女は怖いぞ?
時間軸は三度目の人生、学園最終学年の頃。
クラウスが下級生を諭す話。
ある日学園の裏庭を通りかかると、数人の男子生徒の話し声が聞こえた。その会話からすると、彼らは下級生で、婚約者について話しているようだ。
「そんなことがあったのか。それはひどいな」
「だろ? 別の女としゃべっているだけで浮気だなんだって騒ぎ立ててさ。おかげで親にまで知られて大変だった」
盛り上がっているらしく、こちらには全く気が付いていない。だいぶ声が大きいから、聞きたいわけでもないのに丸聞こえだ。
「でもさぁお前、その人の腰に手でも回してたんじゃないの?」
「やってないよ。たしかにちょっと可愛かったけどさ。ついでに胸もあった」
「ばっちり見てんじゃねぇか」
「いや、目がいっただけだし。触ったわけじゃないし」
「触ったらアウトだろ!」
「えっ、どの子? 可愛い? 俺にも紹介しろ」
いろんな声が聞こえて、思わず苦笑する。
今世ではそんな会話をすることはないが、一度目ではなかったこともない……どころか、そんな話ばかりしていた自覚がある。どの女が色っぽいとか、あの女は駄目だとか、どんな匂いが好きかとか……。今の俺がそんな話をしている訳でもないのに、それを思い出したらなぜか少し顔が熱くなった。
「あーあ、もっと可愛い婚約者がよかったなぁ。俺の婚約者、ブサイクだもん」
「お前、贅沢。彼女はそこそこ可愛い」
「俺もけっこう可愛いと思う。ブサイクってのは俺の婚約者みたいな奴のことを言う」
「お前ら、さすがにブサイクはひどいだろ。それに家柄のしっかりした婚約者がいるだけいいじゃないか」
貴族の多くは政略結婚だ。特に嫡男であれば、学園に入学する年齢には婚約者が定められていることも多い。当然だが、最初から仲のよい婚約者同士である場合もあるし、そうでない場合もある。だから彼らの気持ちはわからなくもない。なにせ一度目の俺は後者だった、というか一方的に俺がそう思っていて、それであんなことやこんな、ごめんなさああああぁぁぁ……。
「そういえばブサイクと言えばさ、リーゼ様、最近めっちゃ可愛くないか?」
なぬ?
ピクリと耳が傾いた。盗み聞きするつもりなどなかったけれど、リーゼの名が出たのならば聞かないわけにはいかない。
「え、そう?」
「昔チラッと見かけたときは正直、あんな子が王子殿下の婚約者なのかって思ったんだけど、最近すごく綺麗になった」
「わかる。オーラが違う。先日廊下ですれ違ったんだけど、なんかゾクッとしたもん。俺リーゼ様めっちゃ好き」
「おい、そんなこと言ったらお前の婚約者に怒られるぞ。殿下にも」
ブサイクと言えば、の括りで出てきたのにイラッとしたが、リーゼの良さを分かってる様子に、俺は一人頷いた。
「婚約者がブサイクって言うけどさ、殿下くらい溺愛してたら綺麗になるんじゃないの? ほら、女性は愛されると綺麗になるらしいし」
「えー、だって俺の婚約者はリーゼ様と違って全然俺を立てることもしないしさ、可愛げがなくて我儘ばかり。好きになれったって無理だよ」
「俺も。なんで女って『貴方のために言ってるの』とか恩着せがましく言ってくるんだろうな? 俺のためを思うなら黙ってろよ」
「わかる。そんな女と結婚してこれから一生共に過ごすんだぞ? 考えられないよ」
「そうそう。もう婚約破棄したい」
別に愚痴を言い合ったり、男同士で女はああだこうだと盛り上がったところで咎めるつもりはない。危ない内容でなければ、俺やリーゼの話題を出したってかまわない。だけど、婚約破棄という言葉が聞こえてしまって、俺はわざとらしく咳をした。
「で、殿下っ?」
俺に気が付いた彼らは慌てて立ち上がり、礼をとろうとした。
「そのままでいい。あー、その、盗み聞きをするつもりは全くなかったのだが、君たちは少し声が大きいようだ。君たちの婚約者もここを通るかもしれないから、少し抑えたほうがいい」
別に罰を与えようなんていう気はさらさらないのだが、彼らは完全に縮こまって青くなっている。
「ついでにいくつか言っておきたいことがあるのだが……」
「は、はいっ」
「女性を敵に回すと怖い。そうなりそうなことはやめたほうがいい」
「えっ?」
頭を下げていた彼らが顔を上げて、きょとんと俺を見る。
「真剣に言っている。女は自分たちよりも弱いとでも思っているのだろうが、そんなことはない。本当に、気を付けたほうがいい」
彼らの気持ちは残念ながら理解できる。一度目の俺が思っていたのを少々柔らかくした感じだからだ。俺はもっと強烈に見下していた。俺一人が偉くて、女など下等種族である、くらいの感覚でいたのだ。俺に従って当然だと思っていたから、俺になびかない奴を学園から追い出したりもした。フンッ、俺に従わないから悪い、ざまぁみろ、なんて思いながらニヤッと笑って……。
「わーっ!」
思い出してしまったら、思わず声が出た。地面を掘りたくなって、慌てて頭の中の残像を打ち払う。
男子生徒たちがわかりやすくビクッと肩を揺らした。
「で、殿下?」
女性を敵に回すとどうなるか、俺はよく知っている。鉱山で失言をしてしまった次の日には食事を明確に減らされたし、謝るまで女性総出で睨まれた。鉱山で女性を敵にすると本当に終わる。教会で怒らせてはいけないナンバーワンは神父さんではなくシスターだ。孤児たちは小さい時から身に染みてわかっているので、シスターに逆らう者はいない。何なら神官や神父さんまでも気を使っている。平民だけじゃない。貴族だって同じだ。男性が権力を握っているように見えるが、そう見えるだけなのである。
「別に俺は女性の味方をしようっていうつもりじゃない。本当に怖いのだ」
「怖い?」
「そう。貴族の女性たちは女性同士で繋がっている。一人を敵に回すのは百人を敵にすると同じだと思っておいた方がいい」
「百人……」
「あるご令嬢に何かをしてしまったとしよう。その噂は一気に広まるぞ。お茶会で彼女がしゃべったら最後、貴族社会を瞬く間に駆け巡る。ひどい話であればあるほど速い。お互いの家で留まっているならば、彼女に感謝すべきだ」
「……」
彼らのうち何人かが顔を青くした。どこか思い当たるところがあったのだろう。
「それから、婚約破棄はやめておけ。破棄して痛い目を見るのは自分だ。これで自由だ、などと清々しい気持ちに一瞬はなるかもしれないが、待っているのは明るい未来などではない。絶対だ」
きっぱりはっきり言い切ると、目を丸くした男子生徒の一人が思わずといった感じで呟いた。
「殿下、婚約破棄したことがあるんですか?」
慌てた隣の生徒に「馬鹿っ、そんなわけないだろ!」と小声で窘められている。
「も、申し訳ありません。あまりにも実感が籠っていたので」
そりゃ実感も籠る。なにせ経験談である。
「ですが殿下、もし殿下の婚約者がリーゼ様ではなくて、さらにそのお相手と気が合わなかったら、破棄したくなりませんか?」
「おい、何てこと聞くんだ!」
隣の生徒は顔面蒼白である。可哀想に。
だが、たしかにリーゼじゃなかったら、と考えてみる。それは……嫌だああぁぁ。許せん。絶対に俺はリーゼと結婚する。だけど婚約破棄をした相手もリーゼであって、あの時俺は一体何を思って彼女にあんな言葉を……。
「わーっ!」
頭を抱えたら、彼らがまたビクッとなった。
危なかった。土を掘り返してしまうところだった。
「どうしても性格が合わないと感じているなら、よくよく、よーく話し合ってみることだ。納得いくまで話し合ってわかることもある」
「そ、それでも駄目だったら?」
「お互いの家とも相談して、妥協点を決めるべきだと思う。とにかく勝手に女性だけに責任を負わせて逃げるのは男として最低だ。そんなことをすれば女性から敵認定されて、一生を棒に振ることになるぞ」
俺のような馬鹿はするな、と思いを込めて見つめ、念を押すように「婚約破棄は駄目だ」ともう一度言うと、彼らは青い顔でコクコクと頷いた。
言うべきことは言ったから、あとは彼らが無謀なことをしないように祈るばかり。そう思いながら立ち去りかけて、言い忘れていたことに気が付いた。
「一つ訂正させてもらうが、リーゼは最初から可愛かった」
「申し訳ございません!」
俺は今度こそ、その場を立ち去った。