ヨーゼフ、息切れ
犬のヨーゼフは散歩で息切れする。
一.長女の疑問
ウチの犬は、よく息切れする。ご老体なぞまだ先の話であるし、生まれつきの疾患もなければ、病歴もない健康体そのもの。家族皆が、我が家の愛犬ヨーゼフを世話し、ともすれば我が家の大黒柱以上の厚遇で健康管理に気を配っている。それなのに、当のヨーゼフは知ったこっちゃないよ、という顔で今日も息切れしているのだ。
ペットの管理は飼い主の義務ではある。可愛いから、せがむからといって、度を越した餌を与えるのはよくない。その点ウチの犬は餌も適量を心がけ、散歩にも連れ出している。しかし毎日の管理を怠っているわけではないのに、ヨーゼフはどうしたことか、日に日に散歩の距離が短くなり、自分で歩かなくなったのだ。今では家族がヨーゼフを抱っこして散歩している。コースは変わっていないが、ヨーゼフが自身の足で歩く距離が短くなり、対して我々家族の、ヨーゼフを抱えて歩く距離が長くなった。
なんせ息切れしているので見ていられないのだ。あまりにしんどそうに歩き、疲れると自発的に知らせてくる。道路の真ん中だろうが階段の途中だろうが、疲れればその場にへたり込む。そして頑として動かない。その目は「テコでも動かんぞ」というほど鬼気迫って……とても息切れしている。
なぜそんなにしんどそうなのか。苦しそうなのか。
それは、ひとえに体型にあった。
餌も散歩もきちんと心がけていたというのに、ヨーゼフは「横に」大きくなってしまった。
……どうもおかしい。家族の誰も餌を必要以上に与えないし、ヨーゼフも一度だって与えた以上のものをせがむことはないのに、である。
そして今日も訝しげな気持ちを抱えたまま、ヨーゼフを散歩に連れ出す。散歩中、息切れしだしたヨーゼフを見ていて頭に渦巻くのは、ただこれだけ。
なぜ太った。
二.ヨーゼフの回答
一方のヨーゼフはというと。
今日も散歩に連れ出されたヨーゼフ。息切れはしんどいものであるが、最近はご機嫌である。
散歩開始から大した時間も経たないうち、ヨーゼフは道路に寝そべってみた。今日もアスファルトの上で、なるべく幅をとって転がる。ヨーゼフは賢い。歩道と車道を区別する白いラインより外側、つまりなるべく車道のほうへ寝転がると、自分を早く抱き上げてくれるのを学習している。案の定、飼い主がヨーゼフの姿に気付いて手を出してきた。当のヨーゼフは「担げ」の合図を示しながら、頭の中では楽しいことを思い浮かべる。
それは太った原因でもある、家族にも秘密のヨーゼフの週末事情だった。
数週間前の、穏やかな日差しに包まれた心地よい某日の昼間。そのような時間帯に、ヨーゼフの飼い主である家族の一人がリビングのソファで横になっていた。
「……ヨーゼフ、お前最近とみに腹回りが切なくなってきているな」
ヨーゼフの立派な具合の腹を注視しつつ、口を開いたのは一家の大黒柱。その大黒柱はビールをあおっていた。今日は日曜の午後、家には一頭と一人だけである。
親子でショッピングしてくるから、とメモだけ残され、休日の家族水入らずのイベント参加にカウントされなかった大黒柱は、朝も早くから妻子らに置いてきぼりを食らわされていた。要は「邪魔」だった。
「ホント、お前そこだけ貫禄ありすぎるぞ」
体のいい留守番という役回りを、昼間からビール缶を転がすだけの呑んだくれと共に任されたヨーゼフにとっては、人――というより犬であるが――のことを言えた義理か、と発言に突っ込みたいところであった。しかし家族である二人の娘にも邪険にされているこの男の相手をするのも億劫なので、尻尾を一振り床に滑らせ、素知らぬフリをしておく。
「せっかくの休みだし大いに休んでやろうとは思うけどな、毎週々々こうも俺だけ出かけるのに外されていると、よし週末くらい家族サービスするか! っていう俺の気分も吹き飛ばされるぞ。この気持ち、お前に分かるか?」
ヨーゼフにとっては大黒柱の気持ちなど、どうでもよい部類に入っていた。それよりも、お出かけ組が自分の土産に何を買って帰ってくるかが気がかりである。
「お前と同じくくりだぞ、俺は。留守番担当だぞ。車の運転係にもならないんだぞ。……最初から、休日のプランに俺は入ってないんだろうな」
長たらしい愚痴が続きそうな気配に、ヨーゼフはリビングから退却したくなったのでテレビの前でクルクルと回ってみせた。
ヨーゼフは賢い。電源のついたテレビの前で邪魔をすると、家族が自分を庭に出したくなる特性を理解している。この呑んだくれからの早急な解放手段は、テレビとじゃれることだと学習していた。
案の定、ビールの缶をテーブルに置いた大黒柱は、軽い溜め息と共に立ち上がる。
「もういいんだ。俺にはテレビとビールがあれば、楽しい休日になるんだよ。お前も好きに楽しんできていいぞ。どうせお前、インターホンも、電話番も無理だしな」
そう言ってヨーゼフとそっくりな腹の持ち主は、ヨーゼフをリビングの窓から庭へと追い出し、窓を閉めてまたビールの消費に努めだした。
さて、庭に上手いこと放り出されたヨーゼフ。いつものように広い庭をぐるり見渡したところで、ふとしたことに気が付いた。それはこの庭と接した隣家の庭の柵が、壊れているのか半開であったのだ。
それを認めるや否や、ヨーゼフはさして勢いもつけず境界を飛び越え、お隣さんの庭にお邪魔していた。これがはじまりであった。
慣れた調子で今日も隣家の庭の柵から外へ出たヨーゼフは、首輪をつけたまま存分に外の世界を楽しんでいる。
ヨーゼフは賢かった。誰かに告げ口されないよう家の近所だけはさっさと通り過ぎて、散歩コースから外れた場所を悠々と歩き、道行く人々に愛敬を振りまく。ポイントは主に二点。一つは、よい匂いのする店の前、もう一つは荷物を持った人だった。
ヨーゼフは何かを自分に出してくれそうな人物の前で、家族が「可愛い」と笑ってくれるポーズをいくつかとる。そうすると、口の中に食べ物が放り込まれる。ヨーゼフは、この仕組みを瞬く間に理解していた。
かくして持ち前の社交と愛嬌を発揮して、日曜の昼下がり、ヨーゼフは戦利品を獲得していくのである。