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パラディ・ヘル・リストランテ

作者: ノブオカ

一、


あと少し、寸でのところで踏みとどまりつんのめった。

ぐ、と呻きながら背中を反らし勢いよくのけぞる。そのまま情けなくしりもちをつく。

後方に着いた掌で地面の雑草をぐしゃ、と掴み、つま先を蹴ってずるずると後ずさる。はるか下方で荒々しい波音が幾度も岩面にぶつかった。


(やっぱり真っ暗闇を〝落ちる〟のは、なんだかんだ怖いよなあ……。)


全身が脱力するかのような無力感を憶え、俺はゆっくりと仰向けになった。俺の殺伐とした思いなど当然知る由もなく、美しいとしか言いようのない満天の星々が輝く。


――悲哀岬。


O県の某村某所に位置する、いわゆる〝自殺の名所〟で有名な岬だ。

いかにも物悲しげな地名の由来は、戦時中に米兵に追い詰められた女学生たちが次々とその身を投げたと全国的にもささやかれている噂のためかもしれない。

あるいはここに来る前に昼間立ち寄った、観光案内所のスタッフが取ってつけたように説明した「視界一面に延々と水平線が続くので、おのれのちっぽけさを実感して悲哀を感じる」ためなのかもしれない。

いずれにせよここの正式名称は悲哀岬であるし、事実として年間4名程度が身を投げる。俺は今年度の4名目に名を連ねようとやってきたクチだった。

ここへと続く途上にはあちこちにいのちの電話やこころの電話相談窓口の看板があった。それらに一切惑わされることなく、真っ直ぐに岬の先鋒にたどり着いたというのに。


(一歩踏み出すだけですべてが〝解決〟するのに。いざとなると身が竦むもんだな……)

 

やさぐれた思いでごろりと横を向いたときだった。

ふと、後方がやけに明るいことに気がついた。

(……?)

不思議に思い、一旦うつ伏せになりむくりと身体を起こす。

たどって来たはずの小道沿いに、いかにも町の洋食屋さんといった風情の店がひっそりと佇んでいた。

(え……!?)

光の要因はこの店だった。出窓はカーテンが開かれ、黄色味を帯びた優しい明かりが煌々と灯っている。O県にはあまりにも似つかわしくないレンガ造りのその店は、OPENプレートらしきものを提げた扉上部の壁に控えめに、しかし数メートル越しでもはっきりと読み取れるように店名を記していた。


「パラディ…ヘル…リストランテ…?」


それがフランス語と英語とイタリア語の組み合わせで成った奇異な店名であることを瞬時に認識し、むず痒い居心地のわるさを感じる。俺は曲がりなりにも外国語学部を卒業したからなとどうでもいいことを思い出し、何故かちくりと胸が痛んだ。

(こんな店あったか……? てか、)

店を漠然と眺めながら原因不明の胸の痛みをさすっていたが、ふと気がつき勢いよく腕時計を見る。

(いま夜中1時過ぎだぞ……!?)

正気か、と唖然とするが、腹の虫は正直に豪快な音を立てて鳴く。ここに至るまで食事どころではなかったからだが、自殺を目前にしても、あくまで若さに任せて生存欲求を満たそうとするおのれの身体の矛盾に少々呆れてしまった。

真夜中に営業モード全開の怪しさ満点の店ではあるが、どうせこれから死ぬのだから構う必要はない。店に近づくにつれ、チーズやチキンの焼ける匂いが段々と濃厚になる。終いにはわくわくした自殺前にあるまじき感情を抱きながら、店の扉を開くに至った。


軽やかな鈴の音とともに扉は開き、室内の眩しさで眼を細める。つい先ほどまで真っ暗闇でうじうじしていたので、光に順応するまで多少時間はかかる。

「いらっしゃいませ、」

若そうな男の声が響く。ゆっくりと眼を開いた。

「ようこそお客様、パラディ・ヘル・リストランテへ」

給仕服に身を通した黒髪の青年が、洋食屋にあるまじき丁重な所作で深々とお辞儀をした。


二、


こじんまりとした扉口からは想像もつかないほど、店内は広々としていた。

にもかかわらず客席はテーブル席1つのみしかなく、やや殺風景に思える。

給仕の青年に促されるまま、対になった椅子の片方に腰かけた。

水が運ばれてくると正直喉が渇いていたのもあり、一気に飲み干してしまった。青年がすぐさま水差しから注いでくれ、俺は礼を言う。死を間際にしていたはずが他人のなんてことはない気遣いに触れ、ちょろい俺の心はぐらりぐらりと生に傾き始める。


――そうだよな……死ぬのはいつでもできる。もう一度、生きなおしてみてもいいか……、


とりあえず注文しようと革張りのメニューを開くと、白い紙に筆文字で「おすすめ」とでかでかと書かれている。

「……、」

呆気にとられていると、青年が静かに近寄り3杯目の水を注ぎながら言った。

「当店はメニューがひとつしかございません」

「はあ……、」

「そのときのお客様に沿って、最高の一品をお出しいたします」

静かにグラスがテーブルに置かれる。青年の白くしなやかな指先を一瞥し、再びメニューに視線を戻す。

「あの……でもこれ値段って……?」

「大丈夫ですよ」

青年はにっこりと微笑んで言った。

「そのときお客様がお持ちのもの以上の請求は、しませんので」

(まじか)

しばし愕然としてからぐるぐると逡巡する。

(――有り金ぜんぶ置いてけってことだよな。ぼったくり洋食屋だったのか……、断ったら裏からガタイのいいあんちゃんが出てくるんだろう。でも――、)

ぱたん、とメニューを閉じて青年へと渡す。

すっかり〝生〟のほうへと俺の心がタコメーターを振り切った以上、「命の恩人」に払うと思えば有り金ぜんぶでも安いものだろう。

「おすすめ、ひとつお願いします」

「かしこまりました」




三、


ひとつの料理を用意するのに相応しい長さの時間が過ぎた。

青年が銀色のクロッシュを被せた料理をうやうやしく運んでくる。

ことん、と丁寧に目の前に置かれた。

「そうだ、テレビでも点けましょうか、」

なにを思ったか、青年がカウンターからリモコンを取り隅のモニターに向け操作している。

いい匂い。

わくわくしながら、青年がクロッシュを開けるのを待っていたときだった。

『ごめんなさい、』

「!?」

聞き覚えのある声――、〝忘れたくても忘れられるはずもない〟声が聞こえ、俺は驚愕とともにモニターを見た。

『あなたのプロポーズをずっと待っていた。でも遅すぎた……、待っている間に〝あの人〟が現れ、私はあの人を愛してしまった、』

モニターに映っていたのは、――今回の自殺の原因にさえなった――〝元恋人〟だった。

「え……!? あ、」

途端につんざくような耳鳴りが響き、思わず両耳を塞ぐ。段々と鳴り止み、おそるおそる眼を見開く。

「……!!」

俺はかつて彼女にプロポーズをした最高階のレストランに存在していた。

だだっ広いフロア。点在するほかの客たちは各々がそれぞれの会話に夢中になっている。

「――お待たせいたしました」

夜景の背景に自然と溶け切った青年が、そ知らぬ風をしてクロッシュを持ち上げる。

嫌な予感がしたが、意思とは裏腹に料理を注視してしまう。わかっていた。

――当時とまったく同じ料理。再現ですらない。〝あのときそのもの〟だ――

冷たい汗が背中を流れる。

『もう私の意思ひとつではどうにもならない。私はすでに、』

やめろ……やめろやめろやめろ、

彼女は当初からまったく手をつけていなかったシャンパングラスの傍らをすべらせ、そのまま右手でゆっくりと自身の腹部をさすった。

『彼の〝赤ちゃん〟を――』

口を開きかけたが言葉が出ない。

汗が流れつづける。岩面に何度も波音がぶつかり、この店が地理的に海からほど近いことを思い出した。

再び〝死〟を思い、ぎゅっと眼を瞑ったときだった。


「フルーレティ!!」


少年のような声の怒号ではっと我に返る。

「おまえはよぉ~~~…、勝手に開店すんなと何度言ったらわかっ……もうほんと……やるか? やんのか? お?」

景色が元どおりになっていた。やや広い室内の中央に、自分のみがぽつねんと腰かけている。

声の主である金髪の青年は、その華奢な身体つきからは想像もつかない力強さでぎりぎりと黒髪の青年を締め上げている。

泡を吹きながらしきりにすんませんすんませんもうしませんと呟きつづける黒髪の青年。

二人のやりとりをしばらくぼんやり眺めたのち、テーブルに視線を落とす。クロッシュはいまだ被せられたままだ。

「……ほんとうに、愛していた……、」

ぽた、とテーブルクロスに涙が落ちる。

「結局――俺が出遅れている間に、副社長に彼女を寝取られた。前途洋々の御曹司だ。敵うはずもなかった。俺は社に居づらくなって退職して――、でも次の会社もなかなか決まらなくて……、」

女々しいことは重々承知だが、俺はぼたぼたと涙を零しつづけた。

怒りはなかった。

ただ人はこうもあっさりと裏切るのかと知り、人を信じられなくなった悲しみのみが心を占拠していた。自殺の場にここを選んだのも、〝悲哀岬〟という名称に惹かれてのことだ。

「失礼します」

椅子を引く音がして顔を上げる。

見ると給仕服を着た金髪の青年が対面に腰かけていた。大きな翡翠色の眸で、ただ真っ直ぐに見据えてくる。

「人を信じられなくなってしまった……傷ついているお客様に軽々しいことは言えません」

「……、」

「ただ、思い出して欲しい……お客様を大切に思っている方がいたことを、」

そう言うと青年はクロッシュに手を掛け、ゆっくりと開けた。

俺は思わずびくついて眼を閉じる。頬に料理の湯気が当たるのを感じた。

「大丈夫です――私が安全を保証します。さあ、召し上がれ――、」

金髪の青年の声に促され、俺はおそるおそる薄目を開けた。

白い陶器の平皿に載せられた、あたたかいおにぎり――


「……、」


俺は愕然として2つのおにぎりを見つめていた。


実家がみかん農家であるにもかかわらず東京の外国語大学を受験したいと言い出した俺を、両親は嫌な顔ひとつせず応援してくれた。

特に母は受験勉強に励む俺のために毎晩夜食を作ってくれた。

ずいぶん古風なことをするなと思いつつ、腹は減るので毎晩嬉しくいただいていた。そう、おにぎりだ――、

「……っ、」

ぱり、と海苔の食感が口の中に広がる。

貪るようにおかかのおにぎりに食らいつきながら、俺はぼろぼろと涙を零し、むせび泣いた。




四、


「ありがとうございました、」

翌朝。店の前で深々と礼をする俺を、金髪の青年は慌てて止めた。

「いえ、こちらこそこいつが失礼なことをして申し訳ありません。後できつく説教しときますんで、」

ヒッという声とともに黒髪の青年が震え上がり、思わず笑ってしまった。

「……実家に戻って、跡を継ごうと思います。――俺を思ってくれている人がいる。死んでる場合じゃありませんから、」

見送ってくれる二人に何度か頭を下げ、とりあえずバス停を目指すことにした。

ちなみに〝有り金〟全部を取られるということはなく、料金は金髪の青年に言われ「650円」を支払った。


死にゆく者の魂を狙う悪魔フルーレティの画策は今回も失敗し、天使アズの功績のみが積みあがった。




死を希むあなたを前にして異界への扉は開き、パラディ・ヘル・リストランテは煌々と姿を現します。

絶望へと身も心も堕ちゆくお客様へお出しする、〝最高の〟、あるいは〝最低の〟お食事。


今宵、あなたもいらっしゃいませんか。


(了)

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