負け犬のオーボエ
見返す話ではなく、どちらかというと仕返す話。
ミチルちゃんに振られた。付き合って三ヶ月だった。もう次のデートでは絶対に初エッチに持ち込もうと思っていたのに、その矢先に振られた。
原因はたぶん、僕の興味ある事に感づいたからだと思う。
お尻に興味あるなんて一言も口にしなかったのに、女の子ってそういうニオイは感じ取れちゃうもんなのかね……と腕を組んで自問自答しつつ、清い交際のまま終わってしまった事に、最近は涙を流すのと右手が忙しい。
やっとの思いで告白して、手を繋いでキスをして、あとは段階を踏んでいずれはドラッグストアで浣腸液を買う日を夢見ていたわけだが、恋人同士における普通の行為はキスまでしか経験できずに破局を迎えてしまった。
僕は未練を残していた。ミチルちゃん。僕の可愛いミチルちゃん。大好きだと今でも自信を持って言える。何せ僕の、彼女と彼女のお尻への気持ちは生半可なものではないからだ。色々と心身共にはち切れそうなくらい好きで好きで仕方ない。
だからこそ僕は変わった。見違えるように変わった。誰が見ても変わっていた。ミチルちゃんをひたすら目で追いかけ、観察する日々のはじまりだった。そうすると彼女の学校生活がよく分かった。そして振られた理由も分かった。
……横取りされただけだった。
何たるダークホース。許すまじ、陸上部エース。
重大な事実の発覚に、僕は思わずポケットの中のモノを勢いよく握り締めた。途端「あ」と思ったが、新品でもったいなくとも、いつまでも持っていたって仕方ない。ポケットの中のコイツは、一度も日の目を見ずにゴミ箱へと旅立つ運命が待っていたようだ。
ああ、何てこった。さようならコンドーム。
僕はそれを哀愁と共に捨て去った。しかし捨てきれないものがあった。
……この怒り、晴らさない事には気が済まない。
憎き恋敵は陸上部エース。僕はエースを陥れる方法を思案しだした。
だが作戦立案に勤しむ中、ミチルちゃん一筋のこの僕を差し置いて事態は急展開を見せたのである。
放課後、僕は音楽室にいた。ミチルちゃんに振られた僕だが、これでも吹奏楽部でオーボエを吹いている。
ミチルちゃんが「素敵」と言ってくれたオーボエである。ちなみにミチルちゃんは「カッコいい」とも言ってくれた。彼女は一芸に秀でた人間を尊敬しているらしい。
彼女のおかげでよりオーボエに打ち込めるようになった僕は、この日も部活動後に自主練習で居残っていた。
それからしばらくしてふと部室の窓からグラウンドを見てみる。僕はその瞬間、驚いた。オーボエの音が乱れて途切れる。
視線の先には、グラウンドの隅の木に寄りかかってキスしているミチルちゃんとエースがいた。
二人だけの世界に入っているのか、どんどん体が密着している。僕が食い入るように見つめていると、あろう事かエースがミチルちゃんのお尻をするすると撫ではじめた。思わず僕はオーボエを握り締める。エースはミチルちゃんのお尻を握り締めた。
……その瞬間、僕の中で何かが弾けた。
本当は一発逆転のような、僕の存在を知らしめる意趣返しを画策していた。元来スマートなやり口を好む僕には、陰湿な意趣返しは上品な作法とかけ離れていて似合わない。しかし、仕方ない。思いついた復讐方法を行使したくなったのだから、ポリシーは捨ててしまおう。
ああ、さようなら僕の可愛いお尻ちゃ……いや、ミチルちゃん。君の事はもう忘れる。これからはオーボエに精進するんだ。そうさ、僕の恋人は音楽だ。オーボエだ。
ミチルちゃんに恨みはない。あるとするなら、部室から見えるグラウンドで基礎練習しているあの野郎だ。
僕は復讐に燃えた心で毒づいた。
ふん、エースめ。これから毎日覚悟しておけよ。あの演奏も聴くもクソつまらない曲……サティのヴェクサシオンのメロディラインを窓辺で延々と吹いてやる。
これは長期戦だ。互いに部活熱心なようだし、お前が居残るなら僕も部室に居残って精を出すとしよう。
ヴェクサシオン……その意味は、癪の種。そして、嫌がらせ。