裏サンドリョン
何で、舞踏会に参加できるのは年頃の女って決めたの? ……シンデレラの設定を元にしたコメディです。
場末の飲み屋にて。
「……何で、舞踏会に参加できるのは年頃の女って決めたの?」
事の発端は、その一言からだった。
呟いたのは修理工の男。その発言に、そばにいた猟師と農夫は互いに顔を見合わせた。
「そりゃ何でって、あれだろうが。今度の舞踏会は王子の相手を探すってのが、目的なんだろ? だったら年頃の女を集めんといけねぇよ」
猟師の言葉に、農夫が続きを受けつぐ。
「そうそう、その通り。街中浮かれてるじゃねぇか。貴族だけじゃなく、今回はちょいと金さえあれば舞踏会に参加できるってぇんで、商家あたりが騒がしいぞ。なんせ格好さえ整えりゃ、城に行けるって話だ」
それに頷いた猟師は、「実はな」と自身の姉の娘について話しだした。
「俺の姪っ子も行きたがってたがな、身なりが駄目だ。結局、諦めたさ。ドレスなんてホントの一般庶民には手が出せねぇもんよ」
そうして肩を竦めて笑いあう猟師と農夫に、修理工は不服そうに酒を一気に飲んだ。立派に張った喉仏が何度も上下するさまは豪快であるが、どこか爽やかでもあった。やがて大きく開いた口で「はっ!」と一息吐いた修理工は、空になったジョッキをテーブルの上に置く。
「私も行きたいのよ! ドレスならお針子の友達がいるから、そこは問題無しよ!」
言い分に唖然とした猟師と農夫は、すぐに我に返り修理工のさっぱり理解出来ない自信に呆れ果てた。
「馬鹿か、お前は。ドレスがあってもお前は無理だぞ……」
「おーい、ちゃんと聞いてたか? 参加条件は年頃の女だ」
眉間に皺を寄せて酒を飲みながら指摘する猟師に、片肘ついた手であごを支え溜め息を吐く農夫。
二人の言い分にそっぽを向いた修理工は、声まで不貞腐れた。
「だから何? 私、年頃だから問題ないじゃないの。まだ二十一よ。あんた達みたいな親父じゃないのだけど? ねえ、それより問題はね……」
声を潜めて内緒話のように口元へと片手を添える修理工。しかし猟師と農夫は「待て!」と制止して声を揃えた。
「お前は男だろ!」
……そうである。修理工は歴とした男である。
二人の男に目を見開いた修理工は、噛み付かんばかりの勢いで捲くし立てた。
「心は乙女よ、純潔よ。そこら辺の小娘とどう違うっていうの? ちょっと余分なモノがぶら下がっているだけじゃないの!」
「だがそこが重要だろう」
すかさず突っ込んで唸る猟師に、うんうんと頷く農夫。
癇癪を起こした修理工は、テーブルに握り拳を振り落とした。怪力から繰り出された音は、周囲の喧騒も一瞬にして止んでしまった。
「うるさいわね。私はね、そこは王子とお揃いだと思っていたのよ! 悪い?」
確かに同性であるので、お揃いといえばお揃いである。
訳の分からない事を言い始めた修理工に、埒が明かないと判断した二人は、これ以上関わらない為に「悪くはない」と首を振った。
「でしょう?」
先程の剣幕は何だったのか、呆気なく溜飲を下げた修理工は、二人に提案をした。
「それでね、舞踏会参加に関して問題があるのだけど、二人に頼みたい事があるの」
修理工にとって参加は決定事項であり、最初からその上で猟師と農夫に頼み事を持ち込みたかった。
ゴクリと生唾を意味もなく飲み込んだ二人に、修理工は「お願い」と頭を下げる。
「あんた達の奥さん貸して。……作法と、お化粧教えてほしいの」
顔を上げた修理工の頬は、乙女のように綺麗な林檎色に染まっていた。
舞踏会当日。
この日、修理工は未だかつてない緊張を催していた。今日の為に仕込んだ作法、お化粧、宝飾品、そして自分を大変身させるドレス。
修理工はそれら全てを身にまとい、家の鏡の前でクルリと回ってみせた。
その様子に、修理工の為に集まった手伝いの女性陣が拍手をし、口々に女性の姿……というより女装の姿である修理工を褒めていた。
「やだ、どこから見ても男に見えないわ!」
「本当ね、ドレスを着ただけで見違えたわよ」
「中々いいわ、似合ってる!」
みな内心は必死であった。
しかし策を弄した女達の暖かい言葉に、修理工は喜んだ。
「ありがとう、本当にありがとう! すごく嬉しいわ」
修理工は溜め息を漏らし、うっとりとした顔で何度も女性陣に礼を言う。
その姿は、女に見えなくもない。元から背も高くなく、顔立ちも雄雄しいわけではないので、見るに耐えない女装にはならずに済んでいた。
だが難点もある。
いよいよ出掛けるという事で、玄関に向かい歩いている修理工に、一人の女が注意をした。
「十二時には戻って来なさいよ? 魔法が解けるから……女のね」
振り向いた修理工に、女はピシッと人差し指を立てて、それを浮かれ顔の修理工に向けた。
「髭が出るわよ、気をつけて」
人差し指をおさめた女は、自身の顎を軽く叩いてニヤリと笑ってみせたのだった。
無事、王城に上がれた修理工は胸をときめかせていた。舞踏会に参加する女は皆、王子と踊れる可能性があるらしく、女としてやって来た修理工も例外ではなかった。
修理工は、側近達と共に現れた王子を遠くから見つめる。それは虎視眈々と機会を窺う、狩人さながらのねっとりとした視線であった。
だが王子を視線で追いかけ始めてしばらく、王子の周辺が騒がしくなる。先程まで女性に目もくれなかった王子が、一人の女性の前でダンスを申し込んだのである。
相手も了承したらしく、二人はホールの中心で踊りだし、やがてダンスのステップを踏みながら捌けるようにして隅へ行き、別間へ消えていった。
……修理工は考えた。追いかけるか否か。
答えを出した修理工は歩きやすいようにドレスを指で摘み、少しだけ裾を床から浮かして歩き出した。周囲から見れば豪快な大股であった。
修理工は、王子と女性が大階段にいるのを見つけた。急ぎ近付き、大階段に差しかかる階上の廊下から二人の姿を見下ろした。折しもそこは別れの場面なのか、階段を駆け下りていく女性を、なす術もなく悲痛な顔で見つめている王子という、何とも複雑なタイミングに出くわしたようだった。
二人を上から見届けていた修理工は、その瞬間、女性の靴が脱げた事に気付き、思わず「あっ!」と太い声を上げた。
王子は階段に放っていかれた靴を大事そうに手に取り、俯いた。王子の様子に臣下や近衛兵が彼の側に駆け寄ったのを、修理工はじっと眺めていた。
広間へと戻った修理工は、自棄酒の時間に突入した。高級そうな酒を、小さく上品なグラスでちびちび飲んで、ひたすらお替りしている。
涙ぐんだ修理工は悔しげに嗚咽を漏らしてから、深く息を吸い込んだ。それから吐き出す。
修理工の吐き出したものは……。
「あんな女のどこがいいの? 王子様の気を引きたくてわざと靴を脱ぎ捨てたのかもしれないでしょ! こんなイイ場所にサイズの合わない靴なんか履いてくる訳ないじゃないの。考えてもみなさいよ、もしサイズが合っているなら何でそんなに上手く脱げるのよ、おかしいでしょ! なんて恐ろしい女! 絶対わざとよ……」
僻みであった。
修理工が酒をあおっていると、近くにいた婦人方の声が耳に入ってきた。
「何だったの、あの女性」
「どこの家の方かしら……」
「今までの夜会でも見た事なかったわね」
「庶民でしょう?」
「あら、身分も何もない者が王子の心を捕らえたとおっしゃるの?」
ちらほらと聞こえてくる婦人方の興奮の声、落胆の声、やっかみの声。
階級や家格の話が始まった事に、修理工は下らない、と一睨みしてその場を去った。と、別の場所へ移った修理工の耳に、今度はこれまた他の女の声が聞こえてくる。
そちらに目をやると、一人の女が王子の臣下らしき人物に、抗議しているようだった。
修理工が盗み聞きした話によると、内容はこうである。
女は、王子のそっけない対応に屈辱を感じ、おまけに王子と踊っていた女性が自分よりも明らかに下賎な家の出ではないかと考え、家柄の話を持ち出していた。言いがかりのような言動をしては「今すぐ王子を連れ戻せ」と喚く。近衛兵が取り押さえるも、暴れている始末だった。
その姿に、血の気の多い修理工は本能のままそこへ飛び込んでいた。
「ちょっとあんた、黙ってな!」
その場で一喝した修理工は、ちょうど近衛兵を平手打ちしようとしていた女の胸倉をガシッと掴み上げた。
「ピーピーうるさいのよ、あんた。少しは女らしくしたらどうなの!」
男らしく啖呵を切った修理工に、周囲は唖然とした。先程までの威勢は何だったのか、女は震え上がる。
図らずも、修理工は近衛兵を助けた。
この時、未だ女の胸倉を掴んで離さず、そのまま説教を始めた修理工の姿を、王子の側近達は遠くから見ていた。
舞踏会の夜が明けて、しばらく経ったある日。国中に衝撃が走った。
王子があの娘を見つけたというのだ。靴が合う者を探しているという触れ回りに、国中の女性達は最後の機会と意気込んでいたが、あっさりと持ち主が見つかった。履いてみれば靴にちょうどおさまる足の持ち主は、王城にて王子以下臣下達もあの夜の女性であると確認したという。
一方その事態に、修理工は地団駄を踏んで悔しがっていた。
「ほらね、やっぱりね! サイズピッタリってどういう事? ふざけてるんじゃないわよ全く! こんな事なら私だって王子の前で靴を脱ぎ捨てたわよ!」
軍服を着ていた修理工は、上官相手に軍帽を投げ捨てた。
「貴様がふざけるな!」
上官の叱責もどこへやら、修理工は大股で周囲の同僚達を蹴散らし、スタスタと向こうへ歩いて行く。
何と、修理工は転職していた。
舞踏会での出来事が王子の側近の目にとまったのである。あの場での度量と、兵士と女の間に割り込んだ瞬発力や判断力やらが評価されたらしく、めでたく近衛隊へのスカウトを受けたのであった。
修理工からすれば正直に言うと、近衛として王子の側に仕えるよりも、むしろ寝起きを共にしたかったので妃を希望している事を告げた。しかし、当然といえば当然だがそれは受け入れられず、「なら側室に」と食い下がっても、誰にも首を縦に振られなかった。
しかしながら、これは考えようによっちゃ良い機会だ、と思い直した修理工は了承の返事を出した。
いつでも隙あらば妃の位を奪える位置にいるのだと、修理工は考えている。
王子様の隣にいる自分。王子様を支えている自分。王子様の視線の先には自分。
それを想像しただけで、修理工は年頃の乙女のように恥じらっていた。
「うふ、うふふ、あははん、やだぁ!」
修理工は両頬にそれぞれ両手を当て、身悶えし腰をくねらせて歩く。はたから見れば軍服を着た男が気持ち悪い奇声を上げ、嬉々として歩いている姿である。
「……ああ、まずは王子様の目にとまらなくては、何も始まらないわね!」
王子の目には引っかかっていないが、上官には素行で目をつけられている事は知る由もない。
「見ていて、王子様! 私いずれ貴方のベッドに添い寝しますから!」
頬を紅潮させた修理工はそう言って「ガッツ!」と拳を握り、肘をわきに引いて、何度も「ガッツよ自分」と励ましていた。
「いやーん、燃えるわ!」
目下、略奪愛に夢膨らませる修理工……いや、元・修理工である近衛兵。
シンデレラの奇跡の輿入れ物語の裏には、彼女に闘志を燃やす一人の人物がいたのであった。