自然の摂理
ドア越しに、彼女に許しを請い、愛を叫びます。
彼女とケンカした。
いつも言い返して物を手当たり次第投げてくる彼女だが、今日は違った行動を見せた。ひとしきり文句を言うまでは通常通り。しかしそのあと下唇を噛み締めて、上気した頬に涙目で睨むだけで終わったのだ。何ともその姿は珍しい。テレビの音や周囲の雑音すら無い中、彼女はひたすら睨んできたが、しばらくするとしゃっくりみたいに小さく息を吸い込んで、くるりと背中を向けて部屋を出て行く。
その行動に呆然とする俺の耳に、向こうからバタンと凄まじい音が聞こえてきた。
(あ、立て篭もりやがった)
思わず溜め息を吐いて、頭をガシガシ掻く。今回はこっちも言い過ぎたと自覚している。発端は彼女の手料理だった。「うめぇ」とはお世辞にも言い難い彼女の料理だが、今日のはとびきりで、作ってくれた彼女をいかに気遣うかが焦点となる味だったのだ。
(味の感想は、何て言えばいい?)
そんな危機迫った俺を知ってか知らずか、彼女が「どう?」と期待をこめた目で尋ねてきたのだ。しかし、そこは男。彼女を傷つけないよう、かなり慎重に言葉を選び、配慮した。
「……悪くない」
よし、イイ返し……と内心、自分を褒めていた俺に、だが彼女は「言い方がよくない」とケチをつけてきた。
……この言葉のどこが悪いというのだろうか。
そこからあれよあれよと言う間に、言い争いに発展していた。「うまいよ」と決して言わずにいた俺も俺だが、そこは譲れなかった。ホントに残念な味だったのだ。うまいという言葉と、それに合った表情を同時に行うなんて、そんな芸当は出来ない。
かくして意地の張り合いのようになってしまった諍いは、彼女が一室に駆け込んでそこに閉じ篭もる、というところで終わるはずだった……はずだったのである。
彼女の気の済むまでしばらく放っておこうと思い、俺は散らかしっぱなしのキッチンへと向かった。が、そこに広がる惨状を見て再び溜め息が出る。
相変わらず、彼女は料理をした後の片づけが下手くそであった。仕方ないとばかりに、俺は腕まくりをして作業に取りかかる。材料の切れ端やら何やらをシンクの三角コーナーにまとめ、材料の入っていた容器のプラスチックは濯いで分別用のゴミ袋に、紙パックも中身を濯ぐとゴミ箱に入れた。十分まだ残りが使えそうな材料は冷蔵庫に仕舞っておく。
さっさと片付けて部屋に戻ってからは、ベッドに腰かけて近くにあった雑誌に手をのばした。
パラパラとページをめくっていたが、俺はしばらくして雑誌を閉じた。
それから雑誌を少し離れた位置に置き、目を閉じて、ゆっくりと呼吸してみる。何回か繰り返していたら、俺は彼女を放りっぱなしにしていた事を思い直した。時間が経つにつれ、彼女の見せた行動にいまさら焦り出したのだ。
さっき見た彼女の泣き出しそうな顔を思い出してみる。潤んだ目元に悔しそうな表情だった彼女。あの姿では、当分この部屋に戻ってこないで、立て篭もるつもりだろう。
いつまで経っても、顔を見せない彼女。俺のいる所へ戻ってこない彼女。
……彼女が、部屋に帰ってこない。
(クソッ!)
意を決して、彼女のいる所へと向かった。
彼女がすごい音を立てて閉めたドアの前に立つ。俺は、おずおずとドア越しに喋りかけた。
「なあ、さっきは悪かったよ。俺が悪かった。聞こえてるだろ? とりあえず、出てこいよ。出てきてくれ……」
そう。仲直りしたい。俺は、彼女と仲直りしたいのだ。
「頼むって」
彼女の機嫌が悪いのは分かる。けれど今のままでは何も進展しないのだ。
「もう出てこいよ、なあ」
ああ、無理。駄目だ、俺。
「聞こえるだろ?」
ドア越しにいるはずなのに、無反応の彼女。俺はドアめがけて、拳をノックより強く、しかし叩きつけないように置いてみた。
「ドア開けろ、今すぐに」
顔見せろバカ。
「出てこい」
……俺も限界だった。
「俺が悪かったから、頼む。機嫌直して、な?」
ああ、ヤバい。
「頼むから、そこから出てくれ」
もう無理。
そう思いつつ、こんな時に頭をかすめるのは、先ほど捨てたプラスチック容器と紙パック。
俺はドア越しに訴えた。
「……漏れそうなんだよ!」
彼女のミックスジュースは絶品だった。腹に来るという意味において。