私はなにもしていませんわ
誤字脱字はご容赦を。
「真実の愛だなんて、夢見る乙女のようなことをみんなはいうね。僕はそれがわからないよ」
「ヴィルデ様。わかりたいのですか?」
「いや? 愛に偽りも真実もないと思っているよ。なにをもって真実とするのかもわからないからね」
「私もわかりませんわ。皆様のいう真実の愛は必要なのでしょうか?」
「ああ。君はそう考えるんだね。必要か否か」
「ええ。そうでしょ? 偽りだとされている政略結婚は必要なもののはずです。だから家同士で話し合い決まるのです。大切なことです」
「そうだね。大切なことよりも、よくわからない真実の愛とやらで周りを困らせるのはよくないね」
「といっていたのに……。なぜこうなっているのかしらね」
「……よろしいのですか?」
「なにがかしら?」
「……ご婚約者の方が他の女性と一目も憚らずあのようで」
「いいも何もないわ。あの方のされることに私はないもいうことはないわ」
「……私は嫌です。私だけではありません。他のものもいっております」
「あらあら」
「我らが姫に対しこんなこと。赦されませんわ」
「……あなたはそういって怒っているの嫌だわ。あなたには笑っていてほしいのよ」
「姫。私などどうでもいいのです。我らの姫は我らのことなど」
「姫だから何をしてもいいわけではないでしょう?」
「よいのです。この学園のたった一人の姫。この学園全女子生徒の憧れにして敬愛する方。……選ばれた特別な方。私は姫とこうやってお茶をできることが何よりの幸せなのです」
「あらあら。困った子だわ。姫にそんな権限などないのよ。ただの一生徒。確かに姫という椅子に座らせていただいているけれど。それだけのこと。私はただの娘よ」
「たとえあなたがそう言おうとも。周りのものが姫をないがしろにしようとも。私は絶対にありません。私は何があっても姫の側に。姫のため」
「……あなたに声をかけてからずっとそうして側にいてくれているわね。私はなにもしていないのに」
「だからこそ私は納得できておりません。姫がなぜ何もされないのか」
「あらあら話が戻ったわね。……何もしない……ね。そうね。あの方が何をしていても変わらないわ。登校して、講義を受けて、あなたとお茶をして。……それが私の一日。確かに、婚約者として入学後はともに時間を過ごすこともあったけれど。私もあの方にとっても、互いだけがすべてではないからね。あの方にはあの方のつながりがある。私にも私のつながりがあるわ。だからこうして互いの時間を作っているのよ」
「……私としてはご一緒できる時間ができたのはとても嬉しいことです。不謹慎かもしれませんが」
「不謹慎だなんて。そんなことないわ。私はあなたとこうして過ごすのが好きよ」
「おそれおおい。……ありがとうございます」
「ふふふ。あなたは変わらないわね。初めて会った日から何一つ」
「姫こそ変わりませんわ。姫は姫です」
「ありがとう」
「……本当によろしいのですか」
「ええ」
「彼女が転入してから半年。お二人があのようになられて二か月ほどになりますか。この二か月。周りは姫の動向をうかがっておりました。……姫は何を望まれているのですか」
「あら。特別なことなどないわ。私はただ。必要なことをするだけよ」
「お二人を止めることは必要なことではないのですか」
「どうかしら。少なくとも現時点では家に損害はでていないからいい、とは思っているわ」
「……損害ですか」
「ええ。……ああそうね。こういうところがよくないのかしら」
「え?」
「ええ。先日言われてしまったの。大切なこと。必要なこと。そういって全てをわけて。感情がないのかって。以前は貴族の令嬢らしくていいと言われたのに」
「姫のお考えは大切なことです。我々貴族は不要なことをしてはいけません。我々には領地の民がおります。我らには仕える君主がおります。我ら貴族はそれぞれにとって良いものでなくてはなりません。そのための政であり、そのための婚姻です。それを……」
「婚約破棄。真実の愛。……ときおりあるわね。私も入学当初、先達でそういったことで、騒ぎになった方がいたわ。婚約破棄を大々的な行事ごとのように、全生徒の前で婚約破棄を行って。あれはよくないことだわ。不必要なこと。あんなふうに学園で私用をするなんて。全く困ったことだと」
「聞いたことがあります。結果婚約破棄はされて。……でも結ばれなかったと聞いています」
「ええそうよ。当事者はとても仲が良くて、婚約破棄ができて改めて婚約という流れになったそうなんだけれど、家がそれを許可するはずがなく。結局二人の結婚はなくて、別れたわ」
「それによる損害はかなりのものだったと聞いています。両家のつながりによって得られた利益があったからこその婚約だったと。……政略結婚は必要なことです。成立している方もいます。そうやって続いてきた家がたくさんあるというのに」
「そうね。けして悪いことではないわ。全ては必要なこと。けれどそれを割り切ることができない。それよりも愛する方と、というのが真実の愛というものなのかしらね」
「……私にはわかりません。真実とは何なのでしょうか」
「あらあら。私もわからないわ。そうなのかしら? ぐらいよ。そもそも何が偽りで何が真実なのかしらね。まるで政略結婚が悪いことのように。偽りなどではないのにね」
「ええ。何がいけないのでしょうね」
「そうね。でも仕方ないわ。あの状態の方は、周りの声が聞こえないのよ。それがすべてになってそれが正しいと思ってしまうのよ」
「……私は嫌です。積み重ねてきた婚約者としての時間を否定されたみたいで。……はじめからうまくいっていないのであればまだゆずって考えられますが。お二人はそうではなかったでしょう」
「どうかしら。私は問題なくと思っているけれど。あの方は嫌だったのかもしれないわね。……あの方の考えは私にはわからないから」
「私が見た限りではとても仲睦まじく、とてもきれいに見えました。姫のことを想っておられる視線でした」
「あらそうなの? だめね。私そういうの気がつかないのよ」
「君はなにも言わないね」
「何か言われたいのですか?」
「そうではないが……。僕の気持ちがどうかは君はわかっているだろう」
「どうでしょうか。完全に思いがわかるなどありえませんわ。私たちは他人なのですから」
「……君のそういうところが好ましいと思っているよ」
「ありがとうございます」
「……君はそうやって。……僕の事をなんとも思っていないのかな」
「まさか。婚約者として大切に想っていますわ。ですが、それでもできることとできないことがありますの。どれだけ私が想っていたとしてもそれがきちんと伝わっているかどうかなどもわかりませんわ」
「君の僕への想いは、必要なものだからだろ?」
「……想いが必要かどうかと問われると難しいですわ。でも想いがなければ、私たちの関係はもっと前に終わっていたかもしれませんね」
「……終わったと思っているのかい?」
「さあ。わかりませんわ。学園でご一緒する時間が少なくなっていますから。お互いそれぞれ時間を使っていますから。私の知らないつながりで心変わりがあるかもしれませんし」
「心変わりか。……そうだね。心変わりしたよ」
「あらあら」
「明言するね」
「はい。なんでしょうか」
「僕は真実の愛を理解したよ」
「あらあら。……夢見る乙女になったのですか?」
「……手厳しいね」
「ふふふ」
「僕は君のことをちゃんと婚約者として見ていたよ。君は貴族の令嬢らしく、自分の立場をよく考えている。僕との婚約も必要なことだといっていたね。ああ。そうだ。貴族の子であれば、家のため。この国のため。そのためだけにその身をささげる。だから君は僕との婚約は必要なこととして、君はこれまでやってきた。そんな君を僕は尊敬しているし、とても愛らしいとも思っていたよ。けれど、そこまでだ。それ以上のものではない。……けれど彼女は違う。彼女は同じ貴族の令嬢だが、純粋無垢で、とてもきれいだ。真っ白だ。結婚も自分の在り方も必要かどうかではなく、自分の想いのまま。自分が嬉しい事。楽しい事。自分にとって良いことを彼女は求めている。そこに、家も国もない。それがとても輝いて見えたんだ」
「そうですか」
「……君は表情が変わらない。いつだってその穏やかな笑みを浮かべている。……それもまた貴族の令嬢として必要なことだね。君はいつだって必要なことを選び取ってその通りにしている」
「必要なことであればそれは大切なことです。私は私たちにとって大切なものを選んでいるだけですわ」
「……本当に君はどこまでもらしいね。ごめんね。そんな君を僕は尊敬としか思えない。婚約者ではないかな」
「そうですか」
「本当によろしいのですか」
「もう……。いいのよ」
「……姫は我らになにもするなとおっしゃいましたが、つらいのです。何もしないのが」
「なら笑って」
「え」
「私はあなたが笑ってくれていることを望むわ。こうして私とお茶をしている時間に曇った顔をされるのはさみしいわ」
「……姫……」
「あの方のことはもういいのよ。あの方が何をされようと私が何かすることはないわ。私はただ。いつものように。ここにいるわ」
「……姫の仰せのままに」
「ありがとう」
「ご卒業おめでとうございます」
「……ありがとう。というべきなのかな。……どうして君がいるのだろうか」
「あら。婚約者の卒業なのですよ。挨拶に行くのは当たり前の事ではないでしょうか」
「……婚約者?」
「ええ」
「……どういうことなのですか?」
「あら。いたの?」
「え?」
「君は彼女が見えてなかったのかい? 僕の側にいただろう」
「申し訳ありません。私が用があったのは、ヴィルデ様だったので。あなたではなかったので。ごめんなさいね」
「……」
「……君がそんな態度をとるとは思わなかったよ」
「そんな態度とは?」
「……君は彼女に何もしてこなかった。僕と彼女の関係を君は黙認し、引き下がったのだと思っていたが」
「黙認もなにも……。私はただ、真実の愛とおっしゃるお二人を見ていただけですわ」
「君はもう僕の婚約者ではないだろう」
「……そうです。……婚約破棄をされたのでしょう?」
「あらあら。そんな下からすがるような眼をされて」
「彼女を侮辱するな」
「侮辱など。小動物のようで愛らしいではありませんか。そんなお嬢さんだからヴィルデ様は選ばれたのでしょう? 真実の愛なのでしょう?」
「……何がいいたい」
「いえ。なにも。私はお二人が真実の愛をしり、それに赴くままに過ごされているのを見ていただけですわ」
「……まあいい。しかし僕と君は婚約破棄は成立している。来てくれたのは嬉しいが、君をエスコートすることはない。これ以上ここにいても周りの視線がつらいだけだろう。帰ることを進めるよ」
「……ヴィルデ様」
「ああ。大丈夫だよ。……さあ僕の側をはなれないでね」
「……一つよいでしょうか」
「なんだ」
「婚約破棄とは何のことでしょうか」
「……は?」
「私、婚約破棄について了承した覚えはないのですが」
「え……」
「そんな話私受けたかしら」
「いえ。そのような話があったのであれば、姫が私にお話しされるはずです」
「そうよね。いつでも一緒にいたんだものね。きっとあなたに伝えたはずだわ」
「はい。私が知る限りですが、姫が婚約破棄をお受けしたというはありません」
「何を言っているんだ! 君は彼女の味方だからそういうんだろう。嘘はいけない。僕は婚約破棄を君にちゃんと」
「ヴィルデ様」
「……なんだ」
「私。婚約破棄など受け入れていませんわ」
「……どういうことだ」
「どうもこうもございません」
「君は僕たちの愛を前に、身を引いたんじゃないのか。僕は明言したはずだ。君ではなく彼女を選ぶと」
「それがどうしたというのですか」
「…ヴィルデ様……」
「あらあらあら。声を荒げてはいけませんわ。愛らしいお嬢さんがおびえてしまっていますわ」
「……大丈夫だ。僕たちを妨げるものはいない」
「あらあらあら。とても心強いお言葉ですね」
「君は! ……どういうことだ。僕ははっきりと伝えたはずだ」
「ええ。私ではなく、後ろに隠されているお嬢さんを選ばれたことは知っています。ですがそれが何だというのでしょうか。いくらあなたが他の方を好きだと言っても。真実の愛であり、私とは偽りである。そんな愛いらない。と言っても。私たちの婚約破棄はできませんわ」
「だから僕はその手続きを君の家に……」
「家に? どうかされましたか」
「家の者が……まさか……」
「何を一人でぶつぶつおっしゃっているのか。……例えば。婚約破棄について家につたえ、その手続きの書類を送ったとして。それを届けられただけで、署名し同意しなければそれはただの手紙。婚約も婚姻も両者の同意をもって成立するのであれば、離縁も破棄も両者の同意をもって。ですわ」
「……何をしたんだ」
「あら」
「何をしたんだっ!」
「あらあらあら。卒業というお祝いの場でそんな大きな声を……。そうですね。何もしていませんわ」
「え……」
「ですから。私はなにもしていませんわ」
「何も?」
「ええ。なにもしていませんわ」
「……いやがらせなどはしていないのは知っている」
「ええ。していませんわ」
「……君が僕たちに近づくこともなかった」
「ええ。していませんわ」
「……周りが僕の事も君の事も、何も言わなかった」
「ええ。私が何もしないのですから。周りも何もしませんわ」
「……婚約破棄の手紙は……」
「さあ? 届いているのかもしれませんが、署名はしていませんから」
「……まって。それでは……」
「あらあらあら。黙って震えて、下がっていたのに。前にでてどうされたのですか」
「……婚約は破棄されていないと?」
「あらあらあら。おびえなくていいのよ。そんな態度をとる必要などないわ。あなたはあなたのやり方で、愛され方でこの方の愛を得られた。それだけのこと」
「……破棄されていないだと。それは困る。僕は彼女が卒業したら式を挙げる予定で」
「あらあらあら。もうそんな話がでているのですね。ぜひ、友人枠で私をお呼びいただけませんか。……結婚式に」
「うるさい。君が婚約破棄をしていないなどどういうことだ」
「どうもこうもありませんわ。私はなにもしていませんわ」
「婚約破棄されなかったのはなぜですか」
「あら。そんなの決まっているでしょう?」
「なぜでしょうか」
「ふふふ。だって必要ないことでしょう?」
「……」
「婚約は必要なこと。けれど破棄は不要なこと。だから私は何もしなかったの。だってするべきこと、必要なことはなかったもの」
「……どこまでも徹底されているのですね」
「……嫌かしら……」
「いえ。さすが我らが姫だと」
「ふふふ。ありがとう」
「……お二人がどうなったかご存知ですか?」
「いえ? 知らなくてよ」
「あの後、令嬢のほうが騒ぎまして。婚約破棄ができていないなんて信じられないと。破棄したと聞いたから結婚も考えたのにと。婚約破棄ができていなければ、自分はなにもできないと。婚約者がいる殿方を奪っただけでなく、結婚もできないのにその気でいるのはあまりにも滑稽である。と」
「あらあらあら。全く。同じ貴族の娘として恥ずかしいわ。貴族の娘であるのなら、どんな時も感情を抑え、おなかの中を読まれてはいけないと教わらなかったのかしら」
「姫。あの方は確かに貴族ではありますが、姫ほどの家柄ではありません。……家柄で人を判断してはいけませんが」
「あらあらあら。それをだれもとがめることはできないわ。家柄も。見た目もどちらも人を判断するうえで必要なことだわ」
「そういっていただけるのであれば……。しかし必要ないからという理由でなにもされず見ておられましたが、ご自身をうらぎったあの方になぜなにもされなかったのですか? 裏切りに対する対価は必要なことなのではないでしょうか」
「……あなたにだけいうわね」
「……なんでしょうか」
「私ね。裏切られていないのよ」
「え? どういうことでしょうか」
「そもそも私はあの方との関係は必要なことだから。それ以上でもそれ以下でもないの。だから、あの方が何をしようと、家の不利益にならないのであれば何も言うつもりはなかったわ。でも。さすがにそのままにしておくのはダメと言われたから、学園での時間を増やしたのだけれど。……ふふふ。うまくいかなかったけれど、いい勉強になったわ」
「……姫……」