 食えるのか?」郷田が尋ねる。

海斗は、黙ってキノコを差し出した。小野寺が受け取り、匂いを嗅いだり、少しだけかじったりして吟味する。

「うーん…見た目は毒々しいですが、特に刺激臭はありませんね…。少量なら問題ないかもしれませんが…安易に試すのは危険です」

「じゃあ、食えねえのかよ! 使えねえな!」郷田が毒づく。

「待て」海斗が静かに制した。「それは、食うためじゃない。傷に効くかもしれん」

「傷に?」

「ああ。俺が昔いた場所では、これの汁を傷口に塗っていた。止血と化膿止めに効果があった」

「へえ…お前、そんな知識もあんのか」黒木が、値踏みするような目で海斗を見る。「ますます怪しい野郎だぜ」

海斗は黒木の言葉を無視し、私の方を見た。「膝の傷は、どうだ?」

「え? あ、うん、もう大丈夫みたい。ありがとう」突然話を振られて、私は少しどもってしまった。彼は、私の傷のことを覚えていてくれたのだろうか。些細なことだが、胸が少し温かくなる。


その日の午後は、比較的穏やかに過ぎた。乏しいながらも食料と水があり、安全な(と思われる)拠点もある。しかし、それは仮初めの平穏に過ぎなかった。夕方、遺跡の入口付近を調査していた小野寺が、興奮した様子で私たちを呼びに来た。


「皆さん! 大変です! これを見てください!」


彼が指し示す先には、入口近くの広場、その地面に半ば埋もれた状態で、巨大な一枚岩の石碑が突き立っていた。午前中には気づかなかった、あるいは瓦礫に隠れていたのだろうか。高さは2メートル以上あり、表面には、遺跡の壁で見たものと同じ、複雑で奇妙な古代文字がびっしりと刻まれている。石碑の周囲には、枯れた花輪のようなものがいくつも散らばっており、ここがかつて何らかの祭祀や儀式に使われた場所であったことを強く示唆していた。


「これは…!」小野寺は、声を震わせながら石碑に駆け寄った。「間違いない! この遺跡の、そしてこの島の秘密を解き明かす鍵が、ここに記されているはずです!」

彼は、まるで宝物を見つけた子供のように目を輝かせ、すぐさまノートを取り出して、石碑の文字を書き写し始めた。


他のメンバーも、息をのんで石碑を見つめていた。郷田は「脱出方法が書いてあるかもしれんぞ!」と期待を露わにし、陽菜と栞も「これで帰れるかも!」と顔を見合わせている。しかし、黒木は「そんなうまい話があるかよ。罠かもしれねえぞ」と警戒心を解かない。


私もまた、期待よりも不安の方が大きかった。石碑から放たれているような気がする、異様なオーラ。それは、神聖さというよりも、何か禁忌に触れるような、不吉な気配だった。ここに書かれているのは、希望ではなく、私たちを縛るルールや、逃れられない運命なのではないか…そんな予感がした。


ちらりと海斗を見ると、彼は険しい表情で、石碑を凝視していた。その目は、何か恐ろしいものを確認するかのように、鋭く、そして深く沈んでいた。彼は、この石碑に何が書かれているのか、あるいは書かれているであろう内容を知っているのではないか? そんな疑念が、私の心に再び影を落とした。


小野寺は、周りの空気も気にせず、一心不乱に文字を書き写し、解読を試みている。夕暮れが迫り、遺跡に長い影が落ち始める。石碑は、まるで巨大な墓標のように、不気味なシルエットで聳え立っていた。


私たちは、知ってはいけないパンドラの箱を、開けようとしているのかもしれない――。


そんな言いようのない不安を胸に抱えながら、私はただ、小野寺のペンがノートの上を走る音と、風が遺跡の隙間を吹き抜ける寂しい音に、耳を澄ませているしかなかった。

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