Ⅶ:新たな決意
静かな廊下を一人歩きながら、イザベルはこれからの行動を慎重に考えていた。
ロレンスとの婚約はまだ決着していない。しかし、これまでのように父やロレンスに自分の意志を押し潰されることは、もはや許されない。
彼女は自らの運命を掴むため、まずは自分を守る準備を整えなければならなかった。
広い屋敷の窓から差し込む柔らかな光が、彼女の金色の髪を淡く照らしている。
外の庭には、美しい花々が咲き誇り、かつての彼女が抱いていた夢――平穏で幸福な生活が現実になるはずだった未来――が、かすかな幻のように広がっている。
(昔は、ただ素直に信じていればいいと思っていた。でも、信じるだけでは自分を守れない。自分の手で、行動で切り開かなければ、一生私は道具の儘なのよ)
イザベルの脳裏には、これまでに自分を裏切った者たちの顔が次々と浮かんできた。
父、公爵夫人である継母、そして兄のリシャール――僅かな希望を胸に、彼らに愛されることを願い、信じたことがどれだけ愚かなことだったか。
何より彼女の心に重くのしかかるのは、かつて親友であったカトリーヌ、そして婚約者であったロレンスの裏切りだった。
彼女は孤独の重さを噛み締めた。これから彼女が進むべき道には、多くの困難が待ち受けているだろう。
誰も信じないままでは戦えない。しかし、誰かに再び裏切られることを恐れ、すぐに心を許すこともできない。
イザベルは窓の外を眺めながら、少し前に、「ヤツの邪魔が入り公務が上手くいかない」と機嫌悪く父が口にした人物を思い出していた。
フランソワ家 ルイ・デュ・フランソワ
父のような家柄の力や権威に縛られない男であり、王国の安定を何よりも重んじる誠実な人物だとか。
イザベルは慎重に考えた。彼を頼ることが、正しいことか…間違ったことか。
けれども、前に進むためには茨の道をも進まなければならない。それはイザベルが一番わかっていた。
(ここで悩んでいても仕方がないし…ルイ・デュ・フランソワに直接会って、私の目で確かめる必要があるわね)
そんな事を考えていると、廊下の先から足音が聞こえてきた。
軽やかで、規則的な音。
イザベルは足音のする方へと顔を向けると、執事のセバスチャンが静かに、しかししっかりとした足取りで彼女に近づいて来ていた。
セバスチャンは、イザベルの母が亡くなった後も、ずっと彼女に仕えてきた忠実な人物だ。
彼は表情にほとんど感情を表さないが、イザベルは幼い頃から、彼の行動にはどこか優しさが滲んでいるのを感じていた。
「お嬢様、難しいお顔をされておりましたが、何かございましたか」
セバスチャンは丁寧な言葉で問いかけた。彼の声は穏やかだが、その中には微かな気遣いが感じられる。
「いいえ。ごめんなさいね、少し考え事をしていただけよ」
イザベルは微笑んで返事をする。
「左様でしたか。お嬢様に伝達事項がございましたので、参りました。ロレンス様が、数日後に再びお嬢様にお会いしたいとのことです。公爵様からの命令で、再訪が決まっております」
その知らせを聞いた瞬間、イザベルの心に波が立つ。
ロレンスが再び彼女の前に現れる――彼の冷たい視線、命令口調が脳裏を駆け巡る。
(…婚約の決定を急ごうとしてるのかしら。お父様にも婚約はしない、と言い切った事だし…二人で協力して押し切ろうとでもしてるのかしらね)
彼女は胸の奥で燃え上がる決意を感じながら、セバスチャンに向かって小さく頷いた。
「わかったわ。ありがとう」
冷静な声を保ちながらも、イザベルは心の中で自らを奮い立たせた。
彼女にとって逆光前の出来事は呪いだった。
どんなに強がっても、怯えてしまう。
震える身体を制しながら、改めて気を入れ直した。
――――――
イザベルは再び長い廊下を歩き出した。
外の景色は穏やかで、美しい花々が風に揺れている。そんな景色とは裏腹に、彼女の心は嵐のように渦巻いていた。
ロレンスとの再会は避けられない。けれどイザベルは以前とは違う。
ふと、イザベルは母親のことを思い出した。
母が存命だった頃、屋敷の中は暖かく、愛に満ちていた。
母が亡くなり、グレタが家に入ってきてから、全てが変わってしまった。
グレタは父を手中に収め、公爵家の権力を握ると、イザベルを徹底的に排除し、利用しようとした。
リシャールもまた、グレタの影響を受け、妹であるイザベルを軽んじ、冷たくあしらった。
(逆行したから客観的に見てわかるけど、何故今まであんな従順に過ごしてたのかしらね)
廊下の向こうには、かつての自分を待ち受けていた暗い未来があった。
過去のイザベルならば、父や継母、ロレンスの言葉に逆らうことなく、黙って従ったかもしれない。
しかし、逆行した今の彼女には、かつての自分を守るための力がある。
イザベルは廊下を抜け、窓から見える景色を再び見つめた。