#6 あの温もりが、今もずっと。
唸り声を上げる魔獣と対峙する。
獣の匂いが、風に乗ってここまでやってくる。
その魔獣の風貌は狼のようで。
けれど、地球のそれとは似ても似つかない。
背中から尻まで、背中は黒い鱗に覆われ、首には急所を護るようにフサフサの漆黒の体毛に包まれている。
足も獣と言うよりは、爬虫類のようで。
鋭い鉤爪まで備えている。
改めて言葉で並べてみると歪な気もするけれど、現実はそうでも無い。
地球上にいる生物に例えるから可笑しく聞こえてしまうだけで、この世界で、この環境で生きるために為に特化したその姿は。
造形美と呼べる程、美しさに似た何かを感じられる。
と言っても、鈴ちゃんが隣に居るから久々に地球の生物を思い出してみたけど、
私にとってはもうこういう生き物こそが普通で、向こうの生物の方が、きっと私にとってはもう異常に写るのだろう。
「本当に大丈夫なんですかあれ?!」
あまりの迫力で唸る魔獣に脅えた鈴ちゃんが、金切り声を上げる。
「大丈夫。これがこの世界で生きて行くって事だよ。
少し離れた安全な所で見ててくれる?」
「わ、わかりました。」
かなり動揺しながらも、震える手で私のスカートを掴んでいた手が離れると、
鈴ちゃんはそのまま左方向の木陰へと走り出した。
すかさず、逃すまいと魔獣たちの鋭い目が鈴ちゃんを捕らえる。
おっと魔獣君。余所見は良くないなぁ?
鈴ちゃんにめがけて踏ん張りをつけ走り出そうとした魔獣2匹。
勢い良く飛び出そうとした次の瞬間には、上空から降り注いだ闇の弾に頭蓋骨を貫かれていた。
私の攻撃だ。
余所見をしていた上、視覚外からの攻撃。魔獣2匹はきっと自分の死にも気づいて居ない。力なく崩れ落ちた仲間を見た残り4匹はいよいよ、怒りのボルテージが最高潮に達し、よだれを撒き散らしながら鋭い犬歯を剝き出しに、耳を劈くような方向で吠えていた。
それをニヤリと挑発的な目で迎え撃ってやる。
ちらりと鈴ちゃんに視線をやると、茂みの陰で口を覆いながら驚愕の表情を見せていた。
まだ成人もして無さそうな子には、ちょっと刺激が強かっただろうか。
けれどこの世界で生きて行くのなら遅かれ早かれ......
そう逡巡するうち、恐ろしい気配に正面に向き直る。どうやら相手も考える事は同じ様で、私が余所見する内に、隙をついて二匹が両サイドから犬歯を剥き出しに、ヨダレを撒き散らして飛びかかってきていた。
その奥で、残り2匹が大きく開けた口内に魔力を濃縮させている。
咄嗟の判断で、右側の魔獣の首を慌てて右手で捕らえ鷲掴みにして制止する。
そして、腕に噛み付く寸前のもう一方の口の大きく開かれた魔獣の口内に、左手内にノータイムで生み出した魔弾を叩き込む。
魔獣の口内で魔弾が小さな爆発を起こしたそれは「ギャウン!」と甲高い魔獣の悲鳴を上げさせ、後方へと大きく吹き飛とばした。
上手い具合に捌き切り、よし!なんて思ったのも束の間。
直後、私の足元に何かが着弾したかと思うと、その場が轟音と共に爆ぜた。
身を焦がすような熱気が辺りを吹き抜ける。
あっつ?!危な?!慌てて後退していなければ、危うく消し炭になっていた所だ。
よろめきながらも何とか踏ん張りを効かせ、私のいた場所に視線を戻す。
そこは、地面は抉れ、灼熱の劫火に包まれ、見るも無惨な姿になっていた。
なんて威力。
煙の向こう側には首を振り、口から煙を吐きながらこちらを見据える魔獣達。さっきの火球が爆発したのか。
何とか回避できたのは、右手に掴んでいた魔獣を、正面から飛来した火球に、直前でぶつけ、直撃を避けることができたからだ。
けれど、少し爆発に飲み込まれた右手は大きくただれていた。
それに、かなりの熱で全身が軽い熱傷を負っている。
火の粉が舞い、どう迎撃しようかと体勢を整え直す内に、その奥では魔獣達がまた火球を口内に作り出していた。
それ連射できんの?!
味方1匹を平気で消し飛ばしてしまうような火球を連続で打てるなんて、反則もいい所だ。
大慌てでこちらも闇の弾を眼前で3つ生成し、後方に飛び退きながら迎撃で撃ち込む。
うち2つは迎撃に成功し、すさまじい熱気を放ちながら爆音で爆ぜ、その熱気がこちらまで吹き晒す。
しかし、残る1個はあまりに早かった。
マズイ。これは避けれない!
後方で迎撃した火球が爆ぜるのとほぼ同時。私が生成したばかりの闇弾へと一直線に飛来した一際大きなその火球は、私の眼前にある闇弾と衝突し、まるで火薬玉のように、地響きを起こして派手な爆炎を舞い上げながら大爆発を巻き起こした。
私?もちろん巻き込まれました。
あんなの避けられる訳がないじゃないですか。
ええ、勿論消し炭ですとも。
私が塵と肉片となって飛び散った姿を無事に見届けた魔獣達は、次のターゲットを見定めるようにゆっくりとへたり込む少女へとゆっくり目を写す。
あ、私まだ生きてますけど??
魔獣の真後ろに闇が渦巻き、その中から私がヌッと現れる。
人の子へと注意を向けていた魔獣達は後ろの私に全く気づかない。
気づかれぬ内に、最後尾に居た魔獣の頭を、剣で垂直に串刺しにする。
声帯を貫かれ、声にならない声を上げながら絶命する魔獣に、その正面に2匹いた魔獣が驚いたように振り返る。
もう遅い。
そのまま私は魔獣の頭上に生成していた闇の弾を、魔獣の頭へ向けて真っすぐ叩き込む。
闇弾はその頭を抉り、貫いた。
魔獣はまるで何が起こったのか分からないという風に目を見開かせながら、鈍い呻き声と共に血を吐き出だし、そのまま命を絶った
ざっとこんなもんですよ。
私は腰に手を置き胸を張る。そして見事なまでのドヤ顔。
完全勝利とは気持ち良い。
......1回死んだから完全では無いか。
それにしても、あの火球威力ありすぎやしないだろうか??
火球って表していいのあれ?
私1回消し飛んだよ?
まぁ全然こうしてピンピンしてるんだけど。
鈴ちゃんは大丈夫だっただろうかと隠れたはずの茂みを見やると、「キャウン!キャウン!!」と吠える魔獣を前に、「いやぁあ!!やめて!来ないで!!」と悲鳴を上げながら木の棒を振り回して抵抗していた。
なんで?!咄嗟に殺した魔獣の数を数えると、転がった死体は消し飛んだのを除いて5匹。
1匹殺し損ねてた!
どうやらあの魔獣は能力を持っていないようで。とりあえず良かったけど。
どの道このままでは鈴ちゃんが危ないので、私の攻撃が届く射程圏内まで走って近づくと、再び魔獣の真上で闇弾を生成し、そのまま体に叩き落とす。
闇弾はその肉を容易く貫き、魔獣は血を撒き散らしながら低い唸り声を上げ、その動きを鈍らせた。
それを見た人の子は「ひぃ!」と叫び声をあげる。
その光景に既視感を覚えていると、
今度は近づいてきた私に気づき、もう一度「ひぃ!!」と大きい悲鳴を上げ後ずさった。
まだ私の事慣れてなかったんかい!!
私は近づきながら「大丈夫?」となるべく優しく声をかけると、
「大......丈夫です」と震えた声が返ってきた。
うん。見たところ怪我もないみたいだね。
良かった。
「でも......あれ」鈴ちゃんは相変わらず震えた声で、鈴ちゃんの正面を指さす。
そこには、低いうなり声を上げながら、最後の力を振り絞り、何とか立ち上がろうとしている魔獣がいた。
しかしその表情は苦悶に歪み、胴体にぽっかりと空いた穴から、ドクドクと赤黒い血が滝のように流れ、下に咲く緑を真っ赤に染め上げるほどの血の海を広げていた。
あえて、殺し切らなかったのだ。あの出血じゃ、絶命するまで持って数分と言った所だろうけど。
「鈴ちゃんにとどめを刺してもらおうと思って。」
私は鈴ちゃんに、先端から血の滴る、真っ黒な剣を差し出す。
「サバイバルって、こう言う事なんだ。」
急だとは思う。だけれど、この先こういった戦闘は数えきれないぐらいあるだろう。
その時、動く敵を仕留めるよりも先に、命を奪う感触を覚えておいた方が良いと、そう判断したのだ。
私はそう、かみ砕いて説明したけれど、鈴ちゃんは青ざめた表情で震えながら首を振って否定した。
まだ、早すぎただろうか。この間にも、魔獣は血の海の上で、苦しそうに唸っていた。
.....魔獣にも可哀想な事をしてしまった。
鈴ちゃんが剣を受け取らないと分かると、もうかなり苦しめてしまったけれど。
せめてすぐに楽になれるよう、魔獣の脳天を突き刺し、その命に別れを告げた。
魔獣はビクンと体を波打たせ、その後パタリと、絶命した。
魔獣は、最後の最後まで魔獣は私を見上げ、牙を丸出しに威嚇していた。
天晴。そしてごめんなさい。
心の中でそう唱えると、私は鈴ちゃんに向き直った。
鈴ちゃんは座り込んだまま、もう屍となった動かぬ魔獣を、ジッと暗い表情で見つめていた。
私はそんな鈴ちゃんをソッとしておこうと、茂みから離れた魔獣の死体を集め、そのうち状態の良い1匹を見繕って抉れた頭を切り落とす。すると血がドロドロと流れだすが、その勢いのなさが、その生命の死を語っていた。
ふと周りを見渡せば、魔獣その全てが頭を貫かれ死亡していた。
その自らの射撃精度にまた胸を張りたくなったが、鈴ちゃんのあんな表情を思い出すと、そんな気も失せてしまった。
しばらく放置し、ある程度血の出きった死骸を肩に担ぐと、
鈴ちゃんの元へと歩いて戻った。
そこでもまだ鈴ちゃんは暗い顔で動かなくなった魔獣を見つめ、座り込んだままだった。
鈴ちゃんなりに思う事があるのだろう。
いきなりこんなものを見せられて平気で居ろという方がおかしいのかもしれない。
私も私で、デリカシーがなかったようだ。
しかしいつまでもそうしてる訳にもいかないので、やがて。
「行こうか」と声を掛けた。
その声にやっと視点を動かした鈴ちゃんは、私の担いでる物に視点を止め
「......それ、食べるんですか。」
と暗い声を出した。
「そうだよ」
とはにかむと。
「そう......ですか」
とまた低い声で答えた。
数秒の間を開けゆっくり立ち上がると、後は無言のまま、私の側まで近づき、付いてくる意志だけを見せた。
そうしてここを離れた後も、鈴ちゃんが何度か後ろを振り返っている姿が視界の端に写った。
置いてきた残りの死骸が気になるのだろうか?
「アレを食べる動物だっている。ただ放置してるんじゃなくて、アレだって食物連鎖の一部になるんだ」
「そうなんですか......」
納得いってるような、行ってないような。鈴ちゃんは終始暗い表情をしていた。
その後は、ほとんど無言だった。
「怖い思いをさせたね。」とか「ごめんねとか」
色々声を掛けてみても、「大丈夫です」とか「はい」だとか。簡単な返事ばかりだった。
しかし、あまり会話は交わさなくても、付いてくる鈴ちゃんの震える手は、私のスカートをしっかりと掴んでいた。
その反応に、決して私が嫌われた訳では無さそうで、安堵している自分がいた。
その後はひたすら歩いた。山へと続く川沿いに、血の滴る魔獣を担ぎながらもしばらく歩き続け、ある程度の間歩みを進め、西日が傾く頃、
いよいよ山の麓の、木々の生い茂る場所へと辿り着いた。
その間も、私はあまり刺激しないように、会話は最低限にしたつもりだ。
けれど鈴ちゃんの気持ちは全く晴れないようで、ずっとひたすらに俯いたまま。
眉間に深い皺を寄せたまま、黙々と歩いていた。
そうしてやがて、いよいよ目前に迫った巨大な山脈はやはり圧巻の大きさで、私達を圧倒するようにそこに立ちふさがっている。
ただ淡々と歩いていた鈴ちゃんも、さすがに上を見上げ立ち止まっていた。
お互い、疲れはそこまでないようで。引きこもりの私にとっては、良い運動となった。
けれど、鈴ちゃんの方は。
今は表情も読み取れない程暗いので詳しくは分からないけど。しかし山を見上げたその顔がまた曇っていくのを私は見逃さなかった。
「今日はこの辺に野営しようか!」
私は担いでいた荷を下ろし、雰囲気を変えるため、少しだけ明るい声で言うと、
「分かりました。」
とこれまた小さな返事があった。うーん、すっかり大人しくなってしまった。
最初は自分の意思が強かったのに、すっかり何も言わなくなって。
多分、言っても変わらないと気付いて、自分の不条理を受け止めようとしているんだろうか。
そこまで耐えることだってないのに。
さて、空はもう真っ赤に染まっている。
日が落ちる前に、食料を調理しなくては行けないし、寝床を作らなくても行けない。
それに、夜は寒いんだ。
寒くなる前には手早く火を起こさなくてはいけない。
山になると気候は変わりやすいので、今は空に雲が無くとも、眠っている間に雨になるかもしれない。
簡易な雨避けとか、そもそも本来は寝る場所には拘った方が良いのだ。
だけど〜〜〜!
まずは食料だ!!
私はその変に落ちた勝手の良い太い枝と細い枝を見繕い、
後は乾いた草木を適当に集め、足元に用意する。
この先は知っている人も多いんじゃないかな?
まずは太い木の枝を片足で押さえつけ、細い枝を縦に擦り付ける。
唾を滑り止めに、慣れた手つきで勢いよく枝を回転させていると、私の身体から汗が吹き出す頃、やがて枝から煙が出始める。
火種が完成すると、慌てて火口となる草木にそれを移し、草の上から手で包み込み、口で空気を送る。
そうして2、3回空気を送って居るうちに、火はメラメラと盛り上がり、慌てて私は手を離した。
文明の象徴、火の完成だ。
それを遠くから見つめていた鈴ちゃんの目が少し見開かれたのを私は見逃さなかった。
出来上がった火を鈴ちゃんの近くへとアチアチと言いながら移動させる。
そして、手近な長い木の棒をその両隣に刺し、調理場の完成。
「すごい......」と鈴ちゃんの意識が火に向いてる間に。
木の影でへと走って行き、引きずって移動させた魔獣を1匹捌く。
血抜きはここまで長時間担いで持ってきたのである程度済んでいる。
皮を剥ぎ、腹からナイフを入れ、内蔵を取り出し、腹や足の肉の多い部分を切り出す。
そして、それに塩を少量まぶして木の棒を串刺しにすれば〜?!今日の晩御飯の完成!
完成したそれを鈴ちゃんの元へ運び、火の上で焼き始める。
見た目はまるで漫画肉だ。
鈴ちゃんは今回は特に嫌な顔をせず、表情は暗いままのものの、「すごい......」と少し驚いて見せた。
おっと塩はどこから持ってきたかって?
ふふ......何を隠そうこれ、私特製、自家製塩なのだ。
というのも、私の住んでいた森のそこそこ近くに海があり、その海水を使って作り出したのがこの塩。
かなり美味いので鈴ちゃんの反応にも期待だ。
「お肉の焼き加減見といてくれる?」
と鈴ちゃんに聞くと、流されるように頷き、木の枝の端をもってクルクルと回していた。
よし。その間に私は適当な食べれる山菜を見繕い、それらしいサラダの材料を抱えてまた鈴ちゃんの元に戻る。
ドレッシングは無いので、是非自然の恵み、そのものの味を堪能して欲しい。
戻ってみると、鈴ちゃんの横には焼きあがった肉が何本も刺され、美味しそうに煙を上げていた。
ふふ......実は私にとっても久々の肉なので楽しみだ。
そんなこんなしている内に、空は薄暗く、あっという間にガルギアは地平線へと姿を半分隠していた。
文字通り夕食の時間だ!
「じゃあ、食べよっか!」
適当に摘んできた山菜をお肉と食べてねと微笑みながら渡す。
鈴ちゃんは「いただきます」と呟いて、暫く訝しげにお肉を眺めていた。
私がかじりついて美味しそうに食べてやると、そのうち鈴ちゃんも、思い切って齧りついた。
それでも表情はあまり晴れず、
「味気ないでしょ」と笑ってみると
「食べれないことないです」と呟きながら、もしゃもしゃとサラダと共に頬張っていた。
なんだかその姿が小動物のようで、微笑ましかった。
その後は無言の時間が続いた。ただひたすらに咀嚼音と、夕方の虫の声が、森に反芻していた。
「気まずい......よね。ごめんね。
こんな良くわからない私と、ひたすら歩かされて、いきなりこんなご飯食べさせられてさ。
それに、私あんまりしゃべるのも得意じゃなくて。」
アハハと乾いた笑いを上げながら、何とか励ますように沈黙を破った。
「そんなことないです。」
そんな私の忌憚な言葉を、俯きながらも、首を振って否定してくれた。
本当にいい子だなぁ。
「付いてきてくださいって頼んだのは私です。
嫌なのに私の我儘を聞いて案内してくれて、ご飯まで用意してもらってるのに。」
けれどその額には、涙か一滴、ゆっくりと伝っていた。
その間も、焚き火の火はパチパチと音を当てていた。
「ご飯の味すら、全く違って。」
嗚呼......そうか。
色々耐えてくれてたんだろうけど。堪えるものだってあるよね。
「私がネガティブな意見ばっかり言って、困らせてるのもわかってるんです。
こちらこそ、こちらこそごめんなさい。
分かってるんです。分かってるんですけど、気持ちが、付いていけなくて。」
俯いたまま鈴ちゃんは絞り出すように言葉を紡ぐ。
その姿はとても必死そうで、辛そうで。見ていて、どうもいたたまれなかった。
やっぱりね。私がいい子だと言い続けていたのは、こういう所なのだ。
右も左も分かってない今の状態で、きっと自分に余裕なんてないのに、自分を精一杯理解した上で、無理やり気を遣おうとしてくれる。
けれど、ご飯の味っていう、分かりやすい物をきっかけに、その我慢だって崩れてしまったのかもしれない。
「無理しなくていいんだよ。私だってこんな見た目でも鬼じゃない。
鈴ちゃんが今はまだ訳も分からなくてグチャグチャなのは容易に想像で来るよ。
そんな子に怒ったり嫌な思いするような、心の狭い人間じゃない。」
「......優しいんですね」
きっと、自分を押し殺さなきゃいけないほど苦労してきたんだろうな。
私の前世の家庭も似たようなもので。文明の発達した21世紀の日本だってのに、今と変わらない食生活を送るような家だったから。
何だか勝手に親近感が沸いていた。
そっと隣に寄り添って背中を撫でていると、その背中は、小さく震えていた。
「嫌なことは、嫌だって言っていいから。
我慢させてごめんね」
その言葉に、鈴ちゃんは大きく肩を震わせる。
「我儘......言っても良いですか。」
「好きなだけ言いな。」
しばらくの沈黙の後、我慢していたものが、まるで堰を切ったように溢れ出した。
「分かんない......分かんないんですよ。
なんで動物を殺してまで生きなきゃいけないのか......
なんであんな火を吐く怪物と、剣で戦わなきゃいけないんですか......!?
戦いなんてしたくないし、殺したくない!!血なんて、死体なんて見たくない!!
それに、ご飯の味も、空気も音も感じる物全部変で!!
なんか、なんだか全部おかしくって、気持ち悪くって!!」
断末魔が、 森の中に虚しく響いていた。
「これからもこんなに苦しい思いをしなきゃ行けないなんて!!
それなら、あのベットで、そのまま眠るように死んだ方がマシだった!
もう死ぬんだって、受け入れてたのに!
このまま何もないまま死んでいくんだって!!
覚悟してたのに......!!!」
大粒の涙を流しながら、拳に血を滲ませ、叫び声を上げる。
日も落ち、薄暗くなった山に、その悲壮な叫び声は空しく反芻する。
それにまるで答えるように、遠くで竜が、遠吠えを上げていた。
私には、想像もできないような話だ。
死を覚悟して眠るなんて。
その辛さも苦しみも、私には決して。理解も、想像すらも出来なかった。
......世界なんて、残酷だなと思う。
終わりをすぐ突き付けてくる癖をして、
それと同じぐらい希望も見せ付けてくるのだ。
それは絶望なんかより、よっぽど手の届かない場所にある癖に。
何も苦労をしなかった私に、かけれる言葉なんてあるのだろうか。
背中を擦りながら、考える。
その間も、「嫌だよ、嫌だよ......!」と嗚咽交じりの声が、寂しく夜の森へと吸い込まれていった。
暫く鈴ちゃんは泣きはらし、日もしっかり沈んだ暗闇に、
鈴ちゃんの鳴き声と、パチパチという焚火の音が響いていた。
ふと顔を上げれば、一寸先には闇が広がる。
周囲を覆いつくす闇の中で、私たち二人だけが、取り残されたような。
ふと会話が途切れれば、驚くほど静かな静寂に包まれていた。
私は、ゆっくりと口を開く。
「鈴ちゃんを見捨てようとしたのは私だし、
気が利いたような事が言える性格でも、この不条理から助けれる存在でもない。
それに、生きる意味の答えを知ってる訳でもないんだけど」
パチパチと、焚き火の音が大きく響く。
「ただ、逃げたっていいんだよ。死んだって、それをきっと誰も咎めないさ。
だから死にたきゃ、楽な死に方ぐらいは知ってるよ。
それを手伝ってあげる事だって出来る」
だってそれを逃げたなんて咎める奴は、ここに居ないんだ。
鈴ちゃんは驚いたように顔を上げていた。
「でも、辛いって泣くってことは、喚くってことはさ、きっとまだ死にたくない理由があるんじゃない?
今は自分の足で、歩けるようになったんでしょ?それを綺麗だって思えたんでしょ?」
鈴ちゃんの、潤んだ瞳が私を捉える。
「隣で一緒にもがくからさ。
隣で、少しだけ支えるからさ。
次諦めたいって思うまでは、鈴ちゃんの見たかった景色を見てみない?」
私は鈴ちゃんの背中をさすっていた手を放し、その手で、水筒の水を、焚火にかけて火を消した。
私の行動に慌てる鈴ちゃんに、促すように、空を指さす。
「奇しくも、この世界こんなにも綺麗なんだからさ」
そこには、一気に闇に満たされた私達の頭上に、おあつらえ向きの様に、圧巻の如く空を覆い尽くす無数の光が瞬いていた。
それはきっと地球なんかでは目にかかる事も出来ない。
向こうのテレビや写真に写る綺麗な夜空みたいなものよりもっともっと美しくて。
この辺りは、光は愚か、工業すらそんなに発達していないのだから空気も汚れず澄んでいる。
だからこそこんなにも。こんなにも。
空に広がる星空は、それぐらい綺麗という言葉ではとても形容しきれない幻想的な眺めだった。
この空こそを、きっと満天の星空と呼ぶのだろう。
鈴ちゃんは空をみあげ、目を見開いていた。
数秒そうして目を見開いた後、その目には大きな滴が溢れ出していた。
「なんで......なんでこんなに......」
声にならない声に、「奇麗でしょ」と笑って見せる。
「ただの星空だよ。
それを綺麗だって、思えるならさ。
この世界から帰る方法は知らないけど。
あっちより綺麗な景色は、いくつか知ってるから」
鈴ちゃんは、涙をいくつも溜めながら、それでもその目を閉じる事なく、必死に星空を見続けていた。
「気持ちを全部は理解できないかもだけど、だからって我慢はしなくて良いんだよ。
嫌な事は正直に嫌って言って良いから。
しんどい時は、たーんと鳴けばいい。
そのための言葉と、涙なんだから」
(ありがとうございます)
きっとそう言ったんだろうけど、その声は鼻水と涙でぐちゃぐちゃで、聞こえなかった。
目から流れ出す涙をぬぐうことなく空に手を伸ばしていた。
しかしそうして握られた手は、空を切っていた。
「すぐそこにあるのに......」
今度はしっかりと聞こえたその声は、目の前の星空へと消えていった。
その後も、大声を上げて泣く鈴ちゃんの頭を撫でながら、2人でその星空を眺めていた。
空を埋め尽くすその光は、何にも形容し難いような、ただただ美しい長めだった。
そんな視界の端を、流れ星が数個、流れていた。
暫くそうしていた鈴ちゃんは、ゆっくりと泣き止んで来ると、目を擦りながら、サラダの葉で鼻をかんでいた。
さすがにそこで突っ込みを入れるほど私は野暮ではない。
ズビズビ言いながらも、「ありがとうございます」と笑った鈴ちゃんは、相変わらず愛嬌のある良い笑顔だった。
「私、初めて多分初めて我儘言いました。」
どこか物憂げなその表情は、気のせいだろうか。急に大人びて見えた。
「......もう、帰れないんですよね。」
星空を見上げながら、けれどその顔は、さっきよりずっと凛々しくって。
何だか頼もしくって。
「そう、だね」
その言葉に、鈴ちゃんは力強く頷いた。
本当に、強い子だ。
「おかげで、少しマシになりました。」
「無理はしないでいいからね」
「はい!」
そう頷く鈴ちゃんの吹っ切れたようなその笑みは、今日一番の笑顔だった。
「その分、我儘とか、いっぱい甘えさせてもらうので」
えっ......?
「なんだか、お姉ちゃんみたいですね」
「私、が?」
「そうです!」
今までの要素に、そんなものあっただろうか。
照れたように笑う鈴ちゃんに、こちらまでドキドキしてしまう。
「お姉ちゃんがいたの?」
「ううん、居なかったと思います。」
???ますます謎だ。
どういうことなんだろう?
それとも、私がこの短期間で甘やかしすぎた??
私、やっぱり魔性の女か??
「お姉ちゃんって呼んでいいですか?」
「鈴ちゃんがそれで良いなら......」
「えへへ、わかりました。
私も、鈴、でいいです。」
トントン拍子で進む会話に、「わ、わかった」とそのまま流されてしまう。
私が......お姉ちゃん?妹だっていたこともないのに。
どういう風の吹きまわしなんだろうか?
でもまぁ、鈴ちゃんなりの覚悟と、決意があったんだろうな。
それに、こっちだって一目ぼれしてるんだ。
そうやって頼られる事は実はまんざらでもなくって。それをそばで支えられるのなら、一番光栄だ。
「じゃあ鈴ちゃ......鈴もかしこまった敬語じゃなくていいからね。」
「分かった!」
順応はやーい。
私まだ呼び慣れる気がしないのに。
少し気が抜けて横になると、ふさふさとした芝生の感触が背中に伝わってきた。
色々落ち着いてくると、陽が落ちひんやりとした空気に、さすがに火を消した事後悔し始めた。
からと言って、この暗さの中また火を起こすというのも難しい。
今日くらいいいか。
仰向けに寝転がると尚更、相変わらず呆れる程に美しい星の海に照らされ、そう思ってしまう。
あれ?そういえばお姉ちゃんって、恋って点では進展どころか後退か??
でも距離が縮まったから進展......?
頭を抱えていると、そんな悩みをよそに、横になっている私の横に鈴ちゃんも隣に寝転がり、正面から抱き着くようにくっついてきた。
~~~~!!
思わずにやけてしまいそうになるのを、必死に抑える。
何だこの子!!真の魔性はこっちじゃないか!!
まぁ、でもそれで鈴の寂しさが紛れるなら......!
「えへへ、お姉ちゃん」
ぐわ~~~~。私の恋心に劇的ダメージ。
こんなのいつか骨抜きにされてしまう。
けれど、抱き着いてきた鈴の表情に、一瞬の寂しさがあったのを、私は見逃さなかった。
嗚呼、そうか。この子もきっと一人だったんだ。
きっと寂しくて、甘えれる相手もいなかったのかもしれない。
そう考えると、無性に母性に似た感情が沸いて来る。
きっと私が、守り抜かなきゃいけない。
「さすがに寒いね」
くっつく鈴ちゃんの頭を撫でながら、ごめんねと謝る。
「良いんです。
今はこの暖かさが、ちょうど良いです」
ふふと笑う鈴ちゃんの心地良い笑い声を聞くと、ゆっくりと眠気に誘われる。
私もどうやら疲れていたようで。
あやすように鈴ちゃんの頭を撫でていると、やがてスヤスヤと寝息が聞こえ始め、その寝息に釣られるようにやがて私もゆっくりと意識を失った。
そうして二人はゆっくりと足りないものを温めあうように、
私達は夜空に照らされながらゆっくりと眠りに落ちた。
今はこれで良いんだ。そんな思いも、眠気に誘われ消えていく。
その仄かなぬくもりを逃がさないように。
そっと抱きしめて。けれどその温かさが、やがてすべてを焼き尽くす炎になる事も私達はまだ、知らなかった。