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第一話:コバルトブルーの悪夢

じりじりと、瞼の裏を焼くような熱を感じて、私はゆっくりと意識を取り戻した。頭が重い。まるで鉛でも詰め込まれたかのように鈍く痛み、思考がうまく働かない。喉はからからに渇き、唇はひび割れているような感覚さえあった。


「ん……」


自分の喉から漏れた、かすれた呻き声。それが、この奇妙な目覚めの最初の音だった。

ゆっくりと目を開ける。容赦のない太陽光が瞳を突き刺し、思わず顔をしかめて手で覆った。何度か瞬きを繰り返すうちに、徐々に視界が鮮明になってくる。そして、目の前に広がった光景に、私は言葉を失った。


どこまでも続く、白い砂浜。打ち寄せる波は、信じられないほど透明で、エメラルドグリーンからコバルトブルーへと美しいグラデーションを描いている。空は、一点の曇りもなく晴れ渡り、南国の太陽が燦々と輝いている。まるで、楽園を描いた絵画の中に迷い込んだかのようだ。


しかし、その完璧すぎる美しさは、どこか現実感を欠いていた。空気は生暖かく、潮の匂いがする。波の音も確かに聞こえる。五感はここが現実だと告げているのに、頭のどこかで警鐘が鳴り響いている。何かがおかしい。ここは、私が知っている世界のどこでもない。


「ここは……どこ……?」


呟きは、さざ波の音に吸い込まれて消えた。私は、混乱した頭で必死に記憶を辿ろうとした。昨日は…そう、大学のゼミの発表があった。緊張したけれど、なんとか無事に終わって、夕方に友達と別れて…駅に向かって歩いていた。そこまでは、確かに覚えている。けれど、その後の記憶が、まるでナイフで切り取られたかのように、すっぽりと抜け落ちているのだ。


なぜ、私はこんな場所にいるのだろう? 事故? 誘拐? 眠っている間に船か何かに乗せられて、ここまで運ばれてきた? どれも現実味がない。そもそも、ここは日本のどこでもないように思える。この気候、この植生…熱帯か、それに近い地域のようだ。


ふらつく体でゆっくりと身を起こす。自分の服装を確認すると、見慣れた大学用の白いブラウスとネイビーのフレアスカート、ローヒールのパンプス。持ち物は、ポケットに入っていたスマートフォンとハンカチ、そして砂の上に転がっていた小さなポーチだけ。ポーチの中身は、リップクリームとティッシュ、そして学生証。水瀬秋穂、21歳。それが、今の私が自分について確実に知っている、数少ない情報の全てだった。スマートフォンは、やはり画面が真っ暗で何の反応も示さない。


途方に暮れて周囲を見回すと、自分以外にも人がいることに気づいた。少し離れた場所に、いくつか人影が砂浜に倒れている。一人ではない…! その事実に、ほんの少しだけ安堵感を覚える。しかし、同時に新たな不安も湧き上がる。彼らは誰なのだろう? 同じように、訳も分からずここに連れてこられたのだろうか?


私は、覚束ない足取りで、一番近くに見える人影へと近づいていった。


それは青年だった。私と同じくらいの歳か、あるいは少し年上だろうか。潮風に黒い髪を揺らし、白いTシャツにジーンズというシンプルな服装をしている。彼は、近くの岩に背を預けるようにして静かに座り込み、ただ目の前に広がる広大な海を、感情の読めない瞳で見つめていた。その整った横顔には影があり、どこか近寄りがたい、張り詰めたような雰囲気を纏っている。そして…なぜだろう、彼の姿を見ていると、胸の奥が微かにざわつくのだ。まるで、遠い昔にどこかで会ったことがあるような、そんな説明のつかない既視感を覚える。


私が彼に声をかけようか迷っていると、別の場所から苦しげな呻き声が上がり、他の人影も次々と動き出した。最初に身を起こしたのは、がっしりとした体格の中年の男性だった。彼は、頭を押さえながら悪態をついている。


「うぐっ…頭いてぇ…なんだここは!? クソッ、昨日は飲みすぎたか…? いや、違うな…」


続いて、明るそうな栗色の髪をした若い女性、鋭い目つきをした痩身の男性、眼鏡をかけた学生風の男性、そして、私と同年代に見える、小柄で怯えた様子の女性が、次々と目を覚まし、周囲を見回しては混乱した声を上げ始めた。


「え? 何ここ!? 私の部屋じゃない!」

「うるせえな…頭に響くだろ…それより、状況を説明しろよ、誰か!」

「信じられない…これは一体どういうことなんだ…集団誘拐? あるいは…?」

「怖い…誰か…助けて…」


私を含めて、合計7人。皆、例外なく記憶が曖昧で、自分がなぜこの見知らぬ海岸にいるのか理解できずにいた。服装も、年齢も、雰囲気もバラバラ。共通点は、この不可解な状況に放り込まれたということだけ。


そんな中、最初に見たあの黒髪の青年だけは、皆の混乱を意に介する様子もなく、ただ静かに海を見つめ続けている。まるで、この騒ぎなど彼には関係ない、とでも言うかのように。その超然とした態度が、ひどく異質に感じられた。


「おい! 全員、聞け!」最初に起き上がった体格のいい男性が、まるでリーダーであるかのように、大きな声で場を仕切り始めた。「ぐずぐずしていても始まらん! まずは状況を整理するぞ! 俺は郷田拓也だ! 35歳、しがない会社の社長をやっている! 昨夜は大事な取引先と会食だったはずだが…気づいたらこんな場所にいた! 他の奴らも、分かる範囲でいい、自己紹介と最後の記憶を話せ!」


彼の高圧的な態度に、一瞬、場の空気が凍りついた。しかし、他にどうすればいいのか分からない私たちは、戸惑いながらも、促されるままに自己紹介を始めた。


「は、早川陽菜です! 20歳で、フリーターやってます! えっと…昨日は深夜バイトが終わって、家に帰って…多分、普通に寝たと思うんですけど…起きたらここで…」陽菜と名乗った女性は、不安を隠しきれない様子ながらも、努めて明るい声を出そうとしているようだった。


「…黒木竜司だ。28。仕事は…まぁ、色々やってる」黒木と名乗った鋭い目つきの男性は、どこか投げやりな口調で言った。「昨日は…行きつけのバーで飲んでたはずだがな。こんな場所に連れてこられる覚えはねえ」彼の言葉の端々からは、警戒心と不信感が滲み出ている。


「小野寺聡、22歳、大学院生です。専門は考古学を…」小野寺と名乗った眼鏡の男性は、知的な雰囲気を漂わせている。「昨夜は研究室で、明け方まで論文の資料を読み込んでいたはずなのですが…どういうわけか、ここで目を覚ましました。全く理解不能です」彼は、状況を分析しようと努めているようだが、その声には隠しきれない動揺があった。


「み、水野栞です…19歳、専門学校に通ってます…」栞と名乗った小柄な女性は、完全に怯えきっており、小さな声で名前を告げるのがやっとだった。「怖くて…何も思い出せません…ごめんなさい…」彼女は、今にも泣き出しそうな顔で俯いてしまった。


「私は水瀬秋穂、21歳、大学生です」私も、自分の名前と年齢を告げた。「昨日は…大学のゼミが終わって、駅に向かって歩いていました。その後のことは…覚えていません」


最後に、全員の視線が、まだ座ったままの黒髪の青年に注がれた。彼は、仕方ないといった風に小さく息をつくと、ようやくこちらを向き、短く、そして感情のこもらない声で言った。


「……篠宮海斗、23」


それだけだった。名前と年齢。それ以上の情報は、一切語ろうとしない。自己紹介が終わると、彼は再び視線を海へと戻し、沈黙してしまった。


「チッ…全員記憶喪失ってか? 都合が良すぎるだろうが」黒木が、あからさまな不信感を込めて吐き捨てた。「おい、そこの篠宮とやら。お前だけ何か知ってるような顔つきだな。本当は何もないなんて嘘だろう? 白状したらどうだ?」


黒木の挑発的な言葉にも、海斗は表情一つ変えなかった。彼は、ゆっくりと黒木の方に視線を向けると、静かに、しかしきっぱりと言い放った。

「…何も知らない。あんたたちと同じだ」

その声は低く、感情が削ぎ落とされていた。しかし、その瞳の奥には、容易には窺い知ることのできない、深い淵のようなものが横たわっている気がした。彼は、本当に何も知らないのだろうか? それとも、何か重大な秘密を隠しているのだろうか? 私が彼に感じる奇妙な既視感も、気のせいではないのかもしれない…。


結局、私たちの状況は何も変わらなかった。分かったのは、7人の男女が、記憶が曖昧なまま、見知らぬ南国の島らしき場所に漂着した、という事実だけ。なぜここにいるのか、誰が何の目的で私たちを集めたのか(あるいは、単なる偶然の事故なのか)、そして、どうすればここから脱出できるのか。全てが謎に包まれていた。


「よし! ぐだぐだ言ってても始まらん!」郷田が、再び強引に場を仕切った。「まずは、この島を調べるぞ! 水と食料を確保するのが最優先だ! それから、助けを呼ぶ方法を探す! いいな!」

彼の有無を言わせぬ口調に、私たちは反論する気力もなく、ただ頷くしかなかった。


郷田の号令の下、私たちは島の探索を開始した。まずは、海岸線に沿って歩き、どこか人間の住んでいる痕跡や、船の残骸などがないか探すことにした。


しかし、どこまで歩いても、景色はほとんど変わらなかった。延々と続く白い砂浜と、その向こうに広がる青い海。背後には、緑深いジャングルが壁のようにそそり立っている。人工的なものは何一つ見当たらない。


そして、最も私たちを絶望させたのは、島の周囲を取り囲むように立ち込めている、濃い霧だった。それは、まるで意思を持っているかのように、私たちが海へ出ようとすると、その行く手を阻む。数メートルも進むと、霧はさらに濃くなり、視界は完全に奪われ、方向感覚を失ってしまう。おまけに、沖の方は波が高く、荒々しい音を立てており、小さな船でもない限り、とても航行できそうにない。


「クソッ! どうなってやがるんだ、この島は!」郷田が、苛立ちを隠せずに叫んだ。「まるで、檻の中に閉じ込められてるみてえじゃねえか!」


太陽は、中天高く昇り、容赦なく私たちの体力を奪っていく。砂浜の照り返しは目に痛く、汗が噴き出してくる。喉はカラカラに渇き、空腹で胃がキリキリと痛む。水も食料も見つからないまま、時間だけが過ぎていく。皆の顔に、疲労と焦りの色が濃くなってきた。


「もう…歩けない…」栞が、ついに座り込んでしまった。彼女の顔は蒼白で、呼吸も浅くなっている。

「おい、しっかりしろ!」郷田が怒鳴るが、彼女は力なく首を振るだけだ。

「少し休憩しましょう」陽菜が提案する。「このままじゃ、栞ちゃんだけでなく、皆倒れちゃいますよ」


私たちは、近くにあった岩陰に身を寄せ、わずかな日陰で休息を取ることにした。絶望的な状況。助けが来る気配もない。食料も水もない。これからどうなるのだろうか? このまま、この見知らぬ島で、飢えと渇きに苦しみながら死んでいくのだろうか?


そんな暗い考えが頭をよぎり、涙が滲んできた。他のメンバーも、皆、俯き、重苦しい沈黙に包まれている。


その時だった。


「……」


海斗が、静かに立ち上がり、ジャングルの方向を指差した。彼の視線の先、木々の隙間から、何かが見える。石…? いや、違う。もっと大きな、人工的な建造物の一部のような…。


「あれは…何だ?」黒木が訝しげに呟く。


私たちは、最後の力を振り絞って立ち上がり、海斗が指差す方向へと歩き始めた。希望と、そして新たな不安を胸に抱きながら。


ジャングルの縁までたどり着くと、そこには、信じられない光景が広がっていた。

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